第10話

文字数 4,883文字

     ☆


「街をマジに汚しているのは、ビルやバスに巨大なスローガンを殴り書きして僕らにそこの製品を買わないかぎりダメ人間だと思い込ませようとしてる企業の方だ」
 これはグラフィティアーティストのバンクシーの言葉である。グラフィティというのは、壁の落書きのことで、グラフィティアーティスト、ということは、一般的には街を汚していると思われている、非合法的な存在である。が、グラフィティにはキース・ヘリングやバスキアといった有名なアーティストも、美術史にはその名を残していたりもするし、たぶんこの、おれが現代最高だと勝手に思っているグラフィティアーティスト、バンクシーも、いずれマジに、歴史に名前を残してしまうのだろう。
 バンクシーは活動の理由からか、匿名のアーティストである。彼は警戒の目を盗み現れ、建物の壁にメッセージ性の強い落書きを描き、すぐにその場を立ち去る。そのグラフィティ、……作品、は、キスしあう男の警官たち、立ち小便する儀仗兵、火炎瓶や石ではなく花束を投げる暴徒など、一目見たら忘れられないようなものばかり。そして、バンクシーの描いた『作品』は、公共の景観を損なうとして、発見され次第、たちまち消されていく。
 彼は「街をマジに汚している」連中に反論するための武器として壁を選ぶ。落書きを選ぶ。
 企業。経済。資本。そしてそこに癒着する政治。既得権益。これからに刃向かうとして、その武器はなにを使えばいいのか。どういう手段がもっとも有効なのか。政治に対する美術のメッセージ性と、落書きというアナーキズム。
 また、バンクシーは企業とコラボしたこともある。資本という敵に対する『無駄な』労働としてのペインティング。シニカルだ。
 その戦略性。見事というしかない。
 敵を突き崩すとして、その方法は、それら敵と無関係なものを手にとっても、そもそもが敵と邂逅することはあるのかわからないし、かといって「内側から突き崩す」ような戦略がすべてではない。
 アートの力。そしてその思考としての、批評性という、『言語』。おれはそこから学ぶことがたくさんあるのではないか。

 そんなことを考えつつメモ帳にメモを走らせていると、ウェイトレスをやっていた宮木さんがおれのテーブルまで来た。
「なに今日も真剣な顔してるの、ホストくん」
「いや、ちょっとね」
「あいてるお皿、お下げしちゃってもいいかしら」
「いいですよ」
 宮木さんはおれのテーブルからお皿を取って、テーブルを拭く。宮木さんは、最前おれが使ったマッチの箱に気づき、手にとって書いてある文字を読む。
「ふ~ん助川町の『アライさんなのだ』かぁ。ここって高級な店なわけ?」
「いや、そんなことないッスよ」
「私も行ってみようかしら」
「ぜひ、来てくださいよ。美人なお姉さんはいつでも大歓迎ですよ」
「やだ、美人だなんて。……このマッチ、貰っていいかしら」
「どうぞどうぞ」
 宮木さんは、「私、ホントに行っちゃうかもよ~」とウィンクしてから、厨房の方に帰っていった。
 おれはバンクシーについて自分の意見をまとめてから、伝票を持って、レジカウンターまで歩く。今日はちょっと早めに、店まで行こうと思うのだ。店の中で居場所があるかと行ったらないが、控え室でテレビゲームに興じるのも、悪くない。


 西洋軒から外に出ると、外気がむわっと、身体を包み込む。夏だ。夏でも、今日の朝方うちに帰っていった井上は、ガッコウに行かないでハーゲンダッツでも食いながら部屋でゴロゴロ作曲して過ごすのだろう。
 井上。この『キタ』に、たぶん数少ないと思われる、ボカロP。底辺Pではあるが。
 底辺Pとは、文字通り、底辺に位置する、ボカロPのこと。動画での再生数が少ない、あまり誰にも知られていないような、そんな存在のボカロPだ。対義語は、有名P。
 しかし、バンクシーのようなグラフィティの連中と底辺ボカロPの、どこに差異があるのだろう。いや、それは動画サイトに投稿するうp主全体、Twitterの有象無象の各クラスタの文章、ブロガーの投稿するブログ、にちゃんねるの誹謗中傷のスレッド、ピクシブに投稿する絵師たちのドローイング、それに、LINEで日夜無駄話として消費されていく言葉の数々……、これからの表現とも表出とも知れぬコンテンツならぬコンテンツの、どこが、ジャンルとして確立してしまっているグラフィティと、違うというのだろう。
 便所の落書きから、ヒップホップ文化かぶれの描いたフォントの羅列。それとバンクシーのような有名なアーティストの、しかしすぐに消されてしまう絵画まで。これらは、拡張現実、オーグメンテッド・リアリティと化したネットのコンテンツそのものなのではないか。うーん、順番が逆かもしれないが。落書き、というものが、現実にあった。それは、楽しいものだった。その感覚を人は、ネットでも行うようになった。そういうことか。そこに、貴賤も違いもない。人がつくりあげるコンテンツはすべてが、グラフィティと同じなんだ。
 すべての、人間がつくりだす境界設定は恣意的なものである。本当は、セカイは未規定のものだから。本当はどうだって区別できる、ライン引きができるのに、人は恣意的に区別して、セカイを「そういう風に」区切っている。境界の範囲と範囲を、「そう」決めているだけなのだ。もう一度おれは思い出すべきなのだ。『ひとが成す区別は恣意的だ』ということに。
 政治的な国境というものが恣意的であるように、アートですら、その貴賤は、ひとが合意しているその一般的価値もまた、恣意的なものである。マルセル・デュシャンの『泉』を、想起するだけで、それはわかる。
 アートで飯を食う人間がいて、アートで飯を食えない人間がいる。だがしかし、その本質はグラフィティの快楽と根を同じくするのではないか。古代の人々が洞窟に絵画を描いたのは、そりゃ宗教的な意味合いもあるだろうし、記録という意味合いもあっただろうが、「描く」という行為にとっては、それはグラフィティとなんら変わることがない。が、落書きに価値がないと思ったら、それは間違いだ。なんらかの主張が、そこにはあるだろうし、それらがそこにあり、疎まれているのは、ただ単に『認められていない』という、その一点だけが理由だからだ。
 故に、不登校児でいじめられっ子の井上が底辺Pであることに、嘲笑を加えることは、おれには出来ない。

 ふむ。考えて歩いてたら自転車置き場を通り越してしまった。

 おれは、通り過ぎてしまったパンダ公園の駐輪場に引き返し、そのコンクリート剥き出しの建物の中に入る。
 ひんやりとした建物の内部に、こだまする器物破損の音。おれは嫌な予感がしたし、その予感は的中した。
 改造バイクの横で、ネオ天狗党と一目でわかる、特攻服姿のガラの悪い連中が、さっきもいたモード系のネオ天狗党と一緒になって、これまたさっきのひょろい奴をみんなでよってたかって殴る蹴るの暴行をしているのだ。で、おれの自転車含む、止めてある自転車が少年と一緒になぎ倒されている。ひょろい少年が吹き飛ばされるたびに、周囲の自転車にぶつかって、自転車は壊れていく。
 おれの自転車(エルメス、と名付けている)も、ボディがひん曲がってしまっていた。
「おい! てめぇら! っザけてんじゃねぇぞ」
 おれはこの暴走族の連中にそう叫び、足を踏み入れてしまった。警察を呼ぶ、という簡単なことすら、頭からすっぽ抜けてしまっていた。
「ああ? んだ、てめぇ」
 あ、やっべ……。
 おれの顔から血が引いていく。その青ざめゆく顔に、ニヤリと笑みを浮かべる暴走族たち、計五人。やられていたひょろい男を突き飛ばし、リーダー格っぽい奴が、
「おれたちが誰だか、わかってんよなぁ」
 と、あたりに響くようにして、言う。
 男たちは、おれを囲むように、移動する。本気でやべぇ。心拍数が上がる。マイハートハードピンチ。
 モード系の男が、「わひゃー」と叫び、おれに蹴りを入れ、おれはバランスを崩し、その一撃だけで地面に倒れた。コンクリートでズボンの中の膝がこすれた。たぶん、出血している。モード系の蹴りを合図に、リーダー格を含めた他の四人も、おれに代わる代わる蹴りを入れていく。加虐的な笑みを浮かべているのが見えたが、蹴られるうちに、そんなこいつらの顔を見ることさえ出来なくなってしまう。目を開けるのも出来ないほど、おれの身体に痛みがどんどん蓄積されていく。
「ほぎゃあああああああ」
 叫び声。しかし、その叫び声はおれの叫び声ではなかった。その声のあと、自転車の急ブレーキの音。それから、男が一人吹き飛び、駐輪場の中にこいつらが置いた改造バイクが倒れ、ボディが変形する音がする。
 しばらく目を閉じざるを得なかったおれの目が、再び開かれ、現状を把握した。おれは切れた唇から漏れ出る血を手の甲で拭く。そこにいたのは、髪を銀髪に染めた、火をつけてない煙草をくわえてにやけている男だった。
 片手に乗ってきた痛自転車のハンドルを握っている。
 痛自転車とは、アニメなどのペインティングを施した自転車のことを指す。今、おれの目の前に現れた壮年の男の自転車は、その、バイクのような車輪のホイールに、アイドルグループ『安部ズ公房』の一人、ももっちちゃんを二頭身のアニメ絵にしたペインティングを施してある。正真正銘の痛自転車だ。
 なにが起こったのか。そう、痛自転車の男は、この自転車に乗ったままここに突っ込んできて、おれを囲むネオ天狗党の一人をその車輪で轢き、激突後自転車を降り、轢いた男に蹴りを入れてこいつら自身のバイクに向けて吹き飛ばしたのだ。そして、バイクは横倒しになったというわけだ。
 痛自転車の壮年の男は、おれを含むこの場の全員の視線を集めながらも、自分に向けて呟く。
「ったくなぁ、パンダ公園っつても、いるのは白と黒に顔料を塗りたくった、ただのクマじゃんかよ。パンダは熊猫って漢字を書くが、そういう意味じゃねぇっての。そのうち訴えられるぜ。いや、おれが訴えよう。そうしよう」
 その呟きにイラッときたのか、残り四人のうち、二人が壮年の男に飛びかかる。が、男はハンドルを持ったままの右手を振りかぶり、自転車を回転させ飛びかかる二人をその鉄の凶器でぶん殴る。自転車もボディがめちゃくちゃになったが、それに構わず、振りかぶった後、さらにその自転車を今度は逆回転に振りかぶり、打撃を与えた。しかも、その攻撃は、頭部に向けて行われた。暴徒は、一撃目は、顔を手でガードしたが、二撃目の時は二人ほど手からかなりの量の出血をしており、意気消沈したところだったので、モロに迎撃を喰らった。頭部から出血したそいつらに、二撃目のあとその自転車を投げつけ、体勢を崩したのを見て、跳び蹴りをかます。一人吹き飛び、二人目も殴り、そいつも地面に倒れた。倒れて血を流すそいつらの顔面に足で踏みつけるようにして追い打ちをかける。血を流した男たちは「痛ぇ、痛ぇよママ」と口々に言う。そこに、一番最初にバイクに激突した男が立ち上がり、飛びかかってきたが、そいつのパンチを手でつかみ、壮年の男は腕を相手の背中の方にねじ込み、動けなくさせた。が、それではあきたらず、ねじ曲げた腕を、そのままさらにひねり上げた。鈍い音と悲鳴が、駐輪場に響く。男は、相手の関節を、脱臼させたのだ。脱臼後、相手の力の抜けたのを感じて即座に、髪の毛をつかみ、壁にその顔を叩きつけた。そいつは、壁に血を塗りたくりながら、コンクリートに倒れた。
 そう、おれはこの、助けに入ってくれているこの壮年の、三十歳のおっさんを知っている。
 ホストクラブ『アライさんなのだ』オーナーの息子、内海多喜二さんだ。
 多喜二さんは火の付いてない煙草を口から取り、コンクリートに投げ捨てた。
「よぉ、ネオ天狗党。ちょっと最近、ここらで暴れすぎなんじゃないか?」
 多喜二さんは、シニカルな笑みを浮かべてから、残るネオ天狗党二人に向けて、そう言った。


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