第3話

文字数 2,123文字

  第三章『命の種』

「お姉さん、私の為に自分の身体を傷つけないで。私は、ちっとも悲しくないんだから。信じて。私は目に見えない世界に逝くだけよ。いつも、(そば)にいて観ているから」
「ダメよ。ケイちゃん。『お嫁さんになるのが夢』って小さい時から言ってたじゃない。生きるのよ。妹の為に腎臓を一つあげるなんて、当たり前じゃない」

 あまりに急な出来事だったわ。
 臓器移植は自分の細胞を培養して行うのが当たり前の世の中なのに、妹の病気が判明したのが遅すぎたの。妹の細胞を培養する時間も無いほどに病気は進行していたの。父も母も、妹の腎臓移植には拒否反応がでて適さなかったわ。
 でも、私と妹の相性はピッタリ。だったら当たり前じゃない。
 妹も私も、二人はお婆ちゃんになるまで生きるに決まっているわ。

 妹を納得させて、手術の日が決まったの。
 無理をしないという約束で手術の前に妹と二人で旅行をする事になったのよ。
 妹が、どうしても行ってみたいと言っていた山形県の出羽三山へ。

「一度、行ってみたい所があるの。山形県の出羽三山って、即身仏で有名なミイラが有る所。そこのピラミッド型の山頂に月山神社(がっさんじんじゃ)っていうのが在って、月の神様がいるんですって。私、月って大好き。観ていると引き込まれそうになるの。月の光って太陽の光が反射しているんでしょう。何だか不思議な気持ちになるわ。まるで、太陽と月の秘密の約束事みたい」
 小さい時から神秘的な事が好きだった妹が嬉しそうに話す姿を見て、私は旅のプランをたてたの。

 私は普段通りの着慣れたスーツ姿。妹はお気に入りの花柄のワンピース。
 妹の、あの日の優しい笑顔を私は一生忘れない。
 その日は雲の切れ間に蒼い三日月がかかり、涼しげな風の吹く晩だったわ。
 まさか、あんな事故に遭うなんて。

「気が付かれましたか。ここは病院です。分かりますか。お父さん、お母さんもいらっしゃいますよ」
「えっ。んー。お父さん。お母さん。わたし」
「大丈夫か。事故に遭ったんだぞ。大丈夫かぁ」
「五日間も、眠ったままだったのよ」
 お母さんが泣いている。私。電車に乗ったの。事故。
「あっ。ケイちゃんは。ケイちゃんは何処っ」
 父も、母も、医師も口を閉じたまま返事は無かった。
 私の身体は急に重くなり、病院のベットに沈んでいく。
 暗闇が迫り、心が閉じていくようだった。
 その日の晩、私は月経の時に流れる経血の色をした赤黒い月が欠けていく夢を観た。

 入院中にカウンセリングを、受けさせられたわ。
 真実を知ったのは事故から二ヶ月後の事だったの。
 事故で私は内臓を損傷。私は子宮と卵巣を失い、大量の出血。緊急搬送された病院で私の心臓は止まった。妹も同じ病院に搬送されたが脳死状態となった。
 父の判断は冷酷なまでに早かった。娘二人を同時に亡くす事を考えれば、とっさの決断を下した父は立派だったのかも。
 一番辛かったのは父と母だったのだから。
 だけど、真実を知った後、しばらく私は自分の命の存在を受け止めらる事が出来なかった。
 私の身体の中でケイちゃんの心臓が鼓動を打つたびに胸が苦しくなり、涙がこみあげてくる。
『それでも生きる。私はケイちゃんから命の種をもらったの。強く生きるわ』
 妹の脳は、すぐに冷凍保存されたの。今の科学技術では妹の思考や記憶を再現した人工知能を作る事も出来るからよ。現に人工知能で故人の人格を蘇らせたアンドロイドも存在するわ。世論も大きく変わりつつあり、あと数年もすれば人工知能の人格も認められるって話だわ。世の中の動きは速いわ。専門家に言わせると十数年後には、まわりの人の半数は人工知能を持ったアンドロイドかクローン技術で生を受けた人間が当たり前に生活して居る世の中になるんですって。そして、私は妹をアンドロイドとして蘇らせる決意をしたの。両親も賛成してくれたわ。

「いらっしゃいませ。」
 母の経営するカフェで働く妹の笑顔は生前と何も変わっていなかったわ。でも、歳をとる事の無い妹の本当の気持ちを聞いた事は無かったの。
 妹がアンドロイドとして生活するようになって一年後に父は亡くなった。その三年後に母も。母の葬儀を終えた翌月に妹は、この世界から姿を消したの。
 妹は自分で人工知能のアップデート機能を解約してスイッチを切ったの。その七日後、出羽三山の絵ハガキが届いたわ。短い文章が書き添えてあった。
『やっと、出羽三山に来れました。出羽三山の三つの山って、現在、未来、過去の世界をあらわしているんですって。死と再生の象徴らしいの。私にピッタリの場所だったのね。お姉さん、ありがとうね。お父さん、お母さんを見送る事が出来て、私は本当に幸せです。小さい時から、お姉さんは私の太陽のような存在よ。私は月かな。お姉さん、悲しまないでね。私は目に見えない世界に逝くだけよ。いつも傍にいて観ているから』
 私は悲しまなかった。生きるわ。魂のこもった命の種をもらったんですもの。この魂を引き継がないと。
 見上げると、都会の夜空に浮かぶ下弦の月は何事も無かったかのように、この世界の営みを照らしていたわ。
 今でも、瞼を閉じると私の脳裏には元気な頃の生き生きとしたケイちゃんの姿が蘇ってくるの。

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