文字数 1,541文字

ある登山家が、ある山を見ていました。
来る日も来る日も見ていました。
そんなに高くはないけれど、山頂まですぐというわけでもなく、到達するには少々時間がかかりそうな山。
毎日、山の頂きにある一本の木を見つめ「あの木のそばまで行ってみたい」そんなことを考えていました。
瑞々しい緑の匂いが漂う初夏の朝、登山家は思い切って出掛けることにしました。
荷物は最小限に、帽子をしっかりと被り、一人黙々と登って行きます。
登山用の標識など目印はありませんが、下生えの草が「こっちだよ」と行くべき方向を教えてくれているような気がしました。
登り始めて少しすると「何か」の気配を感じました。
前方に動物ではない「何か」がいます、目の前に現れた「何か」を見て登山家は驚きました。
目を擦って何度も確かめます。
見た感じは大人の男性に見えますけれど、背中に真っ白な羽がくっ付いています。
そよ風を感じさせるような滑らかな動き、その繊細な動きから羽が作り物でないことは分かりました。
天使に見えるけれど、本当に天使だろうか。
登山家が突っ立って考えておりますと、こちらに気付いた天使らしきものは驚いた表情を浮かべ言いました。
「私が、見えるのか?」
登山家は恐る恐る頷きました。
「そうか、お前には私が見えるのか」
天使らしきものは少し考え、ひらめかせていた翼を止めました。
そして思いついたような顔付きになり、話しを始めます。
「私の羽はどうだい?」
やっぱり羽なのか、登山家は「立派な、綺麗な羽です」と青ざめた声で答えました。
「前はもっと光輝いていた」
語尾に少しの悲しさを垣間見た気がしました。
「今も見惚れるほど綺麗に輝いています」
励ましたつもりでしたが、天使は即座に否定します。
「いや、全然違う。太陽の輝きにも、月の光にも負けない黄金色だった」
天使が言うには、自分は神に一番近い天使で、羽の輝きも神々しく、その輝きは他の天使とはまるで違い、別格だったそう。
でもある日、神の裁きに背き、天界を追われ、地上に落とされてしまいました。
「神意によって生き別れになった人々を勝手に再び引き合わせた。彼らは喜んだ、幸せそうな顔をしていた。人助けをしたと思った。良いことをしたと思った」
けれど、数日して再び離れ離れになることに。
しかも、永遠の別れになってしまいました。
「どんなに強い縁があっても、人ぞれぞれの出会うべく時というものがあったらしい。全てが揃い、何もかもがタイミング良く回る時。その時とやらを決めるのは、神だけだった。我は天の使いだ、それなのに神になろうとしてしまったのさ」
神の逆鱗に触れ、地上に落とされてしまった天使。
天界に戻るには、神が納得するだけの良き事をしなければなりません。
天に近いこの山で、その機をうかがいましたが、ここを通過する人は希で、ようやくやってきたと思っても、人間に天使は見えない。
「里にも降りた。私を見ることができた人間は三人いた。全員、魔女だった」
魔女たちにこれまでの経緯を説明し協力を仰いだものの、魔女たちには邪念があり、神の許しを得ることはできそうにありませんでした。
今は最初に落とされたこの場所で、天に戻れる機会を待つ日々を送っていました。
「お前は何故ここへ来た?」天使が登山家に訊ねます。
「山頂にある木を見に来ました」
それを聞いた天使、黙って考え、しばらくしてふっと鼻で笑うと「もう行け」そう言って、顎で自分の前を横切るよう登山家に指示しました。
頭を下げて前を通り過ぎた時「魔女に気を付けるんだ」と天使が囁きました。
振り向くと、天使はこちらを見ていませんでしたが、真っ白に輝く羽根を手を振るようにひらめかせていました。
数歩進んで、もう一度振り返ってみます、しかし今度は天使の姿は何処にも見当たりませんでした。
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