第3話 【童話の中の世界】

文字数 2,637文字

「彼女はね、おばあさんの仇とはいえ、タヌキを騙して殺してしまったことを、ずっと悔やんでいるんだよ。だから僕が、時々話を聞かせてもらっているんだ」
僕は、デスクの上で再びメソメソと泣き始めたウサギを呆然と見ていた。
もちろん、僕が聞きたかったのはウサギの素性ではない。今、目の前で起きている"非現実的な出来事全て"が一体何なのか、それが知りたかった。
「質問も多々あるだろうけれど、少しだけ待っていてくれるかい?もう少し彼女と話をしたいんだ」
そう言うと、竹座館長は再びウサギと向き合い、話を始めた。時々うんうんと頷きながら、たまに自分の考えを返しながら、僕がイメージする人間を相手にしたカウンセリングと同じようなことを続けていた。
『ーーありがとう、ユタカさん。ワタシ、もう少し考えてみるわ』
15分位経った頃、サトミさんが竹座館長に言った。ちなみに、ユタカは竹座館長の下の名前だ。
「そうかい。いくら悩んでもいいんだよ。辛くなったら、いつでも言っていいよ。なんなら"作話"も考えていいからね」
『うん、ありがとう。またね』
竹座館長が静かに本を閉じると、それまで浮かんでいたウサギの姿も、スゥっと消えてしまった。同時に、声も聞こえなくなった。
「……ふぅ。待たせてしまって悪かったね」
「いえ」
「聞きたいことが山のようにある、そんな顔をしているね」
「はい」
「信じられないかもしれないけれど、今君の目の前で起きた出来事は、手品でも最先端テクノロジーでもない。不確実な言葉かもしれないけれど、あえて名前をつけるなら"魔法"のようなものだよ」
「魔法?」
「もう一度言おう。僕は正常だ。だから君にも真実をありのままに伝えようと思う」
竹座館長は眼鏡を外すと、指で目頭を押さえた。直ぐに眼鏡をかけ直し、真正面から真剣な眼差しを僕に向けた。
「僕たち人間が生きているこの世界があるように、童話の中にもこことは別の世界が広がっている。そしてそこにはたくさんの登場人物が暮らしているんだ。例えば、この童話」
竹座館長は、さっきまで開いていただろう本を手にとって、僕に見せた。子どもフロアの童話コーナーにある"かちかちやま"だった。
「この物語の中には誰がいるかな?」
「ええと……ウサギと、タヌキと、おじいさん、おばあさん、ですか?」
「そうだね。主な登場人物はそれくらいかもしれないけれど、彼らが生きている物語の中の世界には、僕たちと同じように家族や友人、動物や植物、時には化け物がいる。"かちかちやま"で語られた物語は、その世界で起きた出来事の一つにすぎないんだよ」
少し複雑になってきた説明を理解するために、僕は必死に頭を回転させた。
「例えば、僕達の世界の子ども達が"かちかちやま"を読んだとしよう。その時、さっきのサトミ君は"かちかちやま"に登場するウサギとして何度でも同じ物語を辿る。毎回タヌキにおばあさんを殺され、悲しみ、怒り、その仇討ちとして毎回タヌキを殺してしまう。物語はそれで終わってしまうけれど、その後も、サトミ君はおばあさんとタヌキがいない世界で生きているんだよ。"自分がしたことは、本当に良かったことなのか"って、悩みながらね」
つまり、竹座館長はさっき本から飛び出していたウサギのそんな悩みを聞いていた、ということになるらしい。
「……」
正直、すぐに信じられるような話ではなかった。そんな僕の反応はきっと竹座館長にも直ぐに伝わったのだろう。
「僕はね、この事は滅多に他人に明かさないんだ」
竹座館長は"魔法"の説明を一度やめた。声のトーンが変わったことを、僕は聞き逃さなかった。きっと"説明"から"説得"にギアを入れ変えたんだと思った。
「君のように、童話が好きで、自ら創作する心がある……現実にはありえない魔法のような出来事も、きっと受け入れてくれると判断できる人にだけ、夜の図書館の秘密を教えるんだ」
いつもおっとりとした口調の竹座館長が、こんなに熱く語っている場面を、僕は見たことがなかった。
「童話は、昔からずっと子ども達の心を育んでくれた。ワクワクしたり、時には恐ろしかったり、いろんな感情を教わった。僕だってそうだし、僕の娘だってそうだった。僕が大好きだった童話の中の者達が、心を痛めていることを放っておきたくないんだ」
「どうしてーー」
僕はようやく、自分の言葉をはさむことができた。
「どうしてさっきみたいに、ウサギの姿が見えるんですか?この眼鏡に何か仕掛けがあるんですか?」
「ああ、そうなんだ。この眼鏡にこそ、魔法の秘密が詰まっている」
僕がもう一度話を"魔法"に戻すと、竹座館長はいつもの冷静な口調に戻った。
「この眼鏡をかけた時にだけ、僕たちは登場人物の声と形をとらえることができる。これは先代館長だった、僕の友人から譲り受けたものなんだ」
「何か、特殊な眼鏡なんですか?」
「詳しくは説明されていないんだけれど、どうやらこの図書館とここにある全ての本棚を作った木と、同じものを加工して作ったらしいんだ」
木製の眼鏡だったとは気付かなかった。どおりで軽かったはずだ。
「どうしてその眼鏡にこんな力が宿ったのかは……申し訳ないが僕にもわからない。本当に"魔法"としか言いようがないんだ」
竹座館長は自分の眼鏡を外して、目を細めた。普通の眼鏡のように塗装されていたから気付かなかったけれど、竹座館長がいつもかけていた眼鏡も、特別な力が宿った眼鏡だったようだ。
「この眼鏡をかけて童話コーナー歩くとね、淡く光って見える本があるんだよ。それが、本の登場人物からのSOSのサインなんだ」
「だから、夜にやってるんですか?」
「そういうこと」
さっき、暗がりの子どもコーナーをうろうろしていた竹座館長の行動の意味がようやくわかった。
「毎日何冊もあるわけじゃないんだ。多くても5冊。1冊も光らない日だってある。"彼ら"だって、毎日毎日悩みや相談があるわけじゃないからね。今日はたまたま、サトミ君は僕と話したかっただけなんだ」
竹座館長の手の中、本の表紙ではサトミさんがタヌキの背負うタキギにまさに火を着けようとしている姿が描かれていた。
「もちろん、相談内容が毎回こんなに重いわけじゃないんだ。本当に些細なことや、どうでもいい世間話の方が多いくらいだからね。サトミ君の場合は特別でーー…ああ、"彼"なら別の意味でいい例かな」
そう言うと、竹座館長は別の本を開いた。次の瞬間、デスクの上に仁王立ちする褐色の肌をした大男がスゥっと現れた。


つづく
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