第2話

文字数 3,199文字

 当然、ニコも最初は疑っていた――セルシアの男選び。

『ダメな男を好きになる』

 選択基準のポイント――だが、どうもしっくりこない。

 仲間という以前に血で繋がれた二人。母親が双子で従姉妹同士、幼馴染みで同い年……これまでの人生の殆どを共に過ごしてきた間柄……だからと言って? 普通に何でもは判らない。

 ニコが疑問を感じるのも無理なかった。王都に移り住んで間もない頃、容赦なく相手の首元を狙う太刀筋と、その容姿から『断罪の剣姫』という二つ名を拝したセルシアは忽ち、冒険者の間で噂の的となった。

 剣姫を射止めるのは誰か? ――銀狼のヴァン――いや、貴公子アリエルだろう――グレート・ケインさ――
錚々たる冒険者が名を連ねるも、意外な人物の登場でギルド内は騒然となる。

「ウォーレン? 確かに仕事が丁寧で親切なのは認めるけど……、ねぇ……」

 意表を突かれたのは同性の冒険者たち。ウォーレン・シムズ、真面目で親切が取り柄のギルド職員など端から恋愛対象として見ていなかったのだ。しかし、セルシアの目に映し出された風景はまるで違った。

「きれいな字を書かれるのですね」

 依頼達成の報告にギルドを訪れた際、最初に掛けられたウォーレンの言葉は社交辞令だったのかも知れない。が、少なくともセルシアにとってそれは、特別な意味を含んでいた。

 躾けに厳しかったセルシアの母親は、特に読み書きに煩かった。理由は単純で、セルシアの父親――最愛の人と出会うきっかけになったから……。

「あの人、私の書いた字に惚れ込んだのよ。男の人は料理に弱いって言うのに可笑しいでしょ」

 手紙を書く母の傍に寄り添いながら、懸命に文字の練習に励んだ幼い記憶が瞬時に蘇った。

 それだけでは無い。礼節を重んじるウォーレンの立ち居振る舞いは、田舎育ちの女剣士には真っ白に映った。スマートを地で行く都会の紳士――荒くれ者で溢れた環境に咲く白百合――剣姫は夢中になった。

 だが、この予期せぬ伏兵の登場によって、冒険者ギルドは大混乱に陥る。

 『剣姫を射止めた』という確固たるブランドを纏ったウォーレン、その評価は一変する。『どうでもいい男』は副詞を省かれ『いい男』に……。一躍、時の人となったギルド職員に女性冒険者の視線が集まった。

 そこからはギルド史にも残せない、茶番劇の始まり。

 流れに便乗した俄か紳士が彼方此方で急増、ギルド内は宛ら大人のお行儀教室へと変貌を遂げた。それでも、実力至上で揺らぐことのなかった秩序が覆ったのだから、教養抜きの口上作法も馬鹿にできない。

「良いじゃない! あの人が評判なら、私だって嬉しいもの」

 幸せそうに話すセルシアを見てニコは内心ホッとしていた。ウォーレンからは『付き合ってはダメ』な臭いがまるでしない。むしろ、よくぞ選んだ! と讃えたいほどの無味無臭さ。

「こっちに出てきて正解だったね!」

「うん、ニーちゃんのお陰だよ」

 ところが、歪な時間はそう長く続かない。ウォーレンが失踪したのだ。失踪後、言い寄られるがままに複数の女性と関係を持ったウォーレンの所業が詳らかになると、霧が晴れるよう冒険者ギルドは秩序を取り戻した。

 ひとり残されたセルシアは当然……ニコに散々迷惑をかけるのだが、それを立ち直らせたのは彼女ではなく、錚々たる面々だった。

 今や、誰もが知るところの『堕罪の剣姫』、だが、この段階でその可能性に気を揉んでいたのは、ニコひとりだけ。銀狼も、貴公子も、グレートも、何も知らず皆、セルシアと恋に落ち、次々と転落の途を辿った。

『ヴァンは、確か詩人だったっけ?』

 傷心のセルシアにほとほと手を焼いていたニコにとって、銀狼のヴァンは最初は恩人であり、後の裏切り者。

 付き合い始めて程なく、セルシアに認めた詩の反応に勘違いした銀狼は、一度諦めた夢を追い求めて冒険者を廃業してしまう。そして、それを健気に支えるセルシアの想いに耐え切れず、王都を後にするのだ。

『男に逃げられてボロボロのセルシアを見てるくせに、続けて失踪しやがって!』

 銀狼に関しては未だ情報収集を続ける程だ。ヴァンに対するニコの憤りは揺るぎない。

 貴公子とグレートの時もひと騒動起こった。将来有望な二人の冒険者は、自他ともに認めるライバルであり、親友。剣姫と貴公子という、巧言令色な二人の交際を真っ先に祝福したのがケインだった。

 ところが、アリエルの様子が次第におかしくなっていく。仕事もせず、昼間から酒場に入り浸るようになる。ケインが何度説き伏せても、アリエルの素行は酷くなる一方。

 遂には『堕ちた貴公子』の二つ名で呼ばれる始末。当然、ケインの手はセルシアにも延べられた。

「このままじゃダメだ、セルシア。君まで不幸になっちまう!」

 だが、この時、アリエルの精神は既に限界を迎えていた。貴公子と呼ばれることに挺身し、重ね続けた無理が招いた悲劇だった。そんな窮状を知った上で、セルシアは全て受け入れたのだ。

「頼む、ケインには黙っててくれ! ヤツには知られたくないんだ」

 アリエルに口止めされていたセルシアは、ケインの問い掛けに無言を貫いた。

『この後が、私にはサッパリ判らない』

 状況はセルシアから聞かされているものの、不安を募らせずにいられなかったニコは、その後の展開に衝撃を受ける。

 アリエルと別れたと思ったら直ぐ、今度はケインとセルシアがくっついたのだ!

『詳細を問い質した今でも、本当に訳が判らない』

 その後、ケインまで王都を離れることとなり、いよいよセルシアへの風当たりは厳しくなっていく。

 嘱望された三人の冒険者と真面目なギルド職員の前途を台無しにするまで、僅か二年足らず……当然と言えば当然の帰結だ。「ダメな男を好きになる」のではなく「好きになった男をダメにする」で確率が収束する。

 まして別れを契機に立ち直る者もいるから、セルシアの嫌疑は深まる一方だ。消息を絶った二人はともかく、アリエルは酒を断ち、依存体質からも抜け出して今や、ギルド職員としてウォーレンの穴を完璧に埋めている。『堕ちた貴公子』のレッテルが心の負荷を和らげるのだから、何が功を奏するか判らない。

 逆に、貴公子から剣姫を救ったケインは温かな賞賛を浴びる一方、アリエルの病を知ってからは部屋に籠り、呵責の念に苛まれていた。辿る道に過去の自分を見た親友がケインの元を訪れた頃には、既に初期症状もいくつか現れていた。焦眉のケインに王都を離れるよう勧めたのはアリエルだった。

 アリエルの言葉には説得力があった。経験に基づいた指摘は次に出る症状までを言い当てた。かつては自分を苦しめた闇に同じよう魅入られてしまったケイン……その要因に自分が関係していることに我慢ならなかった。

「えー、迷うなぁ。こっちの肉料理のオススメも気になるしなぁ……」

 ニコがセルシアの色恋沙汰に一線を引くようになったのは、この頃からだった。

 夕飯時、いつもの如く注文に頭を悩ますセルシアを何気なく相手していた時のこと……。

「どっちも頼んで、どっちも食べれば良いのに」

 当たり前で返すニコ。自分の感覚では普通の相槌、だから答えも普通に返ってくる。

「無理だよ。ニーちゃんと違って、私の食欲は人並み以下なんです!」

 その通り、適量は人によって様々。そもそも大喰らいと少食では、食に対するアプローチからして違う。

 あまりに日常的なやり取り過ぎて、気付いた時にハッとした。

 恋愛であっても、その感覚は変わらない。否、変わってはいけない。ニコは姿勢の違いに息を飲んだ。

『私、自分に置き換えて考え過ぎていた! 相手はセルシア・ロズベルグだぞ!』

 他人の恋愛と接する距離を間違っていた。理解出来なくて当然の恋愛観を自分の目線で考え過ぎていたのだ。思い上がりと至らなさが同居して、恥ずかしい姿を晒し続けていた自分自身をニコは嗤わずにいられなかった。
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