第2話

文字数 2,643文字

  第二章『秘密』

 俺は妻に秘密にしている事が有る。かつて、俺は妻の妹に恋をした。
 言っておくが彼女が妻の妹だと知ったのは結婚した後の事だ。いつも、スーツ姿のキャリア・ウーマンの妻が、まさか、あの、か細い妖精のような彼女の姉だなんて考えてもみなかった。
 妻の家族写真を見た時は驚いた。
 その事を妻に言おうとしたが、俺は言葉を飲み込んだ。それ以来、言いそびれている。

 私は夫に秘密にしている事が有るのよ。
 不倫?まさか。そんなんじゃないわ。夫はね、私と結婚する前に、私の妹の事が好きだったのよ。夫は私が気づいていないと思っているけど、知っているわ。だって私は、それを承知で、私の方から夫に近づいたんですもの。
 フッフッ。まさか、こんな事になるとは思ってもいなかったけど。

 俺たち夫婦には娘が一人いる。
 子供が産めない妻との間に子供を作る方法はいくらでもある。卵巣と子宮の無い妻でも、今の科学技術で妻と俺の遺伝子を持った子供を誕生させる事も出来る。
 だが、妻は俺に言った。
「妹のクローンを私達の子供として育てたいの」
 あまりに意外な提案だったので、俺は困惑したが妻が熱心に懇願するので承知した。
 その時だ。妻の妹の写真を見たのは。
 正直、不安だった。だが、家族というのは案外、一緒に過ごした時間が作るものなのかも知れない。俺はうまくいっている家庭だと思っている。今迄は。
 近頃、年頃になった娘がみせる表情は妻の妹にそっくりなんだ。性格も、しゃべり方も、全く違うのに。声や表情はドッキッとする位、同じ時がある。
 そして、昨日まで子供だと思っていた娘がいつの間にか女の顔になっているのが、親として嬉しい様な、哀しい様な、寂しい様な。

 あの時、私と妹は二人で旅行中だったのよ。妹が行きたがっていた山形県の出羽三山へ行く途中だったの。
 酷い事故だったわ。不運な人的ミスが重なったの。
 私は子供を産めない身体になり、妹は亡くなったの。でも、現代の科学技術で妹はアンドロイドとして蘇ったわ。
 両親を苦しめたくなかったの。あの時はね。
 両親が亡くなると妹は、この世界から消えたわ。アンドロイドの命ともいえる人工知能を停止し、この世界に自分の痕跡を残さないかのように、自分のDNA遺伝子も破棄しようとしたの。
 私は妹の意志に背いて、彼女のDNA遺伝子を守ったわ。
 そして、娘のケイコが産まれた。
 正しい事だったのかは分からない。
 だけど、娘は生き生きと元気に育ってくれたわ。妹と違って、活発でスポーティーな娘。妹よりも体格も良いし、お喋り好きなのよ。ジーパン姿の似合う今どきの娘ね。

 俺の娘のケイコは、自分が母親の妹のクローンだという事を知っている。この御時世、珍しい事ではない。娘の同級生の半分はクローンかアンドロイドだ。何も不思議な事は無い。俺の母親の目は人工の眼球だったし、父親は再生医療で歯の移植をした。
 命に違いがあるものか。それに娘のケイコは決して、妻の妹の生まれ変りではない。違う命だ。ケイコの魂は生き生きとしている。ただ、遺伝子が同じというだけで違う人格で、違う人生をおくっている。
 その娘がとんでもない事を言い出した。
「あたし、出羽三山に行ってみたいのぉ。ネッ。お父さんと、お母さんも一緒にねぇ。久しぶりに家族旅行でもしない」
「えっ。何で、そんな所に」
「ダメよ。駄目。別の所にしましょう」
「おう。そうだな。沖縄でダイビングなんかはどうだ。父さんが教えてやるよ」
「ううん。ダメッ。ゴメンなさい。昔、お母さんが事故に遭ったのは知っているの。でもね、どうしても行ってみたいんだっ。出羽三山の御月様って綺麗なんでしょう。見てみたいなぁ。あたし、そこから出発したいの。だからねぇ、お願いっ」
「出発ってなんだよ」
「連れて行ってくれたら、そこで話すのっ。ねっ。家族旅行なんて滅多に行けないんだからさぁ、お願いっ」
 タンクトップから、はち切れそうに匂い立つ若い娘の腕がのび、手を合わせ、片目をつぶって、笑うケイコ。
 妻は、黙ったままだった。
 俺たち夫婦は娘の願いに反対できなかった。
 翌日、電車と宿の予約をした。


 初夏の出羽三山は、茂る緑の葉が青空に映えて眩しかった。
 夕刻に雲が崩れ落ちたかのように霧がたちこめる山道を月の軌道に導かれるように登り続け、山頂に着いた頃には、もう日が暮れていた。
 神々しく白い光に満ちた月は、あまねく地上を照らしていた。

「まぁーっ。ほんとーにキレ―イッ」
 娘のケイコは肌寒い山頂でもタンクトップにジーパンという、いでたちで小さな子供のようにはしゃいでいた。
 電車の中で落ち着かない様子だった妻も月山神社(がっさんじんじゃ)から観る満月に魅了されていた。
 普段、スーツ姿ばかりの妻が初めて見せる花柄のワンピース姿。俺は二十四年前の妻の妹を想い出した。
 俺は以前、妻の妹がアンドロイドだった頃に、一緒にこの場所に来た事があった。
「俺、前に、ここに来た事がある」
「知っているわ。フッフッ。当然でしょう。妹をアンドロイドにしたのも私。妹のアンドロイドの身体を解約したのも私なのよ。私ね。妹と最期に一緒に居た男性(ひと)に会ってみたかったの。まさか、その男性と結婚する事になるとは思ってもいなかったけどね」
「えっ。まいったなぁ。ゴメン。言い出しにくくて」
「いいの。でも、私、貴方と結婚する事になった時、やっぱり妹の事を引きずっていたのかも。子供は欲しかったの。養子でもイイから、家族を作りたかったのよ。貴方と私で育てた子供が大きくなって結婚して子供を産む。そんな家庭を作りたかったの」
「あぁ。ケイコも、もう、年頃だもんなぁ」
「私ね。魂ってあるとしたら生きている人の意志だと想うの。一生懸命に生きた人の意志は生き残った人に影響を与えて、魂は生き続けるんじゃないかって想うの」
「あぁ。そうかもな」
「お父さーん。お母さーん。何を話しているのー」
 遠くで無邪気に手を振りながら叫ぶ娘の月の明かりに照らされたシルエットは、妖艶に舞う月の妖精のようだ。
「お父さーん。お母さーん。あたしねー。好きな人がいるのー。プロポーズされちゃったー。彼に会ってくれる―」
「ナニー。おまえ―。そんな事を言う為に、こんな遠くまで連れて来たのかー」
 俺は思わず、娘を怒鳴ってしまった。
「あたしねー。彼の、お嫁さんになりたいのー」
 黙って娘を見守っていた隣の妻の目から涙がこぼれ落ちた。
 妻の視線の先には元気な生き生きとしたケイコの姿があった。
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