④電話

文字数 2,255文字

季節は流れて、秋になっていた。

あれから、俺がユウリに会うことはなかった。まぁ、ユウリが床屋(ウチ)に来ない限り、会うことがないのが当然だったけれど。
木林さんはカットに来たのかもしれなかった。けれど、それを親父に聞くこともしなかったし、親父が自分から言ってくることもなかった。

少しずつ、俺の日常が戻り始めた時、一本の電話が鳴った。

「タク、あんたに電話」
「俺に?」
それは普段なら来るはずのない電話だった。俺に用事があるヤツは、俺のケータイに電話してくるはずだったから。
「誰?」
「ナントカ図書館って言ってた」
「図書館?」
俺はお袋から受話器を受けとると、耳に当てた。
「もしもし」
≪もしもし、お忙しいところ申し訳ありません≫
その妙に丁寧な口調で、相手が誰なのか直ぐにわかった。
≪ささやき図書館の竹座と申します≫
予想通り、館長のおっさんだった。
あまり覚えてはなかったけれど、どうやら俺は貸出カードを作った時、連絡先として自宅の電話番号を書いていたようだった。
≪桐生タクト様でいらっしゃいますか?≫
「はい。そうっす」
≪今、お時間よろしいでしょうか?≫
「はい」
≪実は、先日お借りいただいた本が1冊、返却期限を過ぎておりましたので、確認のお電話をさせていただきました≫
「あ、そうすか。すみません」
反射的に謝ってみたものの、俺に心当たりはなかった。なぜなら、あれから俺は一度も図書館に行っていなかったから。
理由はただひとつ。ユウリに会うのが怖かったからだ。万が一、またユウリと再会したら……どう声をかけていいのかわからない。一度失敗していた俺は、ただ、それが怖かった。
「でも、すんません。最近借りた覚えがないんすけど……何の本すか?」
≪ええと……童話の"にんぎょひめ"ですね≫
「人魚姫?」
思わず聞き返した。そしてーー
「……あ」
"あの日"ユウリが借りていた、カゴいっぱいの本のことを思い出した。
≪8月に何冊かまとめて貸し出されているのですが、にんぎょひめだけが返却されていないようです≫
間違いない。"あの時"の本だ。ユウリが俺の貸出カードを使って借りたあの日。まさか2ヶ月も延滞しているとは思わなかった。
「すんません。ちょっと確認してからでもいいすか?」
≪承知しました≫
館長のおっさんは、何かあれば図書館に連絡して欲しいと付けたし、電話を切った。


「お袋」
俺はキッチンで夕飯の支度をしているお袋に声をかけた。ちょうど仕事を終えた親父もいて、手を洗っていた。
「木林さんの電話番号って知ってるか?」
「木林さんの?名簿には載ってるはずだけど、どうしたの?」
俺は、二人に事情を話した。
実はユウリ達に図書館で再会していたこと、俺の貸出カードでユウリが本を借りたこと、そしてその中の一冊が延滞していること。
「それでさっき図書館から電話がきたの?」
「ああ。だから、一回木林さんに聞いて欲しいんだよ」
「お父さん、どうする?」
「いいんじゃねーか?」
お袋に振られて、親父が頷いた。
「夜遅くなると失礼だから、電話するなら今の方がいいぞ」
「え?俺がすんの?」
その言葉は、明らかに俺に向けられていた。
「お前が自分で動いたことだろ。"今回"は」
きっと親父が言いたかったのは、前回の失敗は親父にも非があったから咎めないけれど、今回は俺が自分の判断でやったことだから、自分で責任もって片付けろって意味だと思った。
「……」
正直、気は乗らなかった。せっかくユウリの事を忘れられそうだったのだから。
けれど、ここで親に泣きつくことは、もっと嫌だった。
「……名乗っていいのか、店の名前」
親父は何も言わず、頷きで返した。



「どうも、いつもお世話になっております。"ヘアーサロン K "の桐生です。夜分遅くに申し訳ありません」
電話口での言葉遣いは、普段の俺なら使わないような整った言葉だ。小さい頃からお袋の電話対応を見て、聞いて育った俺には、自然とそれを再現できた。
ちなみに、お客さん対応もそうだ。目の前の相手がお客さんで、しかも丁寧な言葉遣いが必要な場面だと判断すると、勝手に整った言葉が口から出てくる。同じ相手でも、砕けて話していい場面になると元に戻る。ユウリの事で木林さんに謝った時もそうだった。
ただ、問題は"誰が"電話に出るかだった。
事情を知ってる木林さんなら何のも問題ない。もしもユウリやユウリの父親か、ひょっとしたら自宅で療養しているかもしれない母親が出たとしたら……そう思うと、番号を押す手が何度か固まった。

≪……ああ、いつもどうもマスター≫
幸い、電話に出たのは木林さんだった。心で「よしっ!」と、拳を握った。
「あの、親父じゃないっす。タクトです」
≪えっ?!タクちゃんかい??電話で聞くとマスターと同じ声だねぇ≫
なんて、木林さんは思春期あるあるに一人感心していたようだったけれど、俺はそれには特に触れずに、図書館からの電話の件を伝えた。
「ーーというわけなんすけど、お孫さんに聞いてみてもらっていいすか?」
「……ああ、そうだったのか」
その時の「ああ」が聞こえるまでの不自然に、ほんの1秒長いと感じた"間"が、俺にいろいろなことを考えさせた。もちろん、悪い意味でだ。
「それは悪いことをしたね。ユウリに聞いてみるよ。少し待っていてくれるかい?」
「あ、いやーー」
もし本があったなら、図書館に返してもらえればそれで良かった。わざわざ俺に報告してくれなくても良かった。けれど、それを伝える前に、受話器の向こう側から流れてきたのは、どこかで聞き覚えのあるクラシックの保留音だった。


つづく
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