第17話 義足の妖精

文字数 2,870文字

◇◇ 義足の妖精 ◇◇


車窓から入ってくる五月の風が、頬に心地良い。
電車のタタンタタンという単調なリズムに身をゆだね、いつしか、ヒマリは目を閉じて、今朝の母親とのやりとりを思い出していた。

 「ヒマリ、おばさんの家へは、ズボンをはいていきなさい!」

 「いや、スカートはいてくの。」

いままで、ズボンばかりで、ずいぶん、いじめられた。他の子のスカートが、とても羨ましかったのだ。それに、郊外の電車なら、知っている人にも、そうそう出会わないだろう。

いつしか、車窓のむこうには、うららかな春の田園風景が広がっていた。
電車が停まり、そして、また動きはじめた。

数秒後、「あの、お姉ちゃん、脚がロボットや!」という、幼稚園児の男の子の、頓狂な声が聞こえてきた。
はじめ、何のことか、わからなかったが、ひょっとして、自分の義足のことを言っているのではと、ようやく思い当たり、目を開けた。
とたんに、周囲の者が、自分への視線をそらした。まるで、見てはいけないものでも目にしたかのよう。
当惑と、憐れみ、そして、いくぶん、ぶ然としたかのような目の色...。

ヒマリは後悔した。

 (自分は、幸福に満ち満ちた人々の心の中に、憐れみの心を、湧き起こさせてしまう存在なのか...。まるで、疫病神やな...)

いつもの自己嫌悪に陥りかけた、その刹那、男の子の母親が口をひらいた。

「たーちゃんに、おじいちゃんいる?」

「いないよ。死んじゃったって。」

「そうよね。たーちゃんがおじいちゃんがいないのと同じように、みんな、なにか、足りないの。でも、なにか、他の人にないものも持っているの。」

「ふーん」

「だから、みんなちがう、それがいいの。だから、その人らしく、いられるのよ。たーちゃんは、たーちゃんらしくて、ママは大好き。」

「ふーん。そうかあ。」

ヒマリは、はっとした。
自分が、今日、スカートをはいてきたのは、ファッションのためではなかったことを、今、はっきりと自覚した。
義足を露出させてもスカートをはいていこうとすることが、自分の生きていく方向を見定めようという、決意の表れだったことを。

でも、具体的に、どのような日常をおくったらいいのか、見当がつかない。
自分らしく、ポジティブに生きていく、場所なり、活動なりが...。

さきほどの母親がヒマリに、こくりと頭を下げて、こどもを引っ張って下車していった。ひまりも、深く、会釈した。

                    *

駅前から、叔母の家までは、歩いて10分である。
商店街の入り口まで来た時、前からパレードの音が近づいてくる。
華やかな衣装と、派手な振付で、軽妙な音楽を奏でながら、こちらへやってくる。普門館高校だ。

はじめ、健常者だけが表現しうる、花のある芸としか見えなかった。
自分とは関係のない、現実離れした世界...。
羨ましいと思う気すら、起きなかった。
ただ、ぼーっと眺めていた。

トロンボーン隊、ホルン隊、パーカス隊、トランペット隊、クラリネット隊...と通り過ぎる。
そして、最後列のフルート隊がやってきたとき、ヒマリには見えたのだ、まるで彼女たちが天を舞っているかのように。

フルートを吹きつつ、ダンスをしながら、ときにはジャンプさえ取り入れながら、楽しそうに、息の揃った演奏演技が進んでいくのだ。

それは、生の喜び、豊穣の世界への誘(いざな)い、幸福への祈り...それら、すべてを含んだ、瑞々しいエネルギーに満ち満ちたものであった。
健常者・障碍(がい)者の次元をはるかに超えた、生ける妖精たちの姿が、そこにはあった。

ヒマリは、人目を憚らず、喜悦の涙を流しながら、隊列をずっと見送っていた。
ここに、あった。見つけたのだ、自分の居所を。
生きるよすがを。


                    *


ヒマリは、普門館高校に進学した。

吹奏楽部の練習は、熾烈を極めた。
そう、妖精になるには、常人の理解をはるかに超えた、努力と魂とが必要だったのだ。
ヒマリは食らいついていった。
他の団員たちは、最初は、ヒマリを障碍者として気遣っていたが、ヒマリの熱意と本気度を知ると、分け隔てなく、遠慮せず接するようになってくれたのが、ヒマリにはうれしかった。
普門館吹奏楽部の一員として、みんなと同じ歩調で仕上げていけるのが、うれしかった。

ところが、その矢先、義足の脚に、痛みを覚えたのである。
成長と共に、義足を付けている骨も成長し、義足に当たって、足が腫れてしまったのだ。そして、ついには、立ち上がることすらできなくなってしまったのだ。

選択肢は二つ。

一つは、激しい運動を伴う、吹奏楽部を退部すること。もう一つは、大胆な外科手術を行うことである。

ヒマリは、躊躇なく選んだ。

「私の骨を、削ってください。」

ヒマリにとって、もはや、障碍者である次元は、超えていた。
あの仲間たちとともに汗を流し、妖精の一員としていられることのほうが、はるかに大切なことであり、自分が自分であり続けるために、復帰は必要不可欠なことであった。
そんなことより、術後、仲間たちが、以前と同じように自分を迎え入れてくれるかどうかのほうが、ずっと心配だった。

                    *

「セット!」

パートリーダーの声が響く。
体幹と下半身の筋力をつけるため、5分間、片足で立ち続ける練習だ。
そう、日常ルーティンだ。

1分...2分...
術後間もない脚が傷む。削った骨が、キリキリ傷む。でも、ぜったい、笑って乗り切ってみせる。

3分...
脚から腰へ、ピリピリ電気が走る。でも、笑顔、笑顔だ。たぶん、私なら大丈夫...

4分...
こんどは、腰から背骨まで、ビリビリしてきた。なんか笑顔が、滑稽に思えはじめた。笑い泣きに崩れそうになった、その時...

「5分!」

そのとたん、みんなが駆け寄ってくる。

「ヒマリのバカ!」

「あんた、なんで、そこまでするの!」

ヒマリは、
「だって、みんなと一緒にやれるのが、うれしくて、うれしくて...」と申し訳なさそうに呟く。

暖かい涙の輪の中に、きょとんとするヒマリがいた。

                    *

年末、海外のパレードに参加した。

スタジアムで、司会者からいきなり呼び出されたらしい。

 (え、なんだろう。英語、こまるなあ...)

観客が、皆、立ち上がって拍手している。

 (えっ、何なの? それって、私に??)

現地カメラのフラッシュを浴び、ケーブルテレビの取材を受けた。

「やりたい事に夢中になって、それだけを追い続けただけです。みんなにも支えてもらって、障がいがあることなんか忘れて、幸せな気持ちになれました。」


自分が人々に幸せを与えていることに、依然、気づいていないヒマリが、そこにいた。







(原型となったモデルの方の'生きる力強さ'に感銘し、そのご努力を称揚させていただく目的で、全くの想像で描かせていただいたものです。読者の皆様におかれましては、本作がきっかけで、モデルとなった方への温かい眼差しの気持ちをいつまでも持ち続けて下されば、幸いに存じます。)

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