第4話
文字数 2,721文字
三太は、ふりむきざま、すぐうしろにいた金之介の足もとにけりを入れた。
金之介がころんだ。
「こ、こいつ!」
顔色をかえた銀之介と銅の介が、二人同時に飛びかかってきたのを、三太は、体をななめにしてよけた。よけそこねた銀と銅は、はでにおでこをぶつけた。
「実力は見切った。けがするから、やめといたほうがいい」
三太は、銀と銅を見下ろした。
大井一座のあとつぎとして、幼いころから、剣術、槍術、体術を、きびしくたたきこまれてきた。すべて芝居のためだが、兄弟子たちと実戦もこなしている。
「くそお、すばしっこいやつめ!」
金之介が、また棒をふりかざしてとびかかってきた。ふりおろされた棒が、三太の顔の目の前で、ひゅんとうなる。
しゅんかん、すうっと血が引く音がした。
「てめえら……いいかげんにしねえと」
三太の口調が変わったことに気づいた三つ子が、じりりとあとずさる。
そのとき、どこからか、散りかけのさくらの花びらが、はらはらとおどるように、まいおりてきた。
自分でも気づかないうちに三太は、かっと目をみひらき、三つ子を、にらみつけていた。
「そんなにおどりたいなら、おれがおどらせてやらあ。金銀銅だかしらねえが、江戸の桜は天下の桜。さくら、さくら……いずれ散りゆく祇園精舎の鐘の声」
三太が言い終わらないうちに、金之助がとびかかってきた。三太は流れるような動きで、よけざま、金之介の手首を強くたたいて棒を落とした。
「まえや、おどれや、小手!」
「ぐう」と金之介が転がった。
三太は落ちた棒をひろい、ふりむきざま、とんぼをきった。よけるだけなら半歩下がればすむところも、くせでつい大げさにとんぼを切ってしまう。
棒は左手に持ったまま、右手で、銀之介のわき腹に手刀を入れた。
「乱れ咲き! 胴!」
銀之介が「うう」とうなって転がった。
最後の一人、銅之介がやみくもにとびかかってきた。三太は、棒をゆっくりとふりあげた。
「金銀銅の桜ふぶき!」
棒を両手でぐるんぐるんとまわすと、桜のはなびらが、はらりはらりとおどる。
「さーくーらー、ふーぶーきー!」
つぎのしゅんかん、棒を投げすて、ひるんだ銅之介を足払いにした。銅之介は、うなるかわりに「ぷう」となさけない音をはなって転がった。
その横で、三太は、大きく見得を切った。
「いっけーん、らくちゃーく! てめえら、すぐにこの場からうせやがれ!」
三つ子は、頭とわきばらと手首を押さえてにげていった。
後ろ姿を見おくった三太は、首すじの汗を手の甲でぬぐった。てきとうに考えた口上も、タテも、最後の見得までばっちり決まった。
一芝居終わったあとのようで気持ちがいい。
「お客がいねえのがもったいねえな」とつぶやきながら、ふりむく。
とそこには、ねねが、目をいっぱいに見開いていた。
しまった。
お嬢さまの前で、丁稚らしくないふるまいをしてしまった。これではあまりにも、格好よすぎて、役者じゃないかとうたがわれてしまう。
「お、お嬢さま、すんません」
いまさらながら、わざと間がぬけた顔をして、頭をぼりぼりかいてみせた。
ねねは、真赤な顔で、きっと眉をつりあげた。
「すんませんじゃないわよ! ばか! なんだと思ってるのよ! あんたなんて、あんたなんて……丁稚のくせに!」
ねねのあんまりな言い方に、三太は、むっとしたが、顔には出さず、頭を下げた。
「お嬢さま、すみませんでした」
役を演じていると思えばなんでもできる。それが大井桜三郎だ。
それに、とどけものも無事だった。
大井座についた三太は、家に戻ったような気になって、劇場の裏口にかけよった。奥にむかって声をかける。
「松坂屋です。おとどけものを持ってまいりました」
あいさつもちゃんと丁稚らしくできた。
すると、若い男が顔を出した。知らない顔だった。手伝いの下男だろう。
「あ、そう」
男は、ふろしきづつみを受けとり、すぐにひっこもうとした。
「あ、あの」
思わず男をひきとめる。男は、いぶかしそうな顔を三太に、というより後ろにいたねねにむけた。その視線の意味は三太にもわかる。熱心な女性客が裏口までおしかけたりすることは少なくない。それに中は、次回公演の準備中らしく、すごくいそがしそうだ。
せめてねねに、衣装でも見せてやれたらと思ったが、三太はなかをのぞきこんで、ねねに小声でつげた。
「ちょっと、むりみたいですね」
「でも……」
男ににらまれて、ねねは、三太のうしろにかくれるように下がった。
そのとき奥から声が聞こえた。
「どうした宗十郎?」
宗十郎と呼ばれた男の顔がぴりりと緊張した。
「はい。師匠。松坂屋の丁稚がとどけものを持ってきましたので」
「松坂屋か」
その声に、三太は、はっと顔を上げた。祖父の大蔵だ。……たった三日会っていないだけなのに、なつかしさがあふれてくる。
「あの、おいら、松坂屋の」
言いかけた三太の言葉を、大蔵の冷たい声がさえぎった。
「丁稚にかまってるひまはない。次の舞台では、お前が大井座の主役をやるのだから」
男はうなずき、ぴしりと戸を閉めた。
祖父の大蔵が、三太の声とわからないはずがない。ねぎらいの言葉くらいかけてくれるかと思ったのに、顔を見せもしなかった。
戸口の前に立ったまま、三太は、ぎりぎりと歯をかみしめた。
宗十郎という名で思い出したが、今の男は、上方の人気役者だ。
祖父の大蔵を、甘くみていた。もう代わりの役者が用意されている。このままでは……。
「三太……」
ねねの声にはっと我に返った。
ふりむくと、ねねは気丈にも、笑みをうかべていたが、その目は、涙をこらえてうるんでいる。
「こんなおしゃれしてきてばかみたい……」
「お嬢さま……」
三太は、ねねの手を取った。
「桜三郎だって、いつも応援してくれるお嬢さまに感謝してますよ。今度の舞台でまた会えるじゃないですか。いえ、絶対に会えます。それに……」
ねねの頭に目をむける。
もう、さくらのかんざしはない。ふみつぶされてめちゃくちゃになってしまった。
「かんざしは、また作ってもらえばいいじゃないですか。さっき、とてもよく、にあってました」
「三太……」
くすんと鼻をすすったねねは、目をふせ、ほおを赤らめた。
「会えなくてよかったのかもしれないわ。だってあたし、目の前で桜三郎さまにそんなふうに言われたら、心の臓が止まってしまう」
三太は、止まってねえだろう、と内心つっこんだが、もちろん、だまっていた。
二人は、大井一座をあとにして歩き出した。
三太は、一度もふりむかなかった。
祖父の大蔵に、まいったと言わせてやる。次の主役を宗十郎に取られてたまるか。
心の奥には、めらめらと火が燃えていた。
金之介がころんだ。
「こ、こいつ!」
顔色をかえた銀之介と銅の介が、二人同時に飛びかかってきたのを、三太は、体をななめにしてよけた。よけそこねた銀と銅は、はでにおでこをぶつけた。
「実力は見切った。けがするから、やめといたほうがいい」
三太は、銀と銅を見下ろした。
大井一座のあとつぎとして、幼いころから、剣術、槍術、体術を、きびしくたたきこまれてきた。すべて芝居のためだが、兄弟子たちと実戦もこなしている。
「くそお、すばしっこいやつめ!」
金之介が、また棒をふりかざしてとびかかってきた。ふりおろされた棒が、三太の顔の目の前で、ひゅんとうなる。
しゅんかん、すうっと血が引く音がした。
「てめえら……いいかげんにしねえと」
三太の口調が変わったことに気づいた三つ子が、じりりとあとずさる。
そのとき、どこからか、散りかけのさくらの花びらが、はらはらとおどるように、まいおりてきた。
自分でも気づかないうちに三太は、かっと目をみひらき、三つ子を、にらみつけていた。
「そんなにおどりたいなら、おれがおどらせてやらあ。金銀銅だかしらねえが、江戸の桜は天下の桜。さくら、さくら……いずれ散りゆく祇園精舎の鐘の声」
三太が言い終わらないうちに、金之助がとびかかってきた。三太は流れるような動きで、よけざま、金之介の手首を強くたたいて棒を落とした。
「まえや、おどれや、小手!」
「ぐう」と金之介が転がった。
三太は落ちた棒をひろい、ふりむきざま、とんぼをきった。よけるだけなら半歩下がればすむところも、くせでつい大げさにとんぼを切ってしまう。
棒は左手に持ったまま、右手で、銀之介のわき腹に手刀を入れた。
「乱れ咲き! 胴!」
銀之介が「うう」とうなって転がった。
最後の一人、銅之介がやみくもにとびかかってきた。三太は、棒をゆっくりとふりあげた。
「金銀銅の桜ふぶき!」
棒を両手でぐるんぐるんとまわすと、桜のはなびらが、はらりはらりとおどる。
「さーくーらー、ふーぶーきー!」
つぎのしゅんかん、棒を投げすて、ひるんだ銅之介を足払いにした。銅之介は、うなるかわりに「ぷう」となさけない音をはなって転がった。
その横で、三太は、大きく見得を切った。
「いっけーん、らくちゃーく! てめえら、すぐにこの場からうせやがれ!」
三つ子は、頭とわきばらと手首を押さえてにげていった。
後ろ姿を見おくった三太は、首すじの汗を手の甲でぬぐった。てきとうに考えた口上も、タテも、最後の見得までばっちり決まった。
一芝居終わったあとのようで気持ちがいい。
「お客がいねえのがもったいねえな」とつぶやきながら、ふりむく。
とそこには、ねねが、目をいっぱいに見開いていた。
しまった。
お嬢さまの前で、丁稚らしくないふるまいをしてしまった。これではあまりにも、格好よすぎて、役者じゃないかとうたがわれてしまう。
「お、お嬢さま、すんません」
いまさらながら、わざと間がぬけた顔をして、頭をぼりぼりかいてみせた。
ねねは、真赤な顔で、きっと眉をつりあげた。
「すんませんじゃないわよ! ばか! なんだと思ってるのよ! あんたなんて、あんたなんて……丁稚のくせに!」
ねねのあんまりな言い方に、三太は、むっとしたが、顔には出さず、頭を下げた。
「お嬢さま、すみませんでした」
役を演じていると思えばなんでもできる。それが大井桜三郎だ。
それに、とどけものも無事だった。
大井座についた三太は、家に戻ったような気になって、劇場の裏口にかけよった。奥にむかって声をかける。
「松坂屋です。おとどけものを持ってまいりました」
あいさつもちゃんと丁稚らしくできた。
すると、若い男が顔を出した。知らない顔だった。手伝いの下男だろう。
「あ、そう」
男は、ふろしきづつみを受けとり、すぐにひっこもうとした。
「あ、あの」
思わず男をひきとめる。男は、いぶかしそうな顔を三太に、というより後ろにいたねねにむけた。その視線の意味は三太にもわかる。熱心な女性客が裏口までおしかけたりすることは少なくない。それに中は、次回公演の準備中らしく、すごくいそがしそうだ。
せめてねねに、衣装でも見せてやれたらと思ったが、三太はなかをのぞきこんで、ねねに小声でつげた。
「ちょっと、むりみたいですね」
「でも……」
男ににらまれて、ねねは、三太のうしろにかくれるように下がった。
そのとき奥から声が聞こえた。
「どうした宗十郎?」
宗十郎と呼ばれた男の顔がぴりりと緊張した。
「はい。師匠。松坂屋の丁稚がとどけものを持ってきましたので」
「松坂屋か」
その声に、三太は、はっと顔を上げた。祖父の大蔵だ。……たった三日会っていないだけなのに、なつかしさがあふれてくる。
「あの、おいら、松坂屋の」
言いかけた三太の言葉を、大蔵の冷たい声がさえぎった。
「丁稚にかまってるひまはない。次の舞台では、お前が大井座の主役をやるのだから」
男はうなずき、ぴしりと戸を閉めた。
祖父の大蔵が、三太の声とわからないはずがない。ねぎらいの言葉くらいかけてくれるかと思ったのに、顔を見せもしなかった。
戸口の前に立ったまま、三太は、ぎりぎりと歯をかみしめた。
宗十郎という名で思い出したが、今の男は、上方の人気役者だ。
祖父の大蔵を、甘くみていた。もう代わりの役者が用意されている。このままでは……。
「三太……」
ねねの声にはっと我に返った。
ふりむくと、ねねは気丈にも、笑みをうかべていたが、その目は、涙をこらえてうるんでいる。
「こんなおしゃれしてきてばかみたい……」
「お嬢さま……」
三太は、ねねの手を取った。
「桜三郎だって、いつも応援してくれるお嬢さまに感謝してますよ。今度の舞台でまた会えるじゃないですか。いえ、絶対に会えます。それに……」
ねねの頭に目をむける。
もう、さくらのかんざしはない。ふみつぶされてめちゃくちゃになってしまった。
「かんざしは、また作ってもらえばいいじゃないですか。さっき、とてもよく、にあってました」
「三太……」
くすんと鼻をすすったねねは、目をふせ、ほおを赤らめた。
「会えなくてよかったのかもしれないわ。だってあたし、目の前で桜三郎さまにそんなふうに言われたら、心の臓が止まってしまう」
三太は、止まってねえだろう、と内心つっこんだが、もちろん、だまっていた。
二人は、大井一座をあとにして歩き出した。
三太は、一度もふりむかなかった。
祖父の大蔵に、まいったと言わせてやる。次の主役を宗十郎に取られてたまるか。
心の奥には、めらめらと火が燃えていた。