第19話【にんぎょひめの物語】

文字数 2,723文字

これは、ささやき図書館にある童話"にんぎょひめ"の物語だ。
言いかえれば、僕に相談してきた人魚姫スヴェンヌの妹であり、この物語の主人公でもある人魚姫リリージェの物語ーー。


青い海の底に、美しい人魚のお城があった。
そこには人魚のおばあさんと、6人の人魚姫が住んでいた。
海の中にも楽しいことはあったが、人魚姫達はおばあさんから海の上の話を聞くことが大好きだった。海の上の世界は、海の中の世界にはないもで溢れていたからだ。人魚姫達は、見たこともない世界の話に胸を踊らせながら育った。
人魚には15歳になったら海の上に行っても良いという決まりがあった。1歳ずつ歳の離れた人魚姫達は、自分が15歳になる日を待ち遠しく思いながら過ごしていた。
末っ子の人魚姫(リリージェ)もまた、毎年先に15歳を迎えた5人の姉達が地上から持ち帰ってくる土産話を聞きながら、自分が15歳を迎える日を心待ちにしていた。
1番上の人魚姫が15歳を迎えてから5年後、ついに末っ子の人魚姫が海の上に昇る時がやって来た。
胸を弾ませながら海の上に顔をだした人魚姫は、すぐ近くに立派な船が浮かんでいることに気がついた。船室の窓から中を覗いた人魚姫は、大勢の着飾った人間達の中に、美しい王子を見つけた。そして、人魚姫は恋に落ちた。
その夜、突然の嵐に船は襲われた。稲妻と嵐に船は裂かれ、王子は海に投げ出された。人魚姫は意識を失い海に浮かぶ王子を探し出すと、陸を目指して必死に泳ぎ続けた。
人魚姫が王子を砂浜に寝かせると、教会から人間達がやってきた。人魚姫は急いで海へ姿を隠し、王子が息を吹き返すのを見届けると、海の中の城へ帰った。
それからも、人魚姫は王子のことを忘れられなかった。いつか、王子と共に暮らすことを願うようになった。そんな人魚姫をおばあさんはたしなめた。人魚の寿命は300年。人間と人魚が共に暮らすことなどできない、と。
それでも人魚姫の気持ちは変わらなかった。"人間になりたい。2本の脚が欲しい"と願うようになり、その想いは日に日に強くなり、
ついに海の魔女の元へ相談に出掛けた。
海の魔女は人魚姫がどうしてやってきたのか、すでに知っていた。人間になる薬も持っていた。
"一度人間になったら二度と人魚には戻れない"
"脚がはえても歩く度にナイフを踏む激痛がある"
"王子が他の娘と結婚したら翌朝人魚姫は死んで海の泡になる"
そんな恐ろしい条件にも関わらず、人魚姫は自分の"声"と引き換えに、人間になる薬を手に入れた。それだけ、人魚姫の王子に対する想いは強かった。
再び海の上にあがった人魚姫は、海沿いに佇む王子の城にやってきた。城に繋がる岩場に座り薬を飲むと、全身に激痛が走り、人魚姫は意識を失った。
人魚姫が目を覚ますと、美しい2本の脚がはえていた。喜ぶ人魚姫の元にさらに嬉しい出来事が続いた。岩場に裸でいる人魚姫の姿に気付き、あの王子がやってきたのだった。
遂に憧れの人を前にした人魚姫だったが、声を失っていた彼女は王子の問いに答えることも、王子に話しかけることもできなかった。
しゃべれない人魚姫を不憫に思った王子は、人魚姫を自分の城に連れて帰った。歩く度に脚に激痛が走った。それでも、憧れの人の隣で歩けることが、人魚姫は幸せだった。
美しく、踊りの上手い人魚姫を気に入った王子は、人魚姫を自分の城へ住まわせた。夢にまでみた王子との暮らし。しかし、声を失っていた人魚姫は、自分の想いを伝えることができないままだった。
しばらくして、王子が隣の国の王女とお見合いをすることになった。海の魔女との約束を思い出し、青ざめる人魚姫に、王子は言った。
"王女とは結婚しない。自分には好きな人がいる"と。それは、かつて嵐の夜に海に投げ出された自分を助けてくれた人だという。
もちろん、人魚姫には"それは自分だ"と言うことはできなかった。
数日後、お見合いのために仕方なく隣の国へやってきた王子は、王女の姿を見て驚いた。王女は、あの時人魚姫が王子を助け、寝かせた浜辺にやってきた教会の娘だった。彼女は教会に身を置き、お妃になる勉強をしていたのだった。王子の心は直ぐに王女に奪われた。そして、人魚姫の微かな望みは全て打ち砕かれた。
結婚式は直ぐに執り行われた。王女の付き人として結婚式に参列した人魚姫には、もう時間がなかった。翌朝には、海の泡となるのだから。
夕方に開かれたお祝いのパーティーでも、人魚姫は笑顔を絶やさなかった。王子と王女の為に、一生懸命踊った。ナイフに突き刺される脚の痛みさえ感じなかった。それくらい心は苦しみで一杯だった。
その夜、静まり返った船の上で、人魚姫は夜明けを持っていた。海の泡になるのは目前だった。その時、海から5人の人魚姫達が次々に浮かび上がってきた。
5人は自分達の長い髪と引き換えに、海の魔女からナイフをもらってきたのだった。
"ナイフで王子の胸を刺し、その血が脚にかかれば人間に戻れる"
姉達は人魚姫にそう告げると、ナイフを差し出した。日が昇るのは目前だった。
人魚姫は姉達からナイフを受けとると、王子の寝室に向かった。ベッドでは、王子と王女が幸せそうに眠っていた。
人魚姫がナイフを振りかざした時、王子が寝言で王女の名を呼んだ。
その瞬間、人魚姫の手からナイフが落ちた。王子の心は、王女のことで一杯だった。
人魚姫は心の中で王子への別れを告げると、海に飛び込んだ。
朝日が海を照らし、人魚姫は自分の体が溶けて泡になっていくのを感じた。
不思議と苦しくはなかった。人魚姫の体は軽くなり、天に昇っていった。
"あなたも精一杯生きたのね"
不思議な声に包まれ、人魚姫は空気の精になった。姫の目から温かいものが溢れた。それは、人魚の世界にはない"涙"だった。


「……」
知っていたはずの"にんぎょひめ"の物語。もしもスヴェンヌと出会っていなかったら、リリージェのことを知らなかったら、「ああ、やっぱり切ない話だな」程度の感想だったのかもしれない。
けれど、今の僕にとってこの物語は、誰かに造られた子ども向けの童話から、相談相手の妹が実際に辿った、儚い生涯に変わっていた。
正直、そこまで詳しくは覚えていなかった、人魚姫の物語。
声と引き換えに手に入れた、歩く度にナイフに刺されたような激痛が走る脚。
王子が自分以外の娘と結ばれたら、自分は海の泡となる運命。
その全てを受け入れ、背負い、15歳という若さで海に消えたリリージェの物語。そして、最愛の妹を失ったスヴェンヌの物語ーー。
もしも僕が、初めて彼女に相談を持ちかけられていたなら、なんて言葉をかけただろう。
「……参った、な」
竹座館長譲りの口癖が、ゆっくりと閉じた本の上にこぼれた。

つづく。
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