第21話

文字数 2,349文字




「ここ、席、空いてるか」
 おれが西洋軒でメモを書いていると、そう声をかけられた。顔を上げると、よく知ってる人物が立っていた。多喜二さんだった。
「どうぞ」
 多喜二さんが椅子を引き、おれの向かい側の席に座る。
「浮かない顔だな」
 おれは返答できない。
「昨日の、いや、今日、か。店でタキツグがお前に食ってかかってたし、その原因、窪川にお前の文章を見せたのはおれだからな、……まあ、自分の尻拭いに来たってわけだ」
 多喜二さんはそう言うと、おれからメモ帳をひったくった。
 多喜二さんがページを繰る。おれはそれを眺める。しばらくすると、多喜二さんはメモを閉じ、顔を上げて、くすりと笑った。
「お前らしい文章だよ」
「はぁ」
 メモ帳をおれに返し、多喜二さんはズボンのポケットから煙草とジッポを取り出す。それから、灰皿を自分に引き寄せてから、煙草に火を付けた。一口吸い込み、それから大きく煙を吐き出した。
「喫煙者にはキツくなったもんだよな」
 多喜二さんは、自分が吐いた煙を見た。煙は換気扇で四散した。
「キタのじじいどもは、ミナミのじじいどもと、結託しはじめた。大体、予想はついてたろ、佐多」
「…………」
「なんだ、そう硬くなるなよ。いつの時代も、大抵は権力持ったじじいどもにいいように操られるもんさ。原発の近くから避難すればいい、なんてのは、部外者の考えだ。物事はそう簡単なもんじゃない。キタに住めば、今のこの錯綜した事態をうんざりするほど実感するだろう。そしてその鬱屈した心を満たすべく、ミナミから、そしてこの国の中央から、色々なものが流入してきて、さらに混乱をきたすが、それを止めるすべはない。結局はいいように動かされるのさ。特にここんとこ、若者が暴れたがってるみたいじゃないか。……このメモにも、佐多の友達が研究学園都市の思想に打ち込んでることが、書かれてる」
 多喜二さんは、煙草を三口ほど吸ってから、まだ長いその煙草を灰皿でもみ消した。
「その友人の名前はおれもよく知ってるよ。井上、だろ」
 やはり多喜二さんが知っている。井上のことを。あのときは聞き違えたんじゃないんだ。
「まず、整理しよう。セイザン学派と、マサカド学派の思想の見取り図。それから、おれの考え方。……おれは九龍にいたが、九龍は一枚岩じゃない。だから、マサカド学派の連中とのつながりもあったが、おれ自身はマサカド学派じゃないし、佐多もよく知ってるように、おれは各地を転々と渡り歩いてる。研究学園都市にいたことも、セイザン学派の連中とつながりがあった頃もある。だから、……一聴の価値は、あるぜ?」
 そこで多喜二さんが言葉を切ると、ちょうどいいタイミングで宮木栄さんが注文を取りに来る。多喜二さんはアイスコーヒーを注文した。栄さんは、コップに入れた水を置いてから、伝票に注文した品を記入して戻っていった。
「セイザン学派ってのは、要するに、第二次大戦を、アメリカの物質文明に対する東洋の伝統的精神による反撃、美しいものを守る芸術戦として眺めるような連中のことだ。自らの正統性を、物質文明のカウンターとして理解する。皇国史観とは、毛色が違う。そこがミソだろうな。大東亜共栄圏の考えを戦後に復活させようと思えば、そこで光が屈折する。奴らは、日ユ同祖説だって取り入れる。色々取り入れるが、それは飾りで実際は土着の色合いが強い。伝統の一統が、学園都市の『研究』に重なり合わされている。何故か。それは茨城の土蜘蛛が一統との融和を図ろうとするから、だろうな」
 土蜘蛛。朝廷と折り合わなかった人々。それが一統との融和を図る。その矛盾を解消させるためにつくられた思想、……なのか。
「一方のマサカド学派。こっちは土蜘蛛そのものを肯定することに、その存在の意義がある。多神教的カオスを好むのさ。そのカオスは、ロマン主義と重なる。ロマン的精神は、世界と人生を混沌に置く、とする。社会主義リアリズムに対する手段としてのロマン。だから、こっちも『左』ではないのさ。つまり、この争いは左右の陣営の、良いポジションの奪い合いとは違う」
 多喜二さんは背もたれに体重をかけ、のけぞるように背伸びする。
「だが、おれは思う。まあ、これは政治的じゃなく文化論として聞いてほしいんだが。日本では、表現された文化が雑多な異質文明の寄せ木細工だ、ってのじゃ充分じゃなく、むしろ次々に流入する外国文化は寄せ木細工のモザイクを形成せず、常に中途半端な余剰を残しながらひとつの不安定な沼の上に浮かんでるのさ。その泥の沼に咲く蓮の華。それが日本だと、おれは思っている。雑種文化論、っていうか、な」
 背伸びを終えた多喜二さんは、
「さて。じゃ、ここらで雑談はやめにして、実地で見た方がいい。井上のとこに、連れてってやるよ。あの男、面白いよ」
 多喜二さんは笑う。
「電子書籍のサイトによく投稿してるからな、窪川が見つけて、おれに教えてくれたんだ。住所もなにも隠さず公表して、批評本を書いてるんだよ。佐多と同じ菊屋横町に住んでるってんだからな。おれからしたら笑っちゃうよ。……さて、その井上は、ネオ天狗党の集会に今、参加してる」
 そこにアイスコーヒーが運ばれてくる。
「急ぐこともない。あいつら、叫ぶ内容がなくて、同じことを何度もぎゃーぎゃー喚いてるだけだから」
 おれは、自分が無知だという思いにとらわれ始める。多喜二さんのような人間には、おれはどうやったらなれるのか。
 考えていると、そんなおれの顔を多喜二さんはのぞき込んだ。
「伝統のセイザン学派と文化多元主義のマサカド学派。ミナミから押し寄せてきてキタでは大わらわ。全く飽きないねぇ」
 その声にはどこか、皮肉がこもっていたように、おれには思えた。



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