第5話
文字数 3,384文字
朝一番、軍統括本部へ向かうニコの胸中は穏やかなものではなかった。そもそも、チャチャ・ヨーマとの再会にセンチメンタルな感情など欠片もない。ニコにとっての彼女は、今も昔も不幸を招く厄介者でしかないのだ。
故郷を飛び出したニコとセルシアを追いかけ、王都までやって来た放蕩者。『パンキャリ』の創設メンバーでありながら、パーティーを窮地に追い込む達人。彼女のお陰で死にかけた回数なんて数え上げたらキリが無い。上手く唆して軍に入隊させたまでは良いが、予想外に出世して、今や第一師団でも選りすぐり、近衛隊の大隊長補佐まで登り詰めた、流血の狂戦士『バーサク・ヨーマ』……。
そんな彼女の呼び出しに良い予感などするはずがない。隣で胸を弾ませている、セルシアが腹立たしいとさえ思ってしまう程、私的な訪問を思い描いていたニコの予想は、第三局に到着して直ぐ覆された。
『月下の城』、『マジックアワー』、『イビル・ジョー』、まさかの『三光』が揃い踏みしている。王都では昔から金等級パーティーを光に準えて数える慣わしがあり、現在三つある金等級パーティーを称して『三光』と呼んでいる。そして、それに続く四番目――『四光』の昇格候補、『晴風に獅子奮迅』、『クロックワーク』、『サークル・オー』、『エリクサー二本目』、『パンプキン・キャリッジ』まで集結となると、只事ではない。
息を吐く度、空気が薄くなっていくような感覚の中、居合わせた四十人余りが胸の内を探り合う心理戦……。時間にして二分と続いていないのに、中にはクタクタに消耗し始めた者までいる。交錯する間合いに身を晒す、緊張感が疲労だけを加速させた。
そのシワ寄せは当然、この状況を生み出した元凶でありながら、おくびれる様子もなく登壇してきた近衛隊に向くことになる。
そんな機微を一瞬で捉えて、挨拶ではなく真摯に「遅れて申し訳ない」と頭を下げた、チャチャの機転は見事だった。ニコは昨夜からの彼女に対する偏見を謝罪したい気持ちで一杯になった。実際、この一言を契機に空気は徐々に流れを取り戻し、やがて言葉を交わせる程度の緊張に落ち着いたのだから……。
「今より三日前、直轄領クァナバルで竜種の出現が確認されました。本日、お集まり頂いた諸氏には竜種討伐の編成に加わって頂きたい!」
頃合いを見て投じた、チャチャの一石は僅かに波打っただけで静寂を迎える。
それもそのはず。そもそも、話の根幹からして違うのだ。
「それで? そんな説明で納得するヤツが何処に居るって言うんだ?」
話に割って入ったのは『三光』のひとつ、『マジックアワー』のリーダーで『エンドレスゾーン』の二つ名を持つ魔導士、ケビン・ミケルソンだ。昨今主流の魔法攻撃を主体としたパーティー編成は、『マジックアワー』を範にしてのこと。頭脳派で知られるパーティーリーダーの発言に、冒険者の機運は一気に靡いた。
「そもそもが竜種討伐っていうのは、アンタら軍の仕事だろ? 普段、こっちが手を出そうもんなら資格も剥奪されかねない……。集まった勢いだけで乗れるような話じゃないってことくらい、判ってるだろう?」
確かに、軍と冒険者には不文律がある。予め戦闘規模によって管轄が分けられている。両者が相見えることで生じる小競り合いを避けるための措置で、数十人規模で行う竜種討伐は、「最たるもの」のひとつ。軍の最優先事項であり、存在理由そのものだ。
だが、それ以前にも問題はある。パーティー単位で戦う冒険者と数十人以上の規模で戦う軍では、扱う戦術が丸っきり異なるのだ。新人冒険者でも踏み違えない常識を歴戦の強者に問う方がどうかしていた。
「確かに、だが非を受けるなら私だ! 詳細を話す権限を与えず、部下を壇上に立たせた、私の責任だ」
『マズイ!』
この時、ニコの脳裏を過った予感は正しい。
幼馴染みのチャチャ・ヨーマを色眼鏡で見ていたから? 否。
第三局に集められた面々が、『三光』を含む、王都でも有数の冒険者パーティーだから? 否。
その理由が、王都近郊に出現した竜種の討伐隊を編成する為だったから? 否。
セルシアの目だ……。
壇上で、たった今、釈明をしてる――それまでチャチャの左隣に立っていた――右脇に大層な長槍を据えて、こちらの情勢を伺っていた、大隊長を捉えたセルシアの眼差しがそうさせた。
無理に視界から外そうとして、余計に気になって直ぐ戻る焦点……瞳だけキョロキョロして休む暇などない。目が泳いで落ち着きが無い状態。内心、自分でも「ダメだ」と焦ってる証拠だ。
『勘弁してよ』、『やれやれ』、『嘘でしょ?』……。順に、魔女で、闘士で、斥候……。
これまで幾度となく繰り返された兆候は、他のメンバーにも伝播していて、同様の不安を募らせている。
竜種出現の急報より切実な問題――剣士の恋模様に、セルシアを除く『パンキャリ』全員の心が騒ついた。
「先月氾濫したヨコモヌ川流域の復興事業に人手が足りていない。今月中に復旧の目処が立たないことには農期の作付けが間に合わなくなってしまう。そこでだ、諸君! 諸君らが手にするのは農具か? それとも武具か?相応しいのは、どちらだろうか?」
胸当てに刻まれた紋章から、貴族であることに間違いないが、それにしては態度に嫌味がない。使い込まれた――傷だらけの銀装の兜を脱いだ瞳には、未だ薄らと少年らしさが残っている。大隊長としては如何せん、風格の足りない年齢に思えるが、その口調には説得力がある……不思議な青年。
だが、そんな青臭さを一蹴するように、ケビンは容赦なく追及の手を伸ばす。
「恩着せがましく、軍は敢えて農具を選んだ、とでも言うつもりか!」
誰もが『口火を切った』、そう思った。
ところが……、
「否、そうではない。既に、軍の復興事業への派遣は決まっていた話さ。だが、同時に竜種の出現だ。どちらも急を要する軍務に変わりないが……」
大隊長は肩を窄めて、掌を掲げる。
「今度はこっちの人手が足らんのさ」
仕上げに首を降って、完成したポーズで『お手上げ』を示した。
張り詰めてた緊張が瞬時、ここで解かれた。軍の苦しい台所事情を、こうもあっさり詳らかにされては……、拍子抜けも良いところ。若さを逆手に取った、大隊長の道化芝居に皆、やられた。
局内は、忽ち冒険者の笑い声で溢れた。
「上手いな! 大隊長さん。確か、ベルナンド・コクーン殿……だったかな?」
何気ない発言にも、その一言に呼応するようにして、引き締まった表情が冒険者の間を伝播していく。王都で最も偉大な英傑『マスター・ジョー』の二つ名は伊達では無い。緩んだ気持ちを張り直すよう、冒険者から自然と笑みが消えた。
「まさか『マスター・ジョー』に名を知って頂いてるとは……光栄です」
大隊長に対し、掲げられた左手は、それ以上の挨拶は不要の合図。
「あれだけ笑った手前、今更、話も聞かずに抜けようなんて思う輩は誰もおりません。存分に……」
ジョー・マステマス――金等級パーティーでも最古参『イビル・ジョー』のリーダーは、絶大な影響を冒険者に与える。
「ありがとうございます。では、早速本題に……」
一連の流れに、不自然さなど微塵も無かった。ただ、セルシアの色恋に気を削がれていたニコには、不思議な違和感があった。
『何だか、トントン拍子で話が進んでるなぁ』
傍観的に局内を眺めていたニコの印象は、ベルナンドの次の発言で疑念に変わる。
「討伐隊編成に向けて、軍は諸氏に合同訓練への参加を要請する!」
ここに来て、軍からの強権発動は寝耳に水。局内は、一瞬で動揺に染まった。
「ちょっと待ってくれ! そいつはギルド承認の……正式な要請ってことかい?」
このケビンの質問は真っ当だ、冒険者の誰もが思った。ただ一人、ニコを除いて……。
『おかしい、話の展開が急すぎる。まさか、この問答は想定通り? ひょっとして……』
「合同訓練に関してはそうだ。事前にギルドマスターから諸氏らの推薦を貰っている……が、討伐隊への参加は要請でなく依頼にするつもりだ」
「あのババァ、性懲りも無く、またハメやがった!」
『やっぱり! 不満はギルドじゃなく、軍に向かうはずなのに……多分、始めから、チャチャの謝罪からそう。全部、計算ずくで印象操作してる! あんな気の回る子じゃないもん!』
故郷を飛び出したニコとセルシアを追いかけ、王都までやって来た放蕩者。『パンキャリ』の創設メンバーでありながら、パーティーを窮地に追い込む達人。彼女のお陰で死にかけた回数なんて数え上げたらキリが無い。上手く唆して軍に入隊させたまでは良いが、予想外に出世して、今や第一師団でも選りすぐり、近衛隊の大隊長補佐まで登り詰めた、流血の狂戦士『バーサク・ヨーマ』……。
そんな彼女の呼び出しに良い予感などするはずがない。隣で胸を弾ませている、セルシアが腹立たしいとさえ思ってしまう程、私的な訪問を思い描いていたニコの予想は、第三局に到着して直ぐ覆された。
『月下の城』、『マジックアワー』、『イビル・ジョー』、まさかの『三光』が揃い踏みしている。王都では昔から金等級パーティーを光に準えて数える慣わしがあり、現在三つある金等級パーティーを称して『三光』と呼んでいる。そして、それに続く四番目――『四光』の昇格候補、『晴風に獅子奮迅』、『クロックワーク』、『サークル・オー』、『エリクサー二本目』、『パンプキン・キャリッジ』まで集結となると、只事ではない。
息を吐く度、空気が薄くなっていくような感覚の中、居合わせた四十人余りが胸の内を探り合う心理戦……。時間にして二分と続いていないのに、中にはクタクタに消耗し始めた者までいる。交錯する間合いに身を晒す、緊張感が疲労だけを加速させた。
そのシワ寄せは当然、この状況を生み出した元凶でありながら、おくびれる様子もなく登壇してきた近衛隊に向くことになる。
そんな機微を一瞬で捉えて、挨拶ではなく真摯に「遅れて申し訳ない」と頭を下げた、チャチャの機転は見事だった。ニコは昨夜からの彼女に対する偏見を謝罪したい気持ちで一杯になった。実際、この一言を契機に空気は徐々に流れを取り戻し、やがて言葉を交わせる程度の緊張に落ち着いたのだから……。
「今より三日前、直轄領クァナバルで竜種の出現が確認されました。本日、お集まり頂いた諸氏には竜種討伐の編成に加わって頂きたい!」
頃合いを見て投じた、チャチャの一石は僅かに波打っただけで静寂を迎える。
それもそのはず。そもそも、話の根幹からして違うのだ。
「それで? そんな説明で納得するヤツが何処に居るって言うんだ?」
話に割って入ったのは『三光』のひとつ、『マジックアワー』のリーダーで『エンドレスゾーン』の二つ名を持つ魔導士、ケビン・ミケルソンだ。昨今主流の魔法攻撃を主体としたパーティー編成は、『マジックアワー』を範にしてのこと。頭脳派で知られるパーティーリーダーの発言に、冒険者の機運は一気に靡いた。
「そもそもが竜種討伐っていうのは、アンタら軍の仕事だろ? 普段、こっちが手を出そうもんなら資格も剥奪されかねない……。集まった勢いだけで乗れるような話じゃないってことくらい、判ってるだろう?」
確かに、軍と冒険者には不文律がある。予め戦闘規模によって管轄が分けられている。両者が相見えることで生じる小競り合いを避けるための措置で、数十人規模で行う竜種討伐は、「最たるもの」のひとつ。軍の最優先事項であり、存在理由そのものだ。
だが、それ以前にも問題はある。パーティー単位で戦う冒険者と数十人以上の規模で戦う軍では、扱う戦術が丸っきり異なるのだ。新人冒険者でも踏み違えない常識を歴戦の強者に問う方がどうかしていた。
「確かに、だが非を受けるなら私だ! 詳細を話す権限を与えず、部下を壇上に立たせた、私の責任だ」
『マズイ!』
この時、ニコの脳裏を過った予感は正しい。
幼馴染みのチャチャ・ヨーマを色眼鏡で見ていたから? 否。
第三局に集められた面々が、『三光』を含む、王都でも有数の冒険者パーティーだから? 否。
その理由が、王都近郊に出現した竜種の討伐隊を編成する為だったから? 否。
セルシアの目だ……。
壇上で、たった今、釈明をしてる――それまでチャチャの左隣に立っていた――右脇に大層な長槍を据えて、こちらの情勢を伺っていた、大隊長を捉えたセルシアの眼差しがそうさせた。
無理に視界から外そうとして、余計に気になって直ぐ戻る焦点……瞳だけキョロキョロして休む暇などない。目が泳いで落ち着きが無い状態。内心、自分でも「ダメだ」と焦ってる証拠だ。
『勘弁してよ』、『やれやれ』、『嘘でしょ?』……。順に、魔女で、闘士で、斥候……。
これまで幾度となく繰り返された兆候は、他のメンバーにも伝播していて、同様の不安を募らせている。
竜種出現の急報より切実な問題――剣士の恋模様に、セルシアを除く『パンキャリ』全員の心が騒ついた。
「先月氾濫したヨコモヌ川流域の復興事業に人手が足りていない。今月中に復旧の目処が立たないことには農期の作付けが間に合わなくなってしまう。そこでだ、諸君! 諸君らが手にするのは農具か? それとも武具か?相応しいのは、どちらだろうか?」
胸当てに刻まれた紋章から、貴族であることに間違いないが、それにしては態度に嫌味がない。使い込まれた――傷だらけの銀装の兜を脱いだ瞳には、未だ薄らと少年らしさが残っている。大隊長としては如何せん、風格の足りない年齢に思えるが、その口調には説得力がある……不思議な青年。
だが、そんな青臭さを一蹴するように、ケビンは容赦なく追及の手を伸ばす。
「恩着せがましく、軍は敢えて農具を選んだ、とでも言うつもりか!」
誰もが『口火を切った』、そう思った。
ところが……、
「否、そうではない。既に、軍の復興事業への派遣は決まっていた話さ。だが、同時に竜種の出現だ。どちらも急を要する軍務に変わりないが……」
大隊長は肩を窄めて、掌を掲げる。
「今度はこっちの人手が足らんのさ」
仕上げに首を降って、完成したポーズで『お手上げ』を示した。
張り詰めてた緊張が瞬時、ここで解かれた。軍の苦しい台所事情を、こうもあっさり詳らかにされては……、拍子抜けも良いところ。若さを逆手に取った、大隊長の道化芝居に皆、やられた。
局内は、忽ち冒険者の笑い声で溢れた。
「上手いな! 大隊長さん。確か、ベルナンド・コクーン殿……だったかな?」
何気ない発言にも、その一言に呼応するようにして、引き締まった表情が冒険者の間を伝播していく。王都で最も偉大な英傑『マスター・ジョー』の二つ名は伊達では無い。緩んだ気持ちを張り直すよう、冒険者から自然と笑みが消えた。
「まさか『マスター・ジョー』に名を知って頂いてるとは……光栄です」
大隊長に対し、掲げられた左手は、それ以上の挨拶は不要の合図。
「あれだけ笑った手前、今更、話も聞かずに抜けようなんて思う輩は誰もおりません。存分に……」
ジョー・マステマス――金等級パーティーでも最古参『イビル・ジョー』のリーダーは、絶大な影響を冒険者に与える。
「ありがとうございます。では、早速本題に……」
一連の流れに、不自然さなど微塵も無かった。ただ、セルシアの色恋に気を削がれていたニコには、不思議な違和感があった。
『何だか、トントン拍子で話が進んでるなぁ』
傍観的に局内を眺めていたニコの印象は、ベルナンドの次の発言で疑念に変わる。
「討伐隊編成に向けて、軍は諸氏に合同訓練への参加を要請する!」
ここに来て、軍からの強権発動は寝耳に水。局内は、一瞬で動揺に染まった。
「ちょっと待ってくれ! そいつはギルド承認の……正式な要請ってことかい?」
このケビンの質問は真っ当だ、冒険者の誰もが思った。ただ一人、ニコを除いて……。
『おかしい、話の展開が急すぎる。まさか、この問答は想定通り? ひょっとして……』
「合同訓練に関してはそうだ。事前にギルドマスターから諸氏らの推薦を貰っている……が、討伐隊への参加は要請でなく依頼にするつもりだ」
「あのババァ、性懲りも無く、またハメやがった!」
『やっぱり! 不満はギルドじゃなく、軍に向かうはずなのに……多分、始めから、チャチャの謝罪からそう。全部、計算ずくで印象操作してる! あんな気の回る子じゃないもん!』