⑲苛立ち

文字数 3,090文字

「どうかなさいましたか?」
どれくらい立ち尽くしていたんだろう。背後からの声に振り返ると、館長が立っていた。
まるで、シオリと言い争った"あの時"と同じように。あの時と、同じ台詞で。
俺とユウリの言い合いは、今回も騒ぎになっていたらしい。周りを見渡すと、ある程度の距離を取ったところから、前の時と同じような視線が俺に向けられていた。
「……桐生さん?まさかとは思いましたが」
少し驚いたような声。いつもなら心地よくも感じる館長の声が、この時は妙にわざとらしい台詞のように聞こえた。
最初に出来た1秒に満たない間も、「やっぱり騒ぎを起こしたのはまたお前か」と……言葉にならない呆れが作り出したように思えた。

「その子のこと信じてるって言えないなら、お兄さんの出る幕じゃないよ」

不意に、シオリの声が聞こえた気がした。
もちろん、あの時の言い争いは館長には関係のないことだったし、二人の見た目は全く似ていない。ただ、親子であるという事実だけが、俺にそう錯覚させていた。

「あの子の事を信じていると言えないのなら、桐生さんの出る幕じゃありませんでしたね」

シオリの声が、頭の中で館長の声に変換されて聞こえた。もちろん、館長はそんな事言っていない。

「僕は信じているんです。シオリ(あの子)のことを」

そう言っていた事は覚えている。

「桐生さんは、ユウリ(あの子)を信じてあげらなかったんですね」

そんな事は言われていない。頭ではわかっている。けれど、口に出していないだけで、館長がそう思っているような気がした。気がしてしまっている自分がいた。

現実と想像が入り乱れる。
頭と心が上手く動かない。

「信じてくれなかったタク兄ちゃんに、あたしの気持ちはわかんないよ!」

理由は一つ。涙を流したユウリの顔が、声が、突きつけられた現実が、俺を掻き乱していた。
年下のユウリを子ども扱いしていた自分。
年上だからと自惚れていた自分。
見透かされていたとも知らずに。
そんな情けない自分に対する苛立ち。考えまいとは思っていても、心のどこかで思ってしまっているユウリに対する苛立ち。

ーーこんなに付き合ってやったのに

微かにでもそう思ってしまう自分がいる事に対して、再び募る苛立ち。
苛立ち。
苛立ち。
苛立ち。
その矛先をあらゆる方向に向けようと、俺の中で死神が暴れ始めた。

死神(おれ)感情(そと)に出せ!」って。

自分一人では背負いきれないその苛立ちを、少しでも軽くしたくて。誰かにぶつけたくて。そう、元はと言えばーー

(アンタのせいじゃないか!)

目の前にいる張本人にそう吐き出し、叩きつけてやりたい。そんな衝動。それを、ギリギリの所で抑え付けていた。
「ちょっと、お話があるのですが……良いですか?」
二度も騒ぎを起こせば、責任者の館長(この人)がそう言ってくるのも当然かもしれない。
けど……今の俺にはそれに耐えられる自信がなかった。このままこの人を目の前にして、平常心を保っている自信がなかった。今の俺にとって、館長(この人)は格好の餌食だったから。
「……今は、無理っす」
俺は、ギリギリ残っていた理性と声を振り絞って返すと館長の脇をすり抜けた。
「待ってください!大事な話なんです」
「……」
館長の声を背中受けて流して、振り返らずに歩いた。
「桐生さん!」
予想外だったのは、追いかけてきたのだろう館長が俺の手を掴んだ事だった。
「どうしてもお伝えしたいことがーー」
その瞬間、必死に抑えていた俺の中の死神(かんじょう)が……溢れた。
「ッ触んな!」
俺は館長の手を振り払うと、館長を睨んだ。
「……アンタのせいじゃないか」
塞き止めていたその声を、その言葉を、今度は抑え込むことが出来なかった。
「元はと言えばーー」
俺は館長に詰め寄ると、その胸ぐらを掴んでいた。その衝撃で、館長の眼鏡が床に落ちた。
「アンタがあの時、余計なことしなけりゃ良かったんだ!」
ユウリが"魔法を信じる"なんてことはなかったはずだ。母親の運命を受け止められたはずだ。変な希望を持たせて、裏切って、ガッカリさせて……アンタのせいで、ユウリがどれだけ苦しんだと思ってるんだ。
逆恨みにも似たそんな気持ちを、抑えることが出来なかった。
「そうすればアイツは……アイツはーー」
そこから先の言葉は、出て来なかった。
「……」
館長は驚いた顔もせず、抵抗をすることもなく、俺に胸ぐらを掴まれたまま、眼鏡の外れた素顔のまま、黙って俺を見ていた。その代わりにーー
「……うわッ!」
いきなり背後から制服の襟を捕まれると、俺は凄い力で館長から引き離された。そのまま後ろに投げ飛ばされるように本棚に叩きつけられた。どこかから、誰かの小さな悲鳴が聞こえた。
「……痛ってぇな!!
頭の上にバタバタと落ちてきた本を振り払う俺は、目の前で仁王立ちしていたその人物に目を奪われた。
「悪いな、タクちゃん」
「……木林さん」
久し振りの、再会だった。
まさかこんな形で会うなんて……想像出来るはずもなかった。
木林さんは本棚の前に座り込んだ俺の前にしゃがむと、真顔で俺の顔を見た。そしてーー
「でも、一回は一回だ」
そう言って、俺の頬を平手で打った。



あれから俺は館長室に連れてこられた。
警察に通報されるのかと思ったけど、館長は、何も言わずに俺にコーヒーを淹れてくれた。
情けない自分に対する怒り、館長に対する逆恨みと嫉妬、そして木林さんの登場。混乱のピークを迎えていた俺の頭は、真っ白だった。館長室(ここ)までどうやって歩いてきたのかすら、覚えていなかった。
「……」
そんな中で、手の中にあるコーヒーの香りと温かさだけが、俺を現実に繋ぎ止めてくれていた。
「少し、落ち着いたかい?」
いつもの口調に戻った木林さんに言われて、俺は黙って頷いた。
"あの時"と同じ、本に囲まれた部屋。真ん中の机に館長が座っていた。あの時と違う事は、パイプ椅子に座る俺の隣にはユウリの代わりに木林さんが居るということ。
「……さっきはすんませんでした」
「いやいや、謝らないで下さい桐生さん」
俺が頭を下げると、館長はいつもの笑みを浮かべながら首を横に振った。
「……眼鏡は」
「大丈夫ですよ。この眼鏡は

ですから」
右手の中指で眼鏡を上げると、蛍光灯の光を反射したレンズが白く光った。
「それに、謝らなければいけないのは"僕達"の方なんですから。ね?木林(キバ)さん」
「ああ、その通りだ」
「……え?」
館長と木林さんはお互いに顔を見合わせて頷いていた。
意味がわからなかった。
木林さんを"キバさん"と愛称で呼ぶのは親父くらいだと思ってた俺は、館長がそう呼んだことに驚いた。
「タクちゃん、すまなかった」
そう言うと、今度は木林さんは俺に頭を下げた。
「……やめて下さいよ。悪いのは俺なんすから。木林さんがやったことは正しいーー」
「そうじゃない。その事じゃないんだよ」
木林さんは顔を上げることなく言った。
「ユウリの事さ」
「ユウリの?」
ますます意味がわからなかった。ユウリの事で木林さんに謝られる覚えなんて、何もなかったから。
「タクちゃんは、ユウリの事で怒ってくれたんだろう?」
確かにそうかもしれないけれど……どうして木林さんが俺が館長に突っかかった原因がユウリの事だと知っているのかわからなかった。カエデさんはもちろん、木林さんにも図書館(ここ)での出来事は話していなかったから。
「僕と館長はね、昔からの知り合いなんだよ」
「……え?」
それは、気づけるはずのない事だった。
デスクに座っている館長を見ると、館長も黙って頷いた。
「だから、僕は全部知っているんだ。"あの日"、この部屋で何が起きたのか、タクちゃんとユウリが何を見たのかも、ね」
その瞬間、それまで掌で感じていたはずのコーヒーの温かさが消えた。


つづく。









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