第1話

文字数 3,695文字

     月の御霊(つきのみたま)

   月蝕(ゲッショク)
 
  第一章『月読命(ツクヨミノミコト)

「お母様の思考データーと記憶データーは確認する事が出来ました。いつでも当社のサービスは受けられます。可能ならばお母様の肉体の生命反応があるうちに、お母様御本人の同意も頂けると良いのですが。同意の言葉やサインではなく、こちらの問いかけに対する脳波の反応だけでも法的には問題ありません。如何いたしましょう」
「分かりました。ただ。もう少し待ってください」
 今や、人の思考や記憶をデーター化して人工知能を使い、その人の人格を蘇らせる事は当たり前の世の中だ。人間と見分けがつかない程リアルなアンドロイドが複製した故人の人格を持ち、人と一緒に生活をしている世界なのだ。人工知能が社会に浸透した今、人工知能の人格を認め、人工知能が人権を持つ事を認めるべきだとの意見も広まっている。
 俺は、いったい何を悩んでいるのだろう。

 帰り道で、イベント会場のように明るい葬儀場の前を通ると、参列者達は皆、笑顔でお祭のように楽しそうだ。
「エイッ。ヤァー」
「有難うございます。おじいちゃん、お帰りなさい」
 パチッ。パチッ。パチッ。パチッ。
 最近、流行している、葬儀場での行事をやっていた。故人の肉体を火葬などで完全に消去して、僧侶が位牌に魂をこめるが如く、人工知能を搭載したアンドロイドに向かって念じる。そんな儀式みたいな事をする人が最近は増えている。
 アンドロイドは故人の元気な頃の姿で生前のように社会生活を営む。
 永遠にだ。
 もはや隠れる場所は無くなり、この世界から影は消えた。
 見上げると、陽の傾きかけた東京の空に陽炎のような上弦の月が浮かんでいた。

 自宅近くのお気に入りのカフェで俺は青白く光る月を眺めていた。
 随分と前に、目の手術をした母が嬉しそうに『お月様が良く見える』と言って、喜んでいた姿が蘇ってきた。もちろん、その時の母の目は人工の眼球だ。

「お待たせしました」
 看板娘のケイちゃんがコーヒーを運んできてくれた。
「お月様の綺麗な、気持ちの良い晩ですね」
 ケイちゃんが月を見ながら微笑んだ。
 俺の視線は月からケイちゃんの笑顔、そして、首元へと移った。白いブラウスに映えるケイちゃんの素肌は陶器のように滑らかで透き通って観える。
 どこからか新緑の薫りが漂ってきた。夏も近いようだ。
「あっ。ありがとう。俺さ、月を観るのが好きでね。知ってるかなぁ。人って、胎児の時に母親の、お腹の中で羊水に(いだ)かれて育つでしょう、だから、海の満潮や干潮のリズムを感じているという説があるんだって」
「人間って、神秘的でロマンチックな事に心を惹かれるんですよね。私が以前に読んだ本に書いてあったんですけど、月は毎年、地球から3.8センチメートルずつ遠くに離れて行くんですって。何だか時が経つほどに神秘的な世界が遠くへ行ってしまいそう」
「そうなんだ。あっ、そうだ。来週の金曜日は満月らしいんだけど、俺の御気に入りの夜景スポットでお月見でもしないかい」
「ロマンチックですね。夜の八時なら大丈夫ですよ」
 ヤッター。看板娘のケイちゃんとの初デートが決まった。

 一週間後、神々しく白い光に満ちた月はあまねく地上を照らしていた。
 月の明かりに照らされて、光沢の艶を放つケイちゃんの細い腕に魅了される。
 初めて見るケイちゃんの私服姿。落ち着いた花柄のワンピースが初夏の微風に舞った。
 満面の笑みのケイちゃんが吐息を漏らすように言った。
「まぁ。本当に綺麗」
「月が綺麗ですね。へっへへ。ケイちゃんと一緒に、こんな綺麗な満月を観られて嬉しいよ。俺も気づいたら、こんな歳になっちゃたけどケイちゃんみたいな人と一緒に生活を出来たら良い人生をおくれるんだろうなぁ」
「あら、お上手ね。私も、そんなに変わらない歳なのよ。もしかしたら、私の方が年上かもよ。じつわね。私、アンドロイドなの。だから結婚は出来ないのよ」
「えっー。まさかっ。えっー」
「ごめんなさい。もう、とっくに御存知かと思ったわ。もっとも、今、国会で審議中の法案が可決されれば、私も結婚する事が出来るわ。私のDNAは保存されているから、私の遺伝子を持った子供を誕生させる事も出来るのよ。フッフッフッ。どうする」
「あっ。いゃ。ちょっと、びっくりしちゃって。何て言っていいのか」
 ケイちゃんは、いたずらっぽく笑っている。俺は今迄、違和感を持っていたアンドロイドに恋をした。自分の価値観が崩れそうになった。
「女性型の人造人間をガイノイドって言う人もいるみたい。元々、アンドロイドって造語で、昔の小説に使われたんですって。まさか、私が人造人間になるなんて考えてもいなかったわ。私ね、小さい頃から神秘的な事とかが大好きで、そういう本ばかりを読んでいたの」
「俺もよく、大昔の神社巡りとかをしていたよ」
「本当ぅ。私ね、一度、行ってみたい所があるの。山形県の出羽三山って知ってる。即身仏で有名なミイラが有る所。そこのピラミッド型の山頂に月山神社(がっさんじんじゃ)っていうのが在るんですって。大昔は『つきやまのかみしろ』って呼ばれていて、月の神様がいるんですって。フッフッ。面白そうじゃない。私の事、嫌じゃなかったら一緒に行ってみない」
「いや。嫌な事なんて無いよ。でも、ミイラとか何か、気持ち悪いなぁ。俺は死んだら、きれいサッパリと何も残さず、自然に還りたいよ。あっ。ゴメン。無神経な事を言っちゃって」
「ううん。いいの」
 ケイちゃんは哀しげに笑った。
 夜の風が少し、肌寒かった。
 東京の空に浮かぶ月は、ただ輝いている。
 この光が地球の裏側にある太陽の光を反射しているだなんて、科学的な説明をされても未だに信じられない。

 初夏の出羽三山は、茂る緑の葉が青空に映えて眩しかった。
 夕刻に雲が崩れ落ちたかのように霧がたちこめる山道を月の軌道に導かれるように登り続け、山頂に着いた頃には、もう日が暮れていた。

 出羽三山といえば、大昔から有名な所らしいが人影もまばらで寂れていた。
 参拝者というか、観光客は俺たちの他に一組しかいない。何しろ、今や人類はテクノロジーの力で永遠の命を手に入れたと思っている。
 俺の連れのケイちゃんは、いったい何歳なのだろう。
 月山神社の御祭神だという月読命(ツクヨミノミコト)はケイちゃんの発する言葉をどう受け止めているのだろう。
 俺には、もしかしたらケイちゃんの今の姿こそが月読命の化身ではないかと想えてきた。
 月の明かりに照らされたケイちゃんのシルエットは抱きしめたら壊れそうに細く、(いと)おしかった。
「ねぇ、私も、そうよ」
「えっ、何が」
「以前、言ってたでしょう。死んだら何も残さず自然に還りたいって」
「あっ。ゴメン」
「ううん。ただね。私、親より先に死ねなかったの。あっ正確には、もう私、死んでいるのにね。フッフッ。今でもね」
 ケイちゃんは子供っぽく笑った。
「御両親は今、どうしているの」
「実は先月に母が亡くなって。父は三年前に。だから、私も。もう。もう、この世界に存在する意味がないの」
「そんな事無いよ。俺たち、こうして出逢う事が出来たじゃないか」
「ありがとう。でも私、死んでいるのよ。もし、私がこの世界から消えても隠れているだけよ。いつも(そば)にいるわ」
「何を言っているんだよ。消えるだなんて」
「知っているかしら。私のここのスイッチを切ると、私ね、動かなくなるの」
「えっ。じゃまた、俺がスイッチを元に戻すよ」
「だめよ。私ね、もう記憶データも思考データーも身体機能をアップデートする事も出来ない様にと解約してきたし、私のDNA遺伝子も破棄して来たの。だから、もう、さよならよ」

 月山の夜風が通り過ぎ、山の猛禽(もうきん)の鳴き声が遠ざかっていく。
 俺はどうする事も出来ず、ケイちゃんを見詰めていた。
 無邪気に笑いながら、手を振るケイちゃんは俺に別れを告げた。
「さようなら」
 ケイちゃんは出羽三山を照らす月を見上げると、笑顔で自分のスイッチを切った。
 バタッン。
 ケイちゃんの身体が崩れ落ちた。

「うわぁ。何だ、何だ。オイッ。コイツ。アンドロイドか。アンドロイドが自殺したのか」
 近くに居た観光客が何かをわめいている。

 先程までケイちゃんの言葉を喋っていた抜け殻の機械は、まるで冷たい鉱物のように道端に転がっていた。
 ケイちゃんの魂は何処に逝ったのだろう。出羽三山のミイラ達は何も教えてくれなかった。

 西の漆黒の空に赤褐色の淡い光を放つ十六夜(いざよい)の月が浮かんでいた。

 ケイちゃんの居なくなった東京の街は一週間前と何も変わらずに動いていた。
 この街の人達は七日前のケイちゃんの笑顔を誰も知らない。
 都会の夜空に浮かぶ下弦の月は何事も無かったかのように、この世界の営みを照らしている。

「息子さん、どう致しますか。お母様の思考データーと記憶データーを人工知能にダウンロードいたしますか」
「いえ。消去してください。母は、いつも俺の傍に居ますから」

 今でも瞼を閉じると、俺の脳裏には元気な頃の生き生きとした母の姿が蘇ってくる。

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