キリモドキ

作者 桐乃桐子

[日記・個人ブログ]

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42件のファンレター

日々雑記+読書記録その②です。
①の『桐一葉』は比較的まじめ路線でしたので、こちらは気楽に綴っていきたいと思います。

【キリモドキ】
ノウゼンカズラ科 キリモドキ属
《別名》 ジャカランダ、シウンボク(紫雲木)
きれいな紫色の花が咲きます。

ファンレター

『おいしいごはんが食べられますように』

実はこのブックレビュー、前に読ませていただいていたのですが、桐乃さんが本文の中で、「〇〇〇〇と読み進め、読み終えたあとも〇〇〇〇してしまいました」と書いていらっしゃるように、私も自分の「モ〇モ〇」をどう表現していいかわからず、レターを差し上げるのが延び延びになってしまっておりました。

私もこの芦川は無理です。「手〇〇お〇〇」作ってる場合じゃないだろ!と心の中に毒ダダ漏れ状態です^^;
でも、職場って不思議なルールが支配していることがあって、そういう人が配慮されて守られて、ちゃっかり楽し続けるってことがあるんですよね!「芦川さんは、〇〇〇〇ひとだから〇〇ない」、なんだかすごくリアルです、この謎の生ぬるい空気‼
しかも、こういう職場の救いの無さというのは、皆が芦川に「騙されている」というわけでは必ずしもなくて、「彼女ができないやつだ」ってことは全員理解しているんですよね。もし騙されているなら、皆の目を覚まさせてやるという解決策もありますが、一定のところまでは共通理解があるにも拘わらず、ある分岐点から、なぜか自分の感じる方向とは別方向に他の人たちの理解が伸びていってしまう場合って、もうどうしようもないですよね。たとえ「いや、これおかしいでしょ!」と声を上げたとしても、「いまはそういう〇〇だから」と言われてしまう世界!…こ、この「モ〇モ〇」をどうすればいいのかわからない……‼(笑)

桐乃さんのご指摘によって、「二谷」「押尾さん」、更に押尾さん視点となった時には、「押尾」ではなく「わたし」になるという、視点変換の複雑な作品だとわかりました。こうした複数視点の設定には、正に桐乃さんが仰った「どの立場から物事を見るかによって、印象というのはガラリと変化します」という、人間が他者に対して抱く印象の根源的な不確実性を感じます。

桐乃さんのブックレビューを拝読して、『おいしいごはんが食べられますように』という作品に非常に興味を引かれたのですが、読んだら「モ〇モ〇」は必至のようで、うわーすごく迷う‼^^;気持ちに余裕がある時に読んだ方がいいでしょうか(笑)

案の定、まとまりのないレターになってしまって申し訳ありません…(大汗)
桐乃さんのブックレビューやエッセイを読ませていただくのがとても好きです!更新を心から楽しみにしております(*^^*)

返信(1)

南ノさん、お忙しいなかお読みくださり、ご感想までいただいてありがとうございます!
そうなんですよ~、とにかくもう、モヤモヤが止まらない作品なのです(汗)
南ノさんもそうお思いですか! ですよね、芦川さん、早めに上がらせてもらっている理由が理由だけに「お主、のんきに菓子なんぞ作っておる場合ではなかろうよ」と喝を入れたくなります(^^;)
「謎の生ぬるい空気」! まさにそのとおりですよね。なんなのでしょう、この、当事者に配慮する側が、なぜかじわじわと真綿で首を絞められているかのような気持ちの悪さたるや。
このモヤモヤの原因の半分くらいは、作中で押尾さんがいっているように
「芦川さん本人が申告したわけではなく、周囲がなんとなく察して配慮しているところ」
なのではないかと感じております……。
正確にいうと「芦川さんに対する配慮」というより「のちのち面倒が起きるくらいなら事前に予防しておきたい」というのが周囲の一部の正直な声ではないかと想像します。
「いまはそういう時代だから仕方ない……(ため息)」のような。
モヤモヤしますよね~(笑)

語り手の視点について、お気に留めてくださってありがとうございます(*^^*)
渦中の芦川さんについての人となりや各エピソードを語る役目は主に二谷が担っているので、それもあって、あえて一歩退いた客観的な視点が置かれているのかなと感じました。押尾さんの主観がそれを補強するような形で。
少し話がズレてしまいますが、主人公はいちおう二谷だと認識しているのですけど、物語の核になっているのは明らかに芦川さんなんですよね。
南ノさんが読書日記で前回取り上げておられた朝井リョウさんの別の著書『桐島、部活辞めるってよ』をふと連想しました。タイトルからすると、てっきり桐島くんが主人公かと思いきや、語り手は別の生徒たちで、物語の核には桐島くんの存在があるのに彼は出てこない、というなかなかに斬新な切り口の小説でした。
芦川さんも、彼女視点は出てこないにもかかわらず存在感は主役級という……。

さらに余談で恐縮ですが、ミステリー小説を多くお読みになっている南ノさんもきっとそうなのではないかなと勝手に想像しているのですが、物語を読むときに「語り手を信用しない」という癖がついておりまして、「いま読んでいるターンの語り手はだれなのか」がはっきりしない文章だと「これ本当に本人の視点?」とつい疑ってしまいます(^^;)

「人間が他者に対して抱く印象の根源的な不確実性」というお言葉、すごくしっくりきました。さすがは南ノさん、ドンピシャなお言葉を教えてくださいます……! (*´ω`*)
「いま自分が見ている面が相手のすべてではない」「人間は多面性のある生きものである」というような認識を持つことは、文章を書くときにもそうですが、現実世界でも役に立つ視点だと思います(*´-`)

『おいしいごはんが食べられますように』は、終始一貫してモヤモヤしまくりですので、あまりおおっぴらにはオススメできませんが(笑)、たとえば職場で芦川さんのようなひとに振り回された経験のある方は「こういうひといるよね~! うちだけじゃなかったんだ~」と共感(モヤモヤ?笑) できること請け合いです(^^;)
もしいつかお読みになる機会がありましたら、モヤモヤに耐えられる心理状態(そんなときがあるのでしょうか……笑) のときにオススメです~!

毎回、長々とすみません(汗)
南ノさんとモヤモヤを共有できてうれしいです(〃ω〃)
もったいないようなお言葉をいただいて大変恐縮ですが、ありがとうございます!
わたしのほうこそ、南ノさんの小説や読書日記、いつもとても楽しみにしております(///ω///)