グランド・フィナーレ

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神戸 笹井大志引退へ 来月古巣セ大阪戦後セレモニーへ

 サッカーN1・バイソン神戸に所属するFW笹井大志(34)が引退することを明かした。来月9日に行われるセレス大阪戦後にセレモニーを行うことが発表された。N1通算182試合40得点を決めていたが、右足首骨折の影響もあり、昨季と今季は試合出場がなかった。
 笹井は××年、セレス大阪のユースチームから昇格すると、1年目のには11得点を上げ新人王を獲得。日本代表としても9試合に選出され通算2得点、W杯アジア2次予選UAE戦では決勝点となるゴールを決めた。

 繁田はプレースキックへの対応のトレーニングの最中も、今朝眼にしたネットニュースが頭の片隅に引っかかった状態でいた。若い選手にFK時の動作を確認した。なぜかこの世界では「ベンケイ」と呼ばれる、「壁」となる選手のかたどった人型の練習機器の前に立つ。「壁」への指示の出し方やGKが持つべき視点を指導しつつ、同い年のFWの引退が頭を離れなかった。

 笹井は繁田との接点は同い年であることしかなく、二人きりで話したことはプロ入り後に数えるほどだけだった。
 それでも繁田の年代の世代別代表には必ず選出されていた笹井の動向を、繁田は静かに追いかけていた。高校時代は無限に思えるほど存在した同い年の選手たちが次々とピッチを去っていくなかで、代表定着こそならなかったものの、笹井はトップランナーでありつつけた。

 バイソン神戸の親会社は近年急成長したネット事業の会社で、サッカーを含めて派手にスポーツ事業に力を入れていた。笹井の引退セレモニーも豪勢なものになるのだろうと、繁田は捕球動作を繰り返しながら夢想した。
 万単位の観客が一体となってはなむけとなるコレオグラフィー(人文字)を作り出し、代表を共にしたメンバーからのビデオメッセージが届く中、家族が花束渡しに来る光景が脳裏に浮かぶ。笹井の妻は元アイドル歌手である。スポーツ新聞やサッカー雑誌も大きく写真を掲載して、彼の足跡をふりかえることだろう。
 果たして自分のセレモニーはどうだろうと思った刹那、プロ選手として引退できるだけありがたいと思った。もはや同級生どころか、未来を嘱望された後輩も何人もピッチを去っていた。「50年に一度の天才」や「日本サッカーの救世主」もひっそりとスパイクを脱ぎ、消息のわからない人間さえいた。

 いま自分と練習をしている若い顔ぶれも、明日を保証されている立場の選手は一人もいなかった。まだ人生の序盤である40にも満たない年齢で、人生を賭けたサッカーから身を引くことの壮大さと儚さには、とうとう引退が目前に迫るまでおじけづいたままだった。もはや自分にできることは日々静かに練習し、衰えの速度を少しでも遅らせ、ケガのリスクを最小限に抑えることだけだった。「成長」や「進歩」を望むには、繁田の34という年齢ですら遅すぎた。
 先日の試合で初ゴールを挙げたプロ2年目のFWがボールを蹴り上げる。すくいあげるように、回転の少ない軌道を描いた。7月の太陽にボールが被さったように見えた瞬間、笹井がかつて似た軌道のFKを自分に向かって蹴りこんで来たことがあった記憶がふいに蘇った。
 繁田は丁寧に両手でボールを押さえつけた。10年前とは違う結果になった。ひと呼吸つき、気持ちを少しだけ切り替えてから、ボールをプロ2年目のFWに返した。
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