III. 人

文字数 888文字

 キスケ三世はノースインヘルノの桟橋に椅子を置いて、風にあたりながら読書をしていました。このころ彼のよく読むのは、ゲインズ・フリューゲルスの『創造も破壊も人をも』でした。この本の数行を読んだだけで、キスケ三世は自分たちの業の深さを改めて知ることがました。

—われわれは永遠に腹を空かせる獣の群れである。ひとつなにか獲物を見つけると、群れはまるで統率のとれたようにこれに向かうが、獲物を押し倒してこれを勝ち得、肉の一片もなくなるまでこれを貪ると、今度その牙を向ける先は次の獲物でも同胞の首筋でもどちらでも構わないのである。—中略—恐ろしい、おぞましいことだが、われわれが極めて理想的な状態にあったとしても、それが長く続けば、われわれの持て余した獣の力がその破壊にむけて奔り出すだろう。われわれはどうやら、生きているかぎり何かにその力を向けていなければ、自身の存在を感じることができぬようだ。奔る脚の心地よい疲労や鼓動の昂ぶりや達成の歓喜がなければ、これらを生むために失うものがどれほど尊いものであったとして、われわれはそれを破壊するだろう—

 これはこう続きました。—つまり、われわれが善きも悪しきも創造するのは、善きも悪しきも破壊するのとまったく同様で、物事の善し悪しというのは根本的に大きな問題ではなく、われわれが目の前の事物に干渉し得る、存在している、ただこれの確認をしたいだけなのだ—
 これをはじめて読んだとき、キスケ三世は憤りを感じました。ひとびとが苦労して隠してきた獣の尾を公衆の面前で暴かれたようでした。ダール・トルの『善へ向く力の斯く強き』やハンナ・メルクの『愛しき弱き心』に書かれているような、いくらかでも正しい方向へ進もうとしているひとびとの努力を一笑に付すもののようにも感じられました。しかし、『戦争の勝利を何故虐殺と呼ばぬ』や『社会と滅私』などを読むうち、キスケ三世は、フリューゲルスの言葉を少しずつ理解しました。それに、なんといっても、キスケ三世がこのような書物に辿り着くような時代でした。
 キスケ三世は、海の向こうに砲撃を聴きました。
 

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