第3話 風邪をひいた日に彼女は私におかゆを作ってくれた

文字数 4,622文字

 私がミライと深く関わるようになったのは、半年前の出来事がきっかけだった。
 少し早く仕事が終わり、駅へ向かって歩いている夕方のこと。
「お姉さん、可愛いねぇ。俺と遊ばない?」
 絵にかいたようなナンパだった。髪を黄色に染めて、ピアスをじゃらじゃらとつけた男が、私の行く手を塞ぐように現れた。
 先述した通り、私は人見知り気質だ。勉強とカードとゲームばかりしてきたから、友達が少ない。当然、異性の友人なんていない。
 見知らぬ男に声をかけられ迫られた恐怖に、私の脳はフリーズしていた。給料を趣味につぎ込みまくる女だから、おしゃれにも無頓着。ナンパされたこと自体、初だった。
「ねえねえ、無視しないでよ?」
 男は私の手首をつかみ、驚いた私はもっていたトートバッグを落としてしまった。
「ん? なに、このバッグについているラバーストラップ。どこかで見たような――」
「ねえ。困ってんじゃん。やめてあげたら? そーゆーの、正直かっこわるいよ?」
 突然、男の後方からかかる声。
「はあ? なんだよ、お前には関係ねーだろ」
「関係あるし。だって、この人ウチのお姉ちゃんだし。これから一緒に食事する約束してたんだし」
 そう言って、学校指定のワイシャツとスカートを身に着けたミライは、私の手を優しくとった。
「ちっ」
 男は舌を鳴らし、逃げるように歩いて行った。
「大丈夫? はい、これ」
 ミライは落ちていた私のトートバッグを拾い、手渡してくれる。
「あれ? このラバスト、ピンクマジシャンじゃん。もしかして先生も、デュエモン好きなの?」
 デュエモンとは、子供から大人まで幅広い層に人気のあるトレーディングカードゲームのこと。ピンクマジシャンは原作コミックスにも登場しているメジャーなモンスターだけれど、女性でこのカードを遊んでいる人は少ないので、リア充の代表格みたいなミライが知っていることは意外だった。
「先生もって……日向さんも?」
「うんっ。ほら」
 そう言って、首から下げているスマホを見せる。手帳型ケースの柄は、確かにデフォルメされたモンスターたちのイラストだ。
「もしかしてっ、カードの方もやってたりする?」
「わりと……」
「マジで? ウチもやってんだ! いやぁ~、同じ学校にこーゆーのやってるコいないからさ、同志が見つかって嬉しいわ~」
 私たちが毎日足を運んでいる学校は女子高なので、仕方のないことだ。
 もしかしたら、教員の中には他にもやっている人がいるかもしれないけれど、私には職場の同僚に仕事以外の話をしかけるコミュ力はない。例外はサキだが、彼女はゲームこそするものの、TCGの方はさっぱりだ。
「よかったら、今度学校で対戦しますか? お昼休みにでも……」
 口にしてから、ハッとした。
 いつもたくさんの友達に囲まれている彼女が、私なんかと昼休みを過ごすわけはないだろう、と。
 しかし、ミライは嬉しそうに笑う。
「いいの? やった! じゃあ、さっそく明日デッキもっていくね!」
「あの……でも、いいんですか? お昼休み、友達と過ごさなくても」
「先生はもう友達でしょ? あ、友達ならハルカちゃんって呼んでいいかな? さすがに毎日は無理かもしれないけど、週一、二くらいは遊ぼうよ。ハルカちゃんも、他に予定があったらそっち優先してもいいしさ。気楽に楽しもうぜ」
 怒涛の勢いで喋る。
「とりまライン交換しよっか。あっ、ハルカちゃんスマホにもラバストつけてんだ。いーなー、これウチ持ってないんだよね~」
「これならだぶっているので、今度持ってきますよ」
「ほんと? ありがとっ♪ じゃあ私もスイーツとか驕るから。明日のお昼に持ってくね♪」
 ミライは終始笑顔でまくしたてて、私と連絡先を交換すると、楽しそうにもっと眩しい笑顔になった。
 それから、私たちは駅でわかれて、それぞれの帰路に就いた。
 この日から、私たちは度々お昼休みに保健室で顔を合わせ、一緒にお昼を食べたり、カードで遊んだりするようになった。
 保険医である私は、保健室でしか彼女と関わらない。保健室には彼女以外の生徒はあまり来ないので、大半は一人きり。だけど保健室の窓から見える彼女は、いつも誰かと一緒だった。
 私は彼女の誰とでも仲良くなれるコミュ力と、常に何かを楽しんでいるような前向きさと、困っている人がいれば臆せず声をかけられる勇気とやさしさ。そういったものに憧れるようになった。
 いつしか、それは恋心となった。
 25年生きてきて初めての恋だった。


 十二月のある休日。
 運動不足で鈍りまくった私の体は、風邪のウイルスに屈し38度7分の熱を発しダウンしていた。
 だるくてコンビニへ出かける気にはなれないが、冷蔵庫の中には何もない。まあ食欲もそんなにないし、別にいいか。という精神でベッドに潜っていると、テーブルの上のスマホがピコンと鳴る。
『暇だったりしない? 今日これからデュエらない?』
 ミライからのラインだった。カードゲームのお誘いだ。
『風邪ひいたので無理です』
『ひとり暮らしだっていってたよね? 大丈夫?』
 辛いです――と言ったら、来てくれたりするのだろうか。
 普段ならそのような迷惑になるような発言は避ける私だが、風邪にかかると弱気になってしまう貧弱者なので、指が勝手に文字をつづる。
『無理かもやばいです』
 しかし、返信はなかった。
 十分待ってみても、既読の文字はつけども返信はない。
 やってしまったか。うざがられてしまったか。いやミライに限ってそんなことは。でももしかしたら。
 ぐるぐると頭の中で回る思考回路。
 すると、突然インターホンが口をきいた。
 熱で重い体を引きずりながらドアを開けてみると、マスクをつけたミライが立っていた。
「お見舞いの品持ってきたよー。うつるといけないから、一応マスクしてきた。はい、ハルカちゃんの分。マスクつけてね」
 と、使い捨てのマスクを渡す。
 私がマスクをつけると、ミライは革のブーツを脱ぎ始める。
「あ、入っても大丈夫だった?」
「大丈夫ですけど……どうしてうちの場所が?」
「サキちゃんから聞いたの。二人は高校時代からの友達同士なんだってね」
 なるほど。教員とも親しく話せるミライだ。サキとも友達になっていてもおかしくはない。
「辛いなら、サキちゃんを呼べばよかったんじゃない? どうせハルカちゃんのことだから、冷蔵庫ん中からっぽなんでしょ」
 いいながら、廊下を進む。
 狭いアパートなので、部屋の数は少なく、すぐに行き止まりにあたる。居間だ。
「後輩に頼るのは、悪いですから」
「ウチならいいんかいっ」
「うっ……」
 ミライは後輩どころか生徒だ。よくよく考えてみたら、よろしくない。
 けれど、ミライは笑う。
「な~んて、冗談冗談。頼ってよ? 友達でしょ?」
 なんていい子なんだろう。嫁にしたい。
「とりあえず、バナナとヨーグルト、卵、それからスポーツドリンク、パックのゼリー飲料のやつを買ってきたから。冷蔵庫どこ?」
「あそこです」
「どれどれ? うっわー、マジでなんもねー。夜ごはんもコンビニ飯とか外食ばかりなんでしょ?」
 私は頷く。
「コンビニ飯でも栄養は取れるけど、こーゆー時困るんだよねぇ~。お米はあるの?」
 もう一度頷いて、炊飯器と米びつを指さす。
「おっけ。じゃあおかゆでもつくるわ。とりま、ハルカちゃんはこれでも飲んでて」
 と、ペットボトルのスポーツ飲料を手渡す。
 それから、ミライは窓を開けて部屋を換気した。
 私はソファに座って、スポーツ飲料水を口にする。そして、手際よく料理をはじめた彼女の後姿を眺める。
 もし彼女が嫁になったら、毎日こんな姿を見ることができるのだろうか。
 でも、女性同士の結婚って、どっちがウエディングドレスを着ればいいのだろうか?
 そもそも、結婚できるのだろうか。

 しばらくして、ミライがおかゆをテーブルに運んだ。
「はい、あーんして?」
「あー……あむっ、むぐむぐ……ごくんっ」
「どう?」
「美味しい……です」
 それは卵かゆだった。特別なものは入っていないはずなのに、ミライが作ってくれて、食べさせてくれる。ただそれだけで、どんな高級店の料理よりもおいしく感じられる。高級店の料理なんて食べたことないけれど。
 食事の後は洗い物をしてくれて、さらに残ったおかゆをタッパーにうつしてくれる。
 なんと、タッパーもミライが持ってきたのだ。準備がよすぎる。
「作り置きしておいたから、夜も食べてね?」
「ありがとうございます。なにからなにまで」
 嬉しさ半分、申し訳なさ半分だ。
「いいって。そのかわり、今度私が困っていたら、助けてね?」
「もちろんっ」
 どんなことだってする。私にできることなんて、大人の財力を解放することくらいだけれど。
「じゃあ、ウチは帰るから」
 玄関に向かいかけた彼女の手を、とっさに掴む。
 ミライが振り返る。
 私は何をしたのだろう?
 自分で自分のした行為の理由がわからず、動きがとまる。すると、ミライが私の頭を撫でた。
「よしよし、寂しいんだね?」
 寂しい?
 そうなのだろうか?
 そうなのかもしれない。
 ミライはスマホを取りだした。
「あー、もしもし、おかーさん? 今日友達の家に泊まることにしたから。ごはんはいらない。うん、わかってる。じゃーね」
 ピッ。通話を終える。
 泊まる? そう言ったのだろうか?
「あ、あの……」
 さすがにそこまで迷惑をかけるわけには――と言いかけた私の口に、人差し指をあてる。マスク越しに。
「大丈夫。ウチ、免疫力高いから。風邪うつされないよ。マスクも換気もしてるしね?」
 そういう心配をしているわけではないのだが、ここで彼女の優しさを否定するのは、かえって悪い気がする。
「あ、でも着替えとかどーしよ? ハルカちゃんの服、かしてくれたりする?」
 私は頷き、居間の隅に位置にするクローゼットの前に移動する。それからハッとした。
 おしゃれさんでギャルなミライに、私の地味でつまらない服を着せるのはまずいのではなかろうか。そもそも、着たくないのではないだろうか。
「開けるね?」
 だけど、そう問われれば頷くしかないのがコミュ力不足の辛いところ。
 ミライは無地のワンピースとワイシャツ、それに高校時代のジャージが数着かかっただけのクローゼットを見て、言う。
「私服少なっ! ハルカちゃん、せっかく美人なのにもっとおしゃれしなきゃー。勿体ないよ~?」
「でも、おしゃれとかよくわからないですし」
「そっかー。じゃあ、ウチが教えてあげる。元気になったら、ショッピングいこ?」
「はい。よろしくお願いいたします」
「固いなぁ~。まあいいけど。とりあえず、後でこれ着てもいい?」
 ミライが手に取ったのは、私のパジャマ代わりのジャージ――の予備だった。

 夜。
 ミライに体を拭いてもらうという嬉し恥ずかしのイベントを終えた後は、疲れてしまったのかミライは寝落ちした。
 私は彼女の華奢な体をソファに運ぶ。
「うぅん……そんなにフラペチーノ、のめないよぉ」
 よくわからない寝言を呟く彼女の小さな唇。
 今なら、キスをしてもバレない気がする。
 いや、こんなことはよくない。
 私はミライが好きだ。だから、ミライには初めてを大切にしてもらいたい。未経験かどうかはわからないけれど。
 とにかく、こんなふうに私なんかが奪っていい唇じゃない。
 私は余っていた毛布をそっとかける。
「おやすみなさい、ミライちゃん」
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