第1話

文字数 4,080文字

「嗚呼、もうダメ! やってらんない」

 一旦、口元まで運んだジョッキをテーブルに戻すことで得られる――幾許もない同情を頼りに、隣で鎮座するドロシーの柔靭な肩に濡れた頬の休息を求めるも、彼女のチクチクと刺さる硬い髪質が枕に適さないと感じるや否や、耳元で結ばれた長い彼女の髪束を無造作に払い退けると返す動き、左手はジョッキに一直線……。喉奥に引っ掛かったトゲでも押し流すようビールを注ぎ込んだら再び、セルシアは丸くて隆隆な三角筋に頬を埋めた。

「ちょっと、セルシア! 今のは」

 大人しく向かいの席で話を聞いていたアンジェラが、その先を問いただす前に鋭い眼光が飛ぶ。

 至近距離から放たれた『睨み』は銀等級パーティーの闘士に相応しい凄みで、抗う隅などない。咄嗟に言葉を飲み込んだアンジェラに満面の笑みで返す、ドロシーの気遣いがその場の空気を鎮めた。

 全く以ていつもの如く、無自覚に邪気を撒き散らすセルシア。普段なら相槌のひとつも添えたところで各自、退散しているのだが……、この日ばかりは様子が違った。

 あのスーザンでさえ、鋭意不毛な時間を共に過ごす覚悟でいる! 食事を済ませば早々、部屋に篭り戦利品の鑑定に勤しむ、あのスーザンが、だ。

 そんな気遣いも他所に、ヤケ飲み上戸は再び顔を持ち上げると、天井を仰ぐようグルっと一周、首を捻った。気の抜けた身体を引きずり起こしてまで、続けるのは当然! 先に立たなかった後悔の続き。

「アタシだってね、一杯一杯だったのよ。でもね、重いとか……、そういう風に思われちゃいけないから……、黙って見守って来たんだけれど……」

 途中、言い訳じみた細い路地にかかると途端に速度は落ちて、徐行運転。

 右往左往、抜け出してみると見通しの良い大通り、で一転の急加速。

「だからアタシからは何も……、何も言い出せなかったんだ、よう〜!」

 ほんの少し……。思いの丈を言い切る、ほんの少し前に息継ぎ。からの、

 涙と感情をスパイスにして語尾に集約、負のエネルギーと共に一気に放出した。全てが一連の所作のような、修練した技能とも呼べる慟哭に、今度は注文の品を両手一杯に携えたニコがやられた。

 一刻も早く追加料理を掻き込みたい健啖家は、僅かな違いでテーブルを占拠されてしまった。一旦、自分の席に品を積み上げるも、機転はそこまで。ニコは早々に居場所を失ってしまう。

「こっち、ニコ。僕と二人掛けしよう」

 誘われるように、ニコはアンジェラに灯された標を得る。だが、易々と行動には移さない。それがパーティーリーダーに求められる慎重さ故か、単に生まれ持った性格故か……、どちらにせよ、アンジェラの求めるような端的な答えは返さない。

「いいけど、それよりアンジーが私の膝の上ってのは?」

「却下!」

 揶揄ってみたら案の定、可愛い可愛い『アンジー・アイドル』の膨れっ面が拝めた。

「ウソウソ、ありがとね」

 ニコはアンジェラの右脇から素早く腰を滑らせた。

 ムカついてるものの、第一印象が「思ったより、ふくよか」な、ニコの太腿に、残心で座り心地まで喚起してしまったアンジェラは俯き加減で顔を染める。

 そこで終われば何事もなく済ませられた。ちょっと飲みすぎただけ……と、しかし! 追撃は止まない。

 右側の臀部から太腿にかけて、時間差でやって来たニコの温もりがアンジェラの心拍と呼吸を掻き乱す。血流は勢いを増し、毛細血管を駆け巡った。

 真っ赤に染め上げられた耳、浅くて早い呼吸……。周囲がアンジェラの背徳を察するのも時間の問題だった。

「大丈夫? 飲み過ぎじゃない?」

 早々、異変に気付いたドロシーが声を掛ける。

「うん、大丈夫。平気平気!」

「そうかしら? 全然そうは見えないんだけど……」

 スーザンまで訝しく覗き込んだところで、唐突にアンジェラの拘束は解かれる。

 臨界を迎えた食指に突き動かされるよう、ニコが強硬手段に打って出たのだ。

 テーブルに突っ伏して泣きじゃくるセルシアの背後に回り込んで、後から抱えるよう椅子に座り直させると、そのまま一気。背もたれ越しに上体を引き起こしての一喝。

「しっかりしろ! 堕罪の剣姫、」

 うっかり、「いつもの事だろ」と言いそうになって、すんでに堪えた。

『セーフ!』

 呼気の後、今度はセルシアの両肩に自分の肘を付いて、手のひらで挟んだ女剣士の顔を真上に引き上げた。

「ほらもう、綺麗な顔が……」

 上下逆さまに対面したセルシアの顔は汗と涙と鼻水でデロンデロン。にも関わらず、剣姫と呼ばれる可憐さは損なわれることなくそこにあった、故の自問。

「台無し?」

「ニーちゃん、アタシ。やっぱりダメだったよぅ」

 そんなニコの心象を打ち消さんとばかりに、ダメダメのセルシアが顔を出す。

「そうね、そうだね。……ごめん、スー。そこの、それ頂戴」

 指で差して同意を求めたスーザンにニコは頷いて答えた。直後、躊躇なく放り投げられた速度は、なかなかのものだったが、ニコは難無くそれを受け取るとセルシアの顔を包み隠すよう上から、おしぼりを当てがった。

 瞼の熱を張り付いた感触が真っ先に奪っていった。遅れて覆い被さってきたニコの手が小刻みにゴシゴシ動き出すとデロンデロンが一枚づつ剥がされ、感覚を取り戻したセルシアの頬を今度は真横に伝って涙が落ちた。

『万が一の懸念が無くなった!』

 セルシアを除く、ニコ、ドロシー、アンジェラ、スーザンの正直な気持ちだった。

 実際、彼女たち『Pumpkin Carriage』――略して『パンキャリ』――には大一番が控えている。

 順当にいけば、『パンキャリ』は史上初の快挙を達成する目前にあった。年内にも金等級への昇格が囁かれているのだ。長い王都の歴史において、女性だけのパーティーが金等級に昇格した例は無い。

 結成時は蜃気楼の向こう側、薄っすら揺らいで見える程度が、この三年で輪郭をハッキリ窺い知る位置にまで登り詰めた。メンバーは士気を高潮し続け、ゴールを目指している。

『あの問題さえ解消されれば、もう言うこと無しなんだけど……』

 それを四人の本懐と言うには誇張も過ぎるのだが、それでも、先週末に告げられたセルシアのプライベートに多少の贖罪を感じずに居られない四人は、今宵のセルシアとトコトン向き合う覚悟をしていた。

 金等級ともなれば、その規範はプライベートにまで及ぶ。力だけの無法者を――英傑と呼ばれる――金等級に推すことは許されない。パーティー内で唯一、プライベートに懸念を抱えているとすれば……それは剣姫の異性関係だけだった。無論、恋愛に奔放というだけではない。

 片っ端から男をダメにしていくのだ。

 元がどんなに真面目であろうと、働き者であろうと、皆、同じ道を歩む。甲斐甲斐しく世話を焼かれて、過剰なまでに愛されて……、半年もすれば見事、ヒモや夢想家に仕上っている。

 既に冒険者の間では、『堕罪の剣姫』という二つ名が浸透してしまった――セルシアが抱える男性問題。

『まぁ、最初のアレが無ければ、セルシアだってこうまで拗らせてないだろうけど……』

 直後、左右に首を振って記憶に蓋をするニコ。

 どんな気分も台無しにしてしまう――二人が故郷を離れる原因となった――男のことなど、今更……。

『思い返すのも腹立たしい!』

 けれど、それでも名前くらい平気で覗かせる、厄介な人物。

『……アーロン・クロフォード』

 その間、十数秒。

 ニコが回顧に費やした時間で全てを間に合わせる――王都でも指折りの連係は流石!

 椅子から移された料理で原野(テーブル)は一瞬にして砦に変わった。この程度の呼吸、彼女らが合わせるのは綽々の作業だ。

 そんな彼女たちの夜会も、始まって小一時間が経過していた。そろそろウォーミングアップを済ませた剣姫の恋檄が飛んで来そう……。皆が身構える中、カウンターの方から想定外の声が鳴り響く。

「アンダーカバーは居るか? パンプキンキャリッジのリーダー? アンダーカバー、居ないか?」

 それまでの喧騒が一瞬にして凪に変わった。

 その変化に一番驚いたのが声を上げた張本人、と言う面白い状況。酒も入った気の荒い連中が全員、こちらを向いたと思ったら窺い知るよう視線は奥のテーブルに……。

 ただでは済まされない雰囲気、と同時に、今度は奥から声まで飛んでくる。

「ちょっと、お兄さん。うちのリーダーに向かって今、なんて言ったのさ?」

 荒げずとも伝わる語気に男は血の気を削がれて、何を後悔したら良いのかも判らなくなっていた。

「ドロシー、もう十分よ。彼にも悪気は無いようだから……多分、誰かに唆されたのよ。それで? 要件は?」

 ニコが男から料理に目先を変えると同時、凪は終わり、再び店内は喧騒を取り戻した。

 慌てて駆け寄った男の顔には全く見覚えも無く、ニコはそのまま手を止める事なく食事を続けた。

「初めましてよね? ニコ・ファーランドよ。食事の最中に来たのだから、このままで失礼するわよ。」

 食事を進めるニコに、少し顔色の戻った男は面倒くさい肩書を堅っ苦しい口調で告げる。

「自分は第一師団、近衛一番隊、大隊長補佐殿の代理だ。明朝八時、本部第三局に貴殿らの出頭を願う、以上」

『まずい!』

 ニコの予感が的中する。

「近衛隊? それってチャチャのこと?」

 寝た子のセルシアを起こしてしまう。

「そうだ! チャチャ・ヨーマ大隊長補佐殿の代理だ」

「懐かしい! ニーちゃん、ねぇチャチャだって。え、あの子元気にしてるの?」

『もう誤魔化しきれない』

「それはもう、バリバリと働いておられるよ」

 慣れない敬語と戦っている辺りが新兵丸出しだ。

「へぇ、軍属に知り合いなんていたんだ」

 アンジェラまで話に加わってきた。「厄介だ!」と言わんばかり、ニコは手を止めて一言で区切りをつける。

「わかりました、そう伝えてください」

 生々しい戦慄の記憶は、少しの呼び水で簡単に引き戻せた。

「では、明日。食事中に失礼した」

 男は引き際を悟ると、足早に去って行った。

 突然の休日返上に、夜会は本来の目的を遂げることなく早々に切り上げられた。
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