I. 島

文字数 982文字

 キスケはノースインヘルノの桟橋で釣りをしていました。
 やはりノースインヘルノのあたりの住人ならば誰でも知っているように、ここらで魚は釣れないし、キスケもここ何時間か海を眺めているだけでした。それはたとえば、”ノースインヘルノで釣りをする”という言葉が慣用句的に”まったくもって暇だ”という意味を表すように、水面に糸を垂らすくらいのことしかすることのないキスケは、まさにノースインヘルノで釣りをしていたわけでした。
 退屈と春の日差しのために、キスケは大きなあくびをしました。
 木々があたたかな風に揺れ、葉や枝の無数の小さな音が、静かなノースインヘルノを緩やかに充たしました。
 キスケは、そろそろインサイダウトシティに帰ろうと、鞄をごそごそし始めました。キスケは心配性なので、鞄から出していないものも含めて持ち物が全部あるかどうか確認してからでないと動けないのです。ひとつひとつ取り出して確認して、ようやっと最後にヴェルノーの粉のはいった小瓶を鞄にいれなおして、さて帰ろうかと立ち上がったそのときでした。
 ひやりとした空気の一筋が、キスケの頬を触れました。急に空の陽は雲に覆われて、風が止みました。一拍間をおいて、海の真ん中に新たな島がせり上がりました。遠くからは海の水が噴き上げたように見えました。黒々とした大きな島はまだわずかに動いているようでした。あれはちょうどノーシストアイランドの横あたりですが、新たな島のおおきさはその倍以上にもなりました。
 キスケもあらたな大地の誕生を何度か見たことがあったけれども、これほど大きな島が現れるのを見たのははじめてでした。
 あまりに圧倒的な光景であったので、キスケはそこへ立ちつくしてしまいました。それは驚きと感動のためにそこから動けなくなっていたということもあったけれども、キスケの足はそういった精神的なものとは別の力のはたらきで、そこへ固定されていました。
 あれだけ巨大な島が急にせり上がったというのに、波はなく、海面は池の水のように静かでした。ノースインヘルノのあらゆるものは、ひとも獣も風も海もすべてのものが、あれのきたのを知らされました。あれは帰還を知らせるため、戯れに、いにしえの力であらゆるものの動きを封じていたのです。あれは島ではありませんでした。リヴィヤタンがすべてを支配していました。
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