第5話 空蝉

文字数 1,465文字

眠れない源氏は「私はこんなにまで人から冷淡にされたことがない、人生は悲しいものだと教えられた」というのを聞き小君は涙をこぼした。このうえ女を動かそうとするのは見苦しい思われ、翌朝早く帰って行った。それから手紙も来なくなった。御怒りになったと思うと悲しい気がするが、これで結末になってもよいと理性で是認していた。
 「あんな無情な恨めしい人は忘れようとしても心が自分の思うようにならない。もう一度会える機会をつくってくれ」と子君にしじゅう言う。そのうち紀伊守が任地へ立った。残っているのは女家族だけの頃、子供心に機会を狙っていた子君は自身の車に源氏を乗せ、夕刻時をねらい門内に入った。子君が部屋に入り女房に姉のことを聞くと「西の対のお嬢様がきて、お昼から碁をうたれています」という。源氏は、恋人と継娘が碁盤に向く合っている姿をのぞき見する。中央の室の中柱に寄りかかっている座っている恋人。紫の濃い綾の単衣襲の上に何かの上着をかけ、頭の格好のほっそりした女である。もう一人は白い薄物の単衣襲に薄藍色の小袿をひきかけ、赤い袴の紐の結び目のところまでも着物の衿がはだけて胸がでていた。目と口に愛嬌があり派手な顔である。全体が明らかな美人と見た。親が自慢し、才走ったところがあるらしい。子君が来て「平生いない人が来て、姉のそばにいけないのです」「あの人が行ったらなんとかします」と子君は言った。
 女房達はみんな寝てしまった。「この敷居の前で私は寝る、風が通るから」と言い、小君は板間に上敷を広げて寝た。空寝入りを見せた後小君は、源氏を妻戸の前の部屋に入れた。碁の相手の娘は、今夜はこちらで泊まるといって若々しくくったくのない話をしながら寝てしまった。源氏がこの室に入ってきて、女が一人寝ていたので安心した。源氏は恋人とばかり思っていたが、その人でないことが分かった。
やっと目がさめた女は、あさましいなりゆきに驚く。娘だが蓮っ葉な生意気なこの人は慌てない。源氏は秘密が暴露されるのを恐れ、「方違えにこの家を選んだのは、あなたに接近したいためだったと告げた。少し考えれば継母のことだと分かるだろうが、若い生意気な娘はそれに気づかなかった。なんの疑いももたない新しい情人に、源氏は言葉上手に後々の約束をした。「公然の関係よりも、忍んだ中の方が恋は深くするものです。あなたも私を愛してくださいよ」など安っぽい浮気男の口吻でものをいった。「秘密を誰にも知らせないように」といい、源氏は恋人がさっき脱いだ一枚の薄衣を手にもって出た。小君を車に乗せ、源氏は二条の院へ戻った。
 源氏は手紙を書いた。 空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな 
この歌を託された小君は姉のところへ行った。空蝉は待っていたようにきびしい小言を言った。「ほんとに驚いた。私は隠れたけれど。だれがどんなことを想像するかもしれない。あさはかな事ばかりをするあなたを、あちらではかえって軽蔑なさらないかと心配です」源氏と姉の間に立ってどちらからも受ける小言に小君は苦しみながらことづかった歌を出した。抜け殻にして源氏にとられた小袿が、見苦しい着古しになってなかろうかと思いながら、その人の愛が身にしんだ。空蝉のしている煩悶は複雑だった。
 西の対の人も、今朝ははずかいし気持ちで帰って行った。空蝉も、源氏の真実が感じられるにつけ、娘の時代だったならば、と帰らぬ運命が悲しくなる。源氏からきた歌の紙の端に、
つつせみの羽に置く露の木隠れて 忍び忍びに濡るる袖かな 歌を書いた。
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