第1話 兵士の社食から

文字数 4,058文字

 世の中は不景気で。
 バブルの時代は我々の知るところではなく。
 芸能人がタクシー代に札束の袋を貰っていたなどという武勇伝は、およそリアリティのない退屈な妄想にしか聞こえなかった。
 さらに言えば。
 この令和の世に、彼らのような民間武力会社の需要はないも同然で。
 兵士やスパイを必要とするユーザーは、年々減少の一途を辿っていた。
 すなわち――。

「ああっ、今日もチクワ定食か……!」
 3回生の久頭見(くつみ)咲地(さきち)は、社食のテーブルの上で突っ伏した。
 プラスチックのトレーに乗せられた昼食は、色の白くないご飯の碗の隣りに、山盛りのチクワの天ぷらが見えるだけだった。
 緑葉色野菜が足りない。
 というか、メインディッシュはどこだ。
 チクワか。このチクワなのか。
「ふふっ……、久頭見。貴様、あいかわらずチクワ定食か!」
 頭上から勝ち誇ったやな感じの声が降り注ぐ。
 無駄にファッショナブルな短髪を掻き上げて現れたこの男。同じく3回生の大場(おおば)(てん)である。
「あ、やな感じの大場 典」
 久頭見はテーブルにへばりついたまま、ストレートに状況を述べた。
「人の名前に妙な修飾語をつけるな。あと、なぜフルネームで呼ぶかっ」
「ごめん、テンテン」
「典だ! 繰り返すな! ちょっと可愛いアイドルか俺は?」
「じゃあ、大場だから……オバちゃん?」
「謝れ! 貴様、全国の誇り高き大場さんに謝れ!」
 大場の高らかな怒鳴り声が社員食堂に響いた。
 うるさいなあ。
 久頭見は面倒臭そうに、チクワをほおばった。
「で、お前は何食うんだよ」
 もぐもぐしながら恨めしそーに大場のトレーを見遣る。
 ふふふ。
 見たいの?
 見たいのね?
 勝ち誇った表情でわずかにじらして、大場は叫んだ。
「今日の俺は……シャケ定食だ!!」
「なっ、何ーー!!」
 久頭見は、思わず椅子を跳ね飛ばして立ち上がる。
 おののいて大場のトレーを見ると、そこにはピンクの艶やかな身を横たえた、ふくよかなひと切れがあった。
 これは紛れも無いシャケである。
「おっ……大場。お前一体どうやって……!」
「ふふ、俺がくる日もくる日もノリ定食で凌いでいたのは、この日この為のもの!」
「貯めていたのかっ……!」
「その通り。欲望しか見えてない貴様とは違うっ」
「くっ……くっそおぉぉ!」
 久頭見の拳が、社食の安いテーブルを叩いた。
 そして、大場の高笑いが食堂中を飛び交った、そのきっかり30秒後。
「…………はああぁぁ~っ」
 男二人のどんよりした溜め息の二重奏が、どっこい漏れた。
 大人しく座り直した二人の青年は、それぞれの定食をもそもそと口に運んだ。
「一体、いつになったらまともな給料が貰えるのかなぁ……」
 呟きながら、そろそろと伸びた久頭見の箸は、大場のシャケの上へ。
 無言でその手をぴしゃりとはたいてから、大場は答える。
「仕方あるまい。世の商社はコンピュータ戦争の時代だ。俺たちみたいな兵士を雇って、武力でどうのこうのっていうのは、もう時代遅れなんだ」
 その、時代遅れの業界に身を置いているはずの大場の口調は、どこか冷めている。
「命がけで特訓してさぁ……メシも満足に食えないんじゃ、筋肉つかないよ」
 情けない声を出す久頭見は、3回生になっても上がる気配を見せない給料の額を思って、途方にくれた。
「俺たちは自衛隊じゃないんだぞ」
 大場が、釘をさした。
「わかってるよ」
「今みたいに仕事がない状態で、訓練だけで給料が出てるだけで異常なんだ。こんなの、いつまで続くかわからんぞ」
「何のために……訓練しているのかなぁ。これから先、実戦なんてあるのかな?」
「言いたいことはわかるが、外では言うなよ。世間じゃ最近は、不謹慎だなんて言われるからな」

 昔から、民間企業の競争社会の中では、恐ろしいほどえげつない戦いが繰り広げられていた。
 情報戦に限らず、ライバル企業を蹴落とすためのあらゆる手口はどこの世界でも当然で。
 組織が大きくなればなるほど、バックについてくる組織も同時に肥大化し。
 警察の手の届かない複雑な裏の関係の中では、人の命のやり取りなんて、たいした重みもなく行われている日常風景に過ぎなかった。
 それを瓦解させるために、ある一企業が民間の意志で作られた。
 健全なる表立った場所で、双方合意の上で堂々と戦おうという名目で出来た(正当な競争をもはや諦めているあたりが、社会の馬鹿らしいところだが)、企業戦争専用の代理武力――即ち、レンタル兵士である。
 彼らは、顔を知りもしない企業のお偉方のために、戦う。
 武器を持ち、肉体を使い、若い命を戦場に晒す。
 相手は一般人ではない。
 戦いは、それぞれの企業が雇ったレンタル兵士同士で行われる。
 この戦いに勝利した企業が、自社に有益な無理を通すことができるのだ。
 昭和の後半、バブルの興奮期に生まれたこのシステムは、年号も令和に突入したいま閉塞期へと向かいつつあった。

「でも、人に批判されるような暴力組織でもないつもりだけど」
 久頭見は意志を持った瞳で、はっきりと呟いた。
「……当たり前だ」
 大場も、きっぱりと答えた。
 時代がデジタルへ移行した煽りで、レンタル兵士のシステムは終わりつつあるのである。
 けして道徳云々の問題ではない。
 コンピュータでの戦いに移ったということは、平和な戦いに変わったことにはならない。
 どこかで誰かが、知らないうちに理不尽に命を奪われるシステムへと戻ったというだけだ。
 見えないところで、えげつない何かが行われているということだ。
 デジタル化は、これまでのその悪習のスピードを速めただけだ。
 国のする戦争が必ずしも正義ではないように、自衛隊を志すものは立派で、民間のレンタル兵士の職についたものが非人道主義者だというわけではない。
 暴力が悪であることは絶対の事実で。
 それでもそれが起きるとき、その場所に身を置くことを決意した者たちは、皆それぞれに信念を持ち、事情を抱えているのだ。
「……とは言っても、食っていけないんじゃ、参ったね」
 今さら社食なんかで、仕事の存在意義について論争したところで仕方が無い。
 久頭見はふと我に返って、空になったトレーを下げた。
 続いて大場も、席を立つ。
 久頭見は大場の皿に残っていたシャケの皮をつまみあげて、パクリと口に入れた。
「おまっ……!」
 呆気にとられた大場が、顔を引きつらせた。
「うんもにゃ、はわいおよ?」
 もぐもぐもぐ。
「何言ってるか、わからん! つか、汚ねえ、お前!」
 トレーの返却口の前で再び喧嘩を始めた二人に、さすがに怒号が飛んだ。
「うるさいぞ、3回生!」
「すっすいません!」
「すいません!」
 びくっとして二人が、見をこごめる。
 二人に怒鳴った先輩は、襟のカラーを見るとどうやら4回生だ。
 彼らの組織は、初年度の「初回生」から始まり、1年ごとの昇進試験で2回生、3回生と上がっていく。
 一般兵士は5回生までで、それ以降は幹部クラスか内部業務員へと分かれることになる。
 民間企業とはいえ、組織の体質上、どうしても上下関係は厳しいのだった。
 二人は、互いを恨めしそうな目で睨みながら、
『お前のせいだ、バカやろう』
 と、心の内でなじり合っていた。
「ちょっと、あんたら」
 カウンターごしに、年配のおばさんが声をかけて来た。
 邪魔だったかな、と慌ててどきかけた二人を、おばさんの手が引き止める。
「待ちなさい待ちなさい。お金、ないんだったら、厨房の仕事を手伝ってくれない?」
「はい?」
 おばさんが言うには、最近パート職員が数人辞めて、社食の手が足りない状況なのだそうだ。
 募集はかけているようだが、すぐではないし、経費削減のために人数はとらないようだから、今後は少し大変らしい。
 空いてる時間にちょっと手伝ってくれれば、まかない料理をあげるから、という条件だった。
 ひと通り話を聞き終えると、大場はため息まじりに返事をした。
「遠慮しますよ。僕らは、仮にも正兵士です。職務が終わっても、昇進試験に向けて勉強しなければいけませんしね」
「あ、僕やります」
 久頭見がすかさず答えた。
 はーい、と小さく挙手なんかもしてみる。
「あらそれは助かるわ。あなた、名前は?」
「僕、久頭見です。あいつは、大場です」
 聞かれもしないのに、後ろの大場を指差した。
「俺はやらんと……」
「今日これから皿洗いとかしましょうか? 今日のまかない、まだあるんでしょ?」
 カウンターに身を乗り出して、足をプラプラさせながら、無邪気に覗き込む。
「あら、それはうれしいけど……今日はもう食べたんじゃない?」
「チクワ定食じゃ、若者の腹はふくれませんよ! って、アーッ! それ肉すか? 肉じゃないすか?!
 1オクターブ上がった久頭見の声が光った。
「おい、典! 肉だ! 肉だぞ、見てみろ。茶色いぞ!!
「……!」
 大場の手からプラスチックのトレーが滑り落ちた。
 いかにも安っぽい音を奏でながら、いくつかは厨房の側へ転がって行く。
「あらま」
 おばさんが、皿を眺めてのんびりつぶやく。
「ああ、これは。失礼をばいたしました。ミス」
 大場はべルサイユ宮殿に舞い降りた貴公子のごとく優雅な仕草で振り返り、うやうやしくお辞儀した。
 久頭見は、こんなうやうやしさを見たのは人生で初めてかもしれない、と思った。
 実にいらないときに、いらない初体験をしてしまった感がある。
「あらー! やだわ~、ミスだなんてっ!」
「大場典、このご無礼をバイトで償いましょう。なに、勉学の時間など作ろうと思えばどうとでもなりますので」
「助かるわー! こんなイケメンくんが一緒に働いてくれたら、あたし若返っちゃうわよ!」
「はっはっはは」
(何が、はははだ。そんな笑い方する奴が学芸会の下手な悪役以外にいるか)
 そもそも皿が落ちた瞬間に、大場の足が不自然な動きをしたようだったのは気のせいだろうか。
(まあ、そういうことにしておこう)
 久頭見は寛大な心で大場を許すことにした。
 タンパク質を前に、血沸き肉踊らない若い男はいないのだ。
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登場人物紹介

久頭見 咲地《くつみ さきち》

民間企業レンタル兵士3回生

実戦:未経験

性格:お気楽

スキル:貧乏、筋肉

アイテム:チクワ定食


「ああっ、今日もチクワ定食か……!」

大場 典《おおば てん》

民間企業レンタル兵士3回生

実戦:未経験

性格:冷房完備クズ

スキル:貧乏、筋肉

アイテム:シャケ定食、たまに眼鏡


「謝れ! 貴様、全国の誇り高き大場さんに謝れ!」

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