第2話 千人力の栄養素《ニュートゥリアント》

文字数 4,454文字

 タンパク質までの道のりは意外と遠かった。
 いつものトレーニングに比べれば動いてないも同然の運動量ではあるが、やっぱりモチベーションが違う。
 労働は尊いが、まあ目的がしょうもない。いっときの衝動はあるものの、時間がかかればかかるほど、だんだん冷静に自分の行為と向き合ってしまう若者たちであった。 
「大場くん、あとどれくらいかかりそう?」
「……すぐですよ」
 残飯を流し水で洗っては食洗機に陳列させている大場が、不機嫌な声をあげた。
 すぐとは言っているが、モタモタしてるその手つきはどうもおぼつかない。
 これでは、洗浄後の食器の回収の役をやっている久頭見(くつみ)の手が空いてしまう。
 やれやれ、と大場がため息をついたとき、厨房の内線が鳴った。
「おばさ~ん、電話鳴ってるよ~」
「は〜い〜」
 久頭見が首をそらして教えると、おばさんは少女のような笑顔で返した。
 見目のいい大場と屈託がない久頭見を厨房にはべらせて、すこし上機嫌になっているようだ。さして良い働き手でもないが、まあ報酬がまかないだけなので、おばさんの懐は痛まない。
「はいはい」
 おばさんは内線をとって、ひと言ふた言会話をして受話器を置くと久頭見に向き直った。
「久頭見くん。外に配達業者さんが来ているみたいだから、ちょっと食器やめてそっち手伝ってくれないかしら」
「ええ~っ、俺だけすか?」
「根性、根性。力仕事のほうが得意でしょ?」
 このとき皿洗いに苛つきだしていた大場の肩がぴくりと動いた。
 しかし。友の微妙な感情のサインに、いちいち神経をとがらせている久頭見ではなかった。
「肉体労働はねー、疲れるんすよ〜」
 不満たらたらで呑気に厨房を出ていく久頭見を背中で感じて、自分の首から青筋のたつ音が聞こえたかに思った大場であった。

「まったく、何で俺が」
 ぶつくさ呟きながら裏手に回ると、一台の軽トラックが見えた。
 “緑葉色野菜 イロハ生活”
 カラフルな原色でかわいらしいロゴの入ったトラックの後ろから、茶髪の女の子がちょろりと顔を出した。
(え?)
 久頭見は一瞬、辺りを見回した。
 他に、人のいる気配はない。
(あれ?)
 もう一度、トラックに視線を戻す。
 ダンボールに入った野菜が、山積み。
 最大積載量を確実に越えているんじゃないかと思わせる、ピサの斜塔ばりの絶妙なバランス。
(こ、これを全部っ……!)
 久頭見の口の端が、ひくひくと動いた。
「あーっ、どうもこんにちは~」
 のどかな女の子の声が、空気を読まずに飛んでくる。
 明るい茶髪に猫目。
 ちょこっと泥で汚れた、カーキ色のつなぎを着た小柄な女の子は、にこにこして久頭見を招き寄せた。
 服装からいって手伝う気は満々らしかったが、仮にも3回兵士である自分が、この状況で女の子に作業を半分やらせるなんて真似ができる訳もなかった。
「……」
 久頭見が無言でダンボールに手をかけた、そのとき。
「うごっ!」
 予想外の重力が唐突に肩にぶらさがる。
 まるで、肥満の赤ん坊をあやしてる感じだ。
「こ、これなんだ?!
 赤くした顔で真っ青な空に視点をあげたまま、ぷるぷるしながら久頭見が聞いた。
 猫目の女の子は、ひょいとダンボールを覗き見て
「あ、それジャガイモ」
 あっさり言った。
「緑葉色野菜て……!」
 軽トラのかーいらしいロゴを思い出す。
 書いてあったのに。
 そう書いてあったのに!
「あれ、ブランド名だから」
 あっさり言った。
 のほほほん。
 久頭見が脂汗(あぶらあせ)をだらだらしながら歯を食いしばって立っているのに、猫目の子はものすごく普通のペースで会話をしている。
 どこの時間旅行中ですか、あなたは。
 少しイライラしながら、ダンボールを抱え直す。
 その様子を見て、女の子は言った。
「列ごと、持ってるからいけないんじゃないかなぁ」
 久頭見は、自分の抱えているダンボール箱を縦に数えた。
 ひい、ふう、みよ……。
 5箱。
「なるほど」
 しみじみとうなずいた。
「今度から、4.5《よんてんご》箱くらいにしとく」
 謎の小数点を例に挙げて、よろよろとジャガイモを厨房へと運び込んだ。
 女の子も、一箱手に取って、久頭見の後ろをちょこまかと付いて行った。

 それからの久頭見は速かった。
 小数点はやっぱり無理だったので(どうやろうとしていたのかは、あまりにも馬鹿馬鹿しいので割愛する)とりあえず4箱ずつ、まとめて抱えてはスタコラと厨房へ走った。
 その後ろをちまちまと女の子が付いてくる。
 抱えているのは一箱だけだが、それでも久頭見のペースに追いつくのは辛そうだった。
 何往復かした後で、軽トラの前で振り返ると、社屋の出入り口から女の子が慌てて駆けてくる姿が見えた。
 年の頃は自分とそう変わらない風だが、何だか幼げなその様子にどこか呆れて、久頭見はやっと女の子に声をかけた。
「俺、やるからいいよ。待ってな」
「え、でも、いつも手伝って」
「いつも?」
 そこで初めて久頭見は気付いた。
 この子、最初っから俺と初対面だという振る舞いは見せていない。
(誰かと間違えてるな)
 社会人としては年相応でもない、屈託のない幼い対応にやっと合点がいった。
「俺さ、君と会うの今日が初めてなんだけど」
 口調にやや不機嫌さが混じる。
 こらえたつもりだが、苦労して働いているのに他人と間違えられていたのは気分のいいものじゃない。
「あ……」
 女の子は、ぽかんとしている。
 ため息混じりに久頭見が言った。
「初めまして。で、君の名前は?」
 まだ若い久頭見の子供っぽさが、言葉の端に垣間見えた。
 女の子はしばらくの間、大きな目をぱちくりとさせて久頭見を見ていた。
 むさい男子寮生活に慣れきって、女性の視線を近距離に受けることなぞ随分なかった久頭見は、わずかに戸惑った。
 自分の動揺を悟られないように、慌てて彼女から目をそらす。
「俺、は、久頭見 咲地だ」
「くつみ?」
「う、うん。くつみ、さきち。さきちは大吉の吉じゃなくて、花が咲くの咲に、大地の地」
 聞かれもしないのに、下の名前の漢字の説明までしてしまう。
 よく間違えられるので、何となく教えておくのが習慣になってたせいもあるが、それにしても配達業者の子にまで。
 明らかに、久頭見は混乱していた。
「私、弓木(ゆみき)千草(ちくさ)
「千草……」
 ついぽつりと繰り返して、下の名前を呼び捨てにしてしまった不自然に、思わず顔を赤らめる。
(なんだなんだ、俺?)
「くつみ、さきち」
 女の子は、いや、千草は噛み締めるように久頭見の名前を繰り返して、くりくりとした猫目をまっすぐ彼に向けた。
 久頭見は、ぐっと喉の奥がつかえた。
 どう反応していいのかが、てんでわからなかった。
「チグサじゃ、ないんだ」
 特に気にかかったわけでもないのだが、名前の話題を続けてしまった。
「ん、チクサ」
「ああ……」
 どうしよう、これ以上話題は広がらない。
 けど、にごらないその名前の響きが心地良い、と思った。
 初対面の二人の簡素で間抜けな自己紹介の後は、少々変な間が空いて。
 千草がひたすら自分に向ける視線に居心地の悪くなった久頭見は、急いだふりをして荷台に向き直った。
「これもうすぐだから、車の中入ってろよ!」
 千草を見ないようにしながら、野菜の入ったダンボール箱を重ねて抱え込む。
 訓練よりもキツい、バランスの悪い荷物を持ちながらも、久頭見は小走りでその場を離れた。
 が、しかし。
 後ろからやっぱりてぽてぽと、間抜けな足音がする。
 確かめるまでもなく千草であろう。
「だぁっから、俺がやるってっ……!」
「受領書〜」
 ばっと振り返った久頭見の前で、千草はひらひらと伝票をかざした。
 責任者にサインを求めるその紙片をその目に認めて、久頭見はあっさり脱力した。
「ああ……そう」
 俺を、追って来たんじゃ、ないのか。
 見当違いも(はなは)だしい。
 恥ずかしさと拍子抜けとでさすがに気まずく思ったが、当の千草は久頭見の勘違いにそもそも気がついていないようであった。
 社食の裏口で、おばさんにサインを貰いながらニコニコしている千草の後ろ姿を見つめながら、久頭見は思った。
(なんだか俺……空回りしてないか?)
 なんてことのない、当たり前の日常の風景。
 その動作の中にあって、さっきからの自分はどうにも情けなく思えた。
 それというのも、いきなり現れたこのノラ猫のような千草のおかげだ。
 久頭見は理不尽な恨みを、千草の小さな背中にぶつけながら荷物を降ろした。
「久頭見、お前時間かかりすぎだろ!」
 喧嘩を売るような唐突の罵声は、当然、大場のものであった。
 タオルで乱暴に手を拭きながら、がに股でこちらへやって来る。
 どうやら久頭見が荷下ろしの作業をしている間に、食器の洗浄と回収と、両方終わらせてしまったらしい。
 半分巻き込まれた状態で手伝わされたにも拘らず、ほとんどの厨房内の仕事をやらされて、大場は憤慨しているようであった。
 大場は怒るとやたらとしつこく絡むので、結構面倒な男なのである。
 やれやれ。
 悪かったよ、と素直に謝ろうとして、久頭見は視界の隅の千草に気付いた。
 千草は、大場の顔を真剣に見つめている。
 若干笑顔のまま、大場の顔から視線をそらさない。
 久頭見は、ぎくりとした。
 自分も改めて、大場の顔を見る。
 性格はやな感じに粘ついている大場であるが、顔は、いい。
 一般的に見て、大場の面差(おもざ)しが整っていないと言う奴はあまりいないだろうし、背だってすらりと高い。
 レンタル兵士なのだから、もちろんそれなりに(たくま)しい体つきをしているし、声にしてもやたらよく通る。
 すなわち。
 外側から伝わる情報だけなら、大場はかなりパーフェクトなイケメン青年であるのだ。
(くそう、性格を表すメーターみたいなのが見えたらいいのに)
 限りなく無駄な願望を抱いてしまう、久頭見であった。
 いや。
 そんなことより、千草である。
 再び千草に視線を戻すと、やはり相変わらずまじまじと大場を見ている。
 大場の、顔を見ている。
(あああああ)
 久頭見は、焦った。
 どうしたらいいのかも分からず、ただただ焦った。
 その時。
「ん」
 自分をじっと見つめる千草の視線に、大場が気付いた。
 そして大場は初対面の小柄な美少女に、ひと言だけ、ささやいた。
「アホ(づら)だな」
「ぴゃっ」
 突然のいわれなき罵声に、さすがの千草も頓狂な声を出した。
 好感度だだ下がり間違いなしの、みごとな悪意である。
「……おお」
 大場の性格が産業廃棄物級のクズカスだという事実に、久頭見はこの時ほど感謝したことはなかった。
 千草にはちょっと……相当理不尽で可哀想なことではあるが、いつものよくある「あのイケメン紹介して!」パターンは確実に(まぬが)れた。免れたはずだ。
 もしかするとこのクズカスイケメンのおかげで、相対的に自分の株がうっかり上がったりしてるかも、などとも思ったりした。
「ありがたいことだ」
「はあ?」
 ひとり納得してウンウン頷いている久頭見を見て、大場は怪訝な顔をしている。
 持つべきものは、慇懃無礼(いんぎんぶれい)な友である。
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登場人物紹介

久頭見 咲地《くつみ さきち》

民間企業レンタル兵士3回生

実戦:未経験

性格:お気楽

スキル:貧乏、筋肉

アイテム:チクワ定食


「ああっ、今日もチクワ定食か……!」

大場 典《おおば てん》

民間企業レンタル兵士3回生

実戦:未経験

性格:冷房完備クズ

スキル:貧乏、筋肉

アイテム:シャケ定食、たまに眼鏡


「謝れ! 貴様、全国の誇り高き大場さんに謝れ!」

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