第4話 のどかなごやか初出征
文字数 3,137文字
第二講堂を出るやいなや、久頭見がスマホをいじり始めた。
「あ、ホントだ。アプリもうリリースされてる」
「げ、マジに」
「プレス午前中に出てたらしいしな。面白がって注文してるやついるんじゃないか?」
ぞろぞろと廊下を歩きながら一般兵士たちが困惑ぎみに話す。
いや、半分は呆れているというべきか。
いくら生き残りのためとはいえ、これはひどい。
彼らの多くは誇りを持ってこの仕事に就いている。
この一見平和な世の中の裏で繰り広げられている醜い争いを陽の下へ引きずり出し、自らの肉体を投じることで少しでも争いが健全に収まるように。
企業の争いに正義も何もないが、それにしても一個人の代理戦争に駆り出されるよりはまだ大義名分があるはずだ。
「これ、どっかの馬鹿ガキの痴話喧嘩に呼び出されるのがオチじゃねーの」
「18歳未満は登録できないよコレ」
「そういう問題じゃなくてな」
「まー、探偵稼業なんかも現実は殺人事件解決したりしないもんな〜。浮気調査とかほとんどだってぇしなー」
「俺の筋肉はそんなことのために鍛えてきたんじゃねーぞ!」
わやわやわやとイマイチ要点の定まらない文句が飛び交う。
女三人寄れば姦 しいとは言うが、では男は集まっても寡黙なのかというとそうでもない。
しかも各々が中途半端に理屈を並べたがって終着点が迷子になったりもして、なかなかどうして面倒臭い。
つまり男も女も、不満があるとき集まると面倒臭いのは同じであった。
「あああ、うるっせ~~」
どうせどちらも面倒臭いなら筋骨隆々のむさ苦しいのがきゃあきゃあ言っている方がつらい。とてもつらい。
何事にもスマートに行きたい大場は、このプチ地獄のような状況に頭を抱えた。
そのときである。
「プリアミから注文が入ったぞ!」
廊下の喧騒をものともしない野太い上官の声が頭上を駆け抜けた。
「ぷりあみ……?」
久頭見が無意識に繰り返す。
「プリペイド・アーミーのアプリの名前だよ」
傍らで誰かが教えてくれた。
「うわぁ……」
その答えを聞いていた数人が微妙に引いた声を漏らした。
「要請は実戦未経験の3回生だ。誰か希望者はあるか!」
ここにいる3回生のほとんどは実戦未経験である。
該当する兵士は溢れ返っているが、みな一様に顔を合わせるばかりだった。
「おい、久頭見」
大場が久頭見の腕を引き、耳打ちをしてきた。
「やるぞ」
「ええっ」
大場は強引に久頭見の腕をつかみ、どういうわけか真っ先に挙手をした。
「大場、久頭見組、ぷりあみ派遣に立候補いたします!」
「えええーーっ」
*
初めての戦場は公園だった。
初夏の涼やかな風が吹き、少しばかり日焼けが気になるような暖かい日差しが照りつける。
ベビーカーを押したママ友たちや、平日休みと思わしき仲睦まじい三人家族。
ランニングに勤しむ定年後の元気な老人。
久しぶりのドッグランに大はしゃぎするワンコたち。
「あ〜、のどかだなあ」
「幸せを絵に描いたような、安らぐ光景だな」
久頭見 と大場はぷりあみ専用のミリタリー服に身を包み、各々 の得物 を携えながらうんうんと頷いた。
久頭見は89式小銃に多用途銃剣を装備している。もちろんプリペイドアーミーには兵器の使用が許されなくなったため、よく似た何か、であるのだが。
ちなみに大場は9mm機関拳銃−−略称M9、に、似た何かだ。
心なしか家族連れたちがちょびっとずつ遠のいていくように見える。
「まだ昼間なのに、もう帰るのかな?」
「現代人は忙しいんだろう。いま少し心の余裕があったほうがいいんじゃないかとは、思うがな」
幸せな現代人の心のゆとりをメリケンサックで横殴りにしているのは明らかに自分たちなのだが、若者のわりに謙虚な彼らは公園中の注目を一身に集めていることに気付いていないらしい。
見上げた心意気である。
「ところで典 ちゃん」
視線を周囲に向けたまま、久頭見がつぶやく。
「“ちゃん”をつけるな」
視線を周囲に向けたまま、大場が機嫌悪そうに言う。
その仏頂面を背中合わせに軽く流して、久頭見は出発するときから気になっていた疑問を口にした。
「なんで今日メガネ?」
いつも裸眼だったはずなのに、よりによって今日に限って大場はメガネをかけていた。
それも光沢を抑えたメタルフレームのスクエアタイプで、だいたい誰がかけてもクールに見えそうなシンプルなデザインがたいへん苛 つく。
すると、わざとらしくフレームの位置を指の腹で直しながら、大場が答えた。
「俺は本気のときはメガネだ」
「へー」
嘘くさいな、と久頭見は思った。
「あぶなくないの?」
レンズの下で切れ長の目に不似合いな長めの睫毛を伏せ、大場が口の端で笑ってみせた。
「ふっ。メガネなんて人体の一部みたいなもんだろ、ほとんど」
その腹立つ横顔をしみじみ眺めながら、久頭見は89式小銃的なアレの安全装置をうっかり切りかけた。
「すごい自信だな、典。ふだんメガネつけてないのに」
「なに?」
「さて、依頼人はどこにいるのかな」
しれっとごまかして、久頭見がきょろきょろと辺りを見回した。
だが、それらしき人影は見えない。
「おっかしいなー」
スマホを取り出して、アプリから依頼内容を確認する。
依頼人はIDで表示されているだけなので、久頭見たちからは顔写真などの詳細を見ることはできない。
一応、管理システムの方ではきちんとした身元を確認しているので、出動前に資料を見せてはもらっていたのだが、どうも自信がなくなってきた。
もし変装でもされていたら見つけられる気がしない。
「こんなところで代理戦争だなんて酔狂な客だと思ったけど、本人もいざ来たら思い直しちゃったのかなー?」
「ふざけるな。そんなことでは困る」
大場がせっせとM9(みたいな何か)をチェックする。
「呼び出しちゃったらキャンセル禁止のカード決済だし、別にいんじゃね」
久頭見は、ふわぁとあくびをした。緊張感がないこと、この上ない。
「あのな」
こめかみに指を2本当てて、大場がため息をつく。
「何のために、いの一番にぷりあみ派遣に立候補したと思ってるんだ」
「なんで?」
答えの前にまず拳骨 が久頭見のうなじに落ちた。
「痛えっ!」
「お・ま・え・は」
大場はカルシウムの足りない顔で久頭見を睨みつけた。
給料が出たら速攻で牛乳と煮干しを買うべきである。
これだから薄給は人間を不幸にするのだ。
「やれやれ」
「……なんで悟ったような表情をしてるんだ?」
「ふっ」
久頭見は憐れみを込めた笑顔で大場の肩をぽんと叩いた。
なんだかよくわからなかったが無性に腹が立ったので、大場は同僚の頭に拳骨を追加した。
そのときである。
「あのォ……」
どこからともなく女性のか細い声がした。
依頼人か? と周りを見渡すが姿がない。
「なあ、依頼人って女の子だっけ」
「資料見ただろう、今さら」
大場が呆れる。
「いやだって、アプリで依頼人のニックネーム確認したら、自信なくなってきちゃって」
「ん、なんだったっけか」
久頭見がスマホを取り出して見せてやると、大場がひどくしかめ面 をした。
――『ニックネーム:はりはり鍋』
「これから代理戦闘を登録しようって人間が、どういう心境で自分にこういう名前をつけるんだ?」
「最後の晩餐はこれにしたい。って覚悟の証 なのかも」
「戦うのは俺らだろーが」
「じゃあ、奢ってくれるのかな。最後の晩餐に」
「あの〜ォ」
軽口を叩いている二人の前の自動販売機が喋った。
「うーん?」
久頭見が後ろに回る。
「あ」
ティーン雑誌のモデルみたいなあどけない美少女が、おずおずと姿を見せた。
「おお、はりはり娘」
「はい?」
美少女がピンク色の唇をぽかんと開く。
「このっ」
久頭見はM9の角でしたたかに背骨を殴られた。
「あ、ホントだ。アプリもうリリースされてる」
「げ、マジに」
「プレス午前中に出てたらしいしな。面白がって注文してるやついるんじゃないか?」
ぞろぞろと廊下を歩きながら一般兵士たちが困惑ぎみに話す。
いや、半分は呆れているというべきか。
いくら生き残りのためとはいえ、これはひどい。
彼らの多くは誇りを持ってこの仕事に就いている。
この一見平和な世の中の裏で繰り広げられている醜い争いを陽の下へ引きずり出し、自らの肉体を投じることで少しでも争いが健全に収まるように。
企業の争いに正義も何もないが、それにしても一個人の代理戦争に駆り出されるよりはまだ大義名分があるはずだ。
「これ、どっかの馬鹿ガキの痴話喧嘩に呼び出されるのがオチじゃねーの」
「18歳未満は登録できないよコレ」
「そういう問題じゃなくてな」
「まー、探偵稼業なんかも現実は殺人事件解決したりしないもんな〜。浮気調査とかほとんどだってぇしなー」
「俺の筋肉はそんなことのために鍛えてきたんじゃねーぞ!」
わやわやわやとイマイチ要点の定まらない文句が飛び交う。
女三人寄れば
しかも各々が中途半端に理屈を並べたがって終着点が迷子になったりもして、なかなかどうして面倒臭い。
つまり男も女も、不満があるとき集まると面倒臭いのは同じであった。
「あああ、うるっせ~~」
どうせどちらも面倒臭いなら筋骨隆々のむさ苦しいのがきゃあきゃあ言っている方がつらい。とてもつらい。
何事にもスマートに行きたい大場は、このプチ地獄のような状況に頭を抱えた。
そのときである。
「プリアミから注文が入ったぞ!」
廊下の喧騒をものともしない野太い上官の声が頭上を駆け抜けた。
「ぷりあみ……?」
久頭見が無意識に繰り返す。
「プリペイド・アーミーのアプリの名前だよ」
傍らで誰かが教えてくれた。
「うわぁ……」
その答えを聞いていた数人が微妙に引いた声を漏らした。
「要請は実戦未経験の3回生だ。誰か希望者はあるか!」
ここにいる3回生のほとんどは実戦未経験である。
該当する兵士は溢れ返っているが、みな一様に顔を合わせるばかりだった。
「おい、久頭見」
大場が久頭見の腕を引き、耳打ちをしてきた。
「やるぞ」
「ええっ」
大場は強引に久頭見の腕をつかみ、どういうわけか真っ先に挙手をした。
「大場、久頭見組、ぷりあみ派遣に立候補いたします!」
「えええーーっ」
*
初めての戦場は公園だった。
初夏の涼やかな風が吹き、少しばかり日焼けが気になるような暖かい日差しが照りつける。
ベビーカーを押したママ友たちや、平日休みと思わしき仲睦まじい三人家族。
ランニングに勤しむ定年後の元気な老人。
久しぶりのドッグランに大はしゃぎするワンコたち。
「あ〜、のどかだなあ」
「幸せを絵に描いたような、安らぐ光景だな」
久頭見は89式小銃に多用途銃剣を装備している。もちろんプリペイドアーミーには兵器の使用が許されなくなったため、よく似た何か、であるのだが。
ちなみに大場は9mm機関拳銃−−略称M9、に、似た何かだ。
心なしか家族連れたちがちょびっとずつ遠のいていくように見える。
「まだ昼間なのに、もう帰るのかな?」
「現代人は忙しいんだろう。いま少し心の余裕があったほうがいいんじゃないかとは、思うがな」
幸せな現代人の心のゆとりをメリケンサックで横殴りにしているのは明らかに自分たちなのだが、若者のわりに謙虚な彼らは公園中の注目を一身に集めていることに気付いていないらしい。
見上げた心意気である。
「ところで
視線を周囲に向けたまま、久頭見がつぶやく。
「“ちゃん”をつけるな」
視線を周囲に向けたまま、大場が機嫌悪そうに言う。
その仏頂面を背中合わせに軽く流して、久頭見は出発するときから気になっていた疑問を口にした。
「なんで今日メガネ?」
いつも裸眼だったはずなのに、よりによって今日に限って大場はメガネをかけていた。
それも光沢を抑えたメタルフレームのスクエアタイプで、だいたい誰がかけてもクールに見えそうなシンプルなデザインがたいへん
すると、わざとらしくフレームの位置を指の腹で直しながら、大場が答えた。
「俺は本気のときはメガネだ」
「へー」
嘘くさいな、と久頭見は思った。
「あぶなくないの?」
レンズの下で切れ長の目に不似合いな長めの睫毛を伏せ、大場が口の端で笑ってみせた。
「ふっ。メガネなんて人体の一部みたいなもんだろ、ほとんど」
その腹立つ横顔をしみじみ眺めながら、久頭見は89式小銃的なアレの安全装置をうっかり切りかけた。
「すごい自信だな、典。ふだんメガネつけてないのに」
「なに?」
「さて、依頼人はどこにいるのかな」
しれっとごまかして、久頭見がきょろきょろと辺りを見回した。
だが、それらしき人影は見えない。
「おっかしいなー」
スマホを取り出して、アプリから依頼内容を確認する。
依頼人はIDで表示されているだけなので、久頭見たちからは顔写真などの詳細を見ることはできない。
一応、管理システムの方ではきちんとした身元を確認しているので、出動前に資料を見せてはもらっていたのだが、どうも自信がなくなってきた。
もし変装でもされていたら見つけられる気がしない。
「こんなところで代理戦争だなんて酔狂な客だと思ったけど、本人もいざ来たら思い直しちゃったのかなー?」
「ふざけるな。そんなことでは困る」
大場がせっせとM9(みたいな何か)をチェックする。
「呼び出しちゃったらキャンセル禁止のカード決済だし、別にいんじゃね」
久頭見は、ふわぁとあくびをした。緊張感がないこと、この上ない。
「あのな」
こめかみに指を2本当てて、大場がため息をつく。
「何のために、いの一番にぷりあみ派遣に立候補したと思ってるんだ」
「なんで?」
答えの前にまず
「痛えっ!」
「お・ま・え・は」
大場はカルシウムの足りない顔で久頭見を睨みつけた。
給料が出たら速攻で牛乳と煮干しを買うべきである。
これだから薄給は人間を不幸にするのだ。
「やれやれ」
「……なんで悟ったような表情をしてるんだ?」
「ふっ」
久頭見は憐れみを込めた笑顔で大場の肩をぽんと叩いた。
なんだかよくわからなかったが無性に腹が立ったので、大場は同僚の頭に拳骨を追加した。
そのときである。
「あのォ……」
どこからともなく女性のか細い声がした。
依頼人か? と周りを見渡すが姿がない。
「なあ、依頼人って女の子だっけ」
「資料見ただろう、今さら」
大場が呆れる。
「いやだって、アプリで依頼人のニックネーム確認したら、自信なくなってきちゃって」
「ん、なんだったっけか」
久頭見がスマホを取り出して見せてやると、大場がひどくしかめ
――『ニックネーム:はりはり鍋』
「これから代理戦闘を登録しようって人間が、どういう心境で自分にこういう名前をつけるんだ?」
「最後の晩餐はこれにしたい。って覚悟の
「戦うのは俺らだろーが」
「じゃあ、奢ってくれるのかな。最後の晩餐に」
「あの〜ォ」
軽口を叩いている二人の前の自動販売機が喋った。
「うーん?」
久頭見が後ろに回る。
「あ」
ティーン雑誌のモデルみたいなあどけない美少女が、おずおずと姿を見せた。
「おお、はりはり娘」
「はい?」
美少女がピンク色の唇をぽかんと開く。
「このっ」
久頭見はM9の角でしたたかに背骨を殴られた。