第61話

文字数 1,199文字

「黒木君、ちょっといいかな」
 いつもなら龍太に構わず教室に戻り、鈴原さんたちと合流する井崎さん。飼育小屋に彼女と二人だけでいる、という状況に改めて気が付く。まさか、そういうことは無いよな? 井崎さんは孝弘狙いのはずだもんな。なんとなく鬱陶しい素振りを見せつつも、もしかすると俺に告白する気か、と考えてしまう。

「昨日、御手洗君の家に行ったよ。陽ちゃんと」
「陽ちゃん?」分かっているけれど、分からない振りをする。
「うん、山田の陽ちゃん。御手洗君、最近野球の練習に来ないことが多くて。それで、昨日もいなかったから……」

 それが山田さんとどういう関係があるのか。そして何故この話を龍太にしてくるのか。警戒しつつ話に乗っていく。
「泰史のやつ、家にいたの?」
「それが、いなくて。御手洗君とこのおばさん、前に町内会のお世話してたから陽ちゃんも私も知ってるんだよね」
「それで?」
「うん。それがね、御手洗君、練習の道具を持ってユニフォームも着て、出かけたんだって、おばさんが言うのよ」
「どういうこと?」
「私たちも分かんなくて。それで陽ちゃんが、御手洗君のことなら黒木君に伝えてみて、って」
「山田さんが……」
「確かに、黒木君は御手洗君の前の席で、今は一番喋ってるな、って」
 このところ洋一郎と同等以上の接触頻度になっているとは自覚していた。なるほど、隣とはいえ見られているんだなあ。
「分かった。有り難う。でもその、聞きにくいんだけどさ」
「ん?」
「井崎さんは、泰史、ああ、御手洗のことをどう見てる訳?」
「え、なんで?」
「いや、ほら。鈴原さんと昭が、さ」
「うん、それね……」
 ここは飼育小屋の入り口付近で、誰にも聞かれてはいないはずだ。が、目撃される可能性はある。井崎さんはちょっと周りを見回してから一層小さな声で続けた。
「真由美とはもちろん仲良くしたいけど、変に誰かを嫌ったりはしたくないよ。当たり前でしょ。でも、そうね。真由美に、そんなの止めようよ、って言えないよね……」

 そういうことか。井崎さんも悩んでいたのか。目立って可愛い子のグループに入っている井崎さん。リーダー格の鈴原さんには逆らえないが、心から従っている訳ではないのか。井崎さんを、鈴原さんの単なる手下だと決めつけていた自分を恥じた。でもきっと、これは正直に言わない方がいいだろう。

 龍太にはしかし、塾の時間が迫っていた。帰宅することを考えると、ギリギリだ。
「教えてくれてありがとう。でも俺、もう帰らないと……」
「ごめんね、時間取らせて。じゃあ、また明日ね」
 井崎さんが飼育小屋を出てから三分待ち、龍太は教室に戻った。ちょうど鈴原さんご一行が廊下に出ていた。鈴原さんは、「黒木君、さようなら」とどこかのお嬢様風の挨拶をして去っていった。その後ろに続く井崎さんと佐藤さん。中屋舗さんは、見当たらない。女子のグループも大変だなあ、と思いながら、家路を急いだ。
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