五月の死神

[ミステリー]

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20件のファンレター

――佐伯さん、あなたずいぶんね。せっかくお手紙さしあげたのに知らんぷりして……。
昭和初期のミッション系高等女学校。
クラスの女王・杠和子と、「死神」とあだなされる佐伯文枝。
二人の少女の関係は、意外な方向に動き始める……。

※本作は昭和八年(1933年)に起こった「三原山女学生心中事件」をモチーフにしていますが、作品内容は作者の純然たるフィクションです。

ファンレター

その寄せ木細工のような作品には血が通っている

始終「はわぁ……」と声を発してうっとりしながら読んでしまった。が、未読の読者に説明すると、これはうっとり読む小説ではない。南ノさんの筆力による世界観提示に飲み込まれて「はわぁ」となってしまうだけだ。作品の持つ問題意識のリーチはこれでもかというくらい長く、広く、そして現代に呼応するし、呼応させるのがこの作家の作家性であるのだ。
小説っていうのはテーマが何層にもなっていて、作家の終生のテーマ、作家のそのときのテーマ、作品自体のテーマがあり、それらは全部違う。そして、コンセプト。時代設定にその作家の「好き」が反映されていると、独特の筆力を生じさせる。もちろん、素材・題材もそこに絡んでくる。それが同時代性と結びついて、この場合、南ノさんにしか書けない世界の構築に成功している。
この『五月の死神』は、日本の伝統工芸品である寄せ木細工を想起させる。美しく、繊細で。しかし、それはトラディショナルへの理解が深いからつくれたので、芯が通っていて、一瞬、触れたら壊れそうな雰囲気を醸すが、実際はその作家の血が通っているので壊れない強度を持つ。炎、またはマグマのように熱い。その熱さの由来は作家というメタレベルでの批評は僕には出来ないけれども、でも、オブジェクトレベル……つまり作品内でも十全に提示されているのでうかがい知ることは可能だ。僕としては、そここそを読み取って欲しいと思っている。
これはこの作品だけで閉じるテーマなのだろうか。いや、僕は違うと思う。確かな脈動を、僕はこの作品に感じる。生きている。だから、きっと以降の作品にも必ず(表立つかはわからないが)つながっていくだろう。生きたテーマの数々を作家が掴んだまさにそのとき、または今まで内在化していたテーマが表面化した作品としても、この『五月の死神』という作品は価値があるのではないか、と思うのだ。
南ノさん。素晴らしい読書体験が出来ました。ありがとうございます。これからも応援しております。

返信(1)

るるせさん、私、自分の作品に対し、こんな書評のような立派なコメントをいただいたのは初めてです!
一瞬、るるせさんは実は私の作品ではなく、別な作品を論じておられたのが、間違って私の方へ送信されたのではないかと疑ったくらいです(汗)
恐縮すぎて、あわわわ……と目を白黒させておりますが、すごく嬉しかったのは「問題意識のリーチが現代に呼応する」とおっしゃっていただいたこと、また、作品に「血が通っている」と感じてくださったところです。

私は個人的に昭和初期の女学生風俗が好き、というのは確かにあるのですが、それだけでは単に趣味の話であって、自分ひとりで楽しんでいればよく、わざわざ小説の形で他人様に読んでいただく必要はないわけですよね^^
たとえ読んで下さる方は多くないとしても、サイトで公開する以上、やはり「なぜ今これを小説で書くのか」という問いと、それに対する自分なりの答えは必要だと思っています。これは別に、現実の誰かを想定しているわけではないんですよね。何かを「書く」時には、自分の中に一人の「読者」がいて、その架空の「読者」に向かって書くというところがありますよね(…あ、ありますよね!私、ヘンなこと言ってないですよね^^;)。だから、たとえ現実では誰も読んでくれなかったとしても、人は小説を書くことができる…と思うのですが、その自分の中の架空の「読者」が、私の中では一応、「現代」とつながっている…のではないかと思っています(*^^*)
ただ、それは当然、かなり主観的なものなので、るるせさんに「現代に呼応する」と感じていただけたことが、とっても嬉しいです!

「炎、またはマグマのように熱い」ものというのは、物語の内部から湧きあがってくるパワーのようなものでしょうか。私は自分では、そういう部分がまだまだ足りないと思っていて、るるせさんの作品にこそ、いつもこうした「マグマ」を感じています。この「マグマ」は、るるせさんの「伝奇」的な作品だけでなく、「私小説」である『密室灯籠』にも脈々と流れていると思っています。

身に余るお言葉の数々、本当にありがとうございます!これからも書いていきたいと思います。