⑯魔法の手

文字数 2,521文字

カエデさんにユウリの気持ちを聞いてからも、俺たちの関係は特に変わることなく続いていた。
「やっぱり館長に直接聞いた方が早いんじゃねーか?」
「きっと教えてくれないよ」
どの童話を読んでも"魔法の気配"すら見つけられなくて、調査は全く進まないままだった。
同じ1時間を過ごしているはずなのに、外が暗くなるのが早いせいか時間も短く感じた。
そもそも、俺とユウリがしていることにゴールはあるのか、そんなことを考えるようになっていた。
もしも本当に魔法があったとすれば、①魔法の謎を解き明かすゴールと、②解き明かせないゴール。そしてそもそも魔法なんてなかった場合の③手品を解き明かしたゴールと、④解き明かせなかったゴール。たぶんこの4つのどれかだと思っていた。
そして俺は、ユウリの前では魔法の気配を探していても、心の奥ではずっと④のゴールが待っているんじゃないかと思っていた。
もちろん、目の前で真剣にページをめくるユウリに、そんなことは言えなかったけど。
「……ユウリ、そろそろ時間だな」
「うん」
サイレントルームの時計を見て、俺は立ち上がった。不意に振り返ると、窓からの夜景が飛び込んできた。外が暗くなるのが早くなったから、今までは夜景が見えることに気づかなかったらしい。
図書館が緩い坂の上にあったことは知っていたけど、ここまでちゃんと夜景が見えることは知らなかった。きっと、この部屋(サイレントルーム)の位置も良かったからなんだろうけど。
「……夜景、見えるんだな」
「うん」
「気づいてたのか?」
「うん。帰るときもチラッと見えるから」
「そうか」
この暗い中をユウリ一人で家に帰している。その事に、俺はその時に気づいた。
「……家まで送ってくか?」
正直迷った。そこまですることで、更にユウリとの距離を縮めてしまうんじゃないかって思ったから。でも、身の安全の方が大事だとも思った。
「ううん。大丈夫」
「でもーー」
「そんな子どもじゃないよ」
ユウリは食い気味に言ってくると、読んでいた童話を持って立ち上がった。
「じゃあね、タク兄ちゃん」
「おう」
そして、今となっては見慣れてしまった微笑みを俺に向けて、サイレントルームを出ていった。
「……」
初めて"あの顔"を見て、感動してた事が、ずっとずっと昔のことみたいに思えた。


次の週。
俺たちの街に初雪が降った。積もることのない、ちらつく程度の雪。
そのうち自転車にも乗れなくなるかもな。そんなことを考えながら駐輪場へ自転車を停めて歩いていくと、正面玄関に人影があった。
「タク兄ちゃんさん」
俺に手を振る小柄な女性。薄手のコートに巻いた真っ赤なマフラーが目立っていた。カエデさんだった。
「こんばんは」
「どうしたんすか?」
俺が駆け寄ると、カエデさんは前と同じ微笑みを浮かべていた。
「ユウリに会う前に、ちょっとお時間いいですか?」
「いいすよ」
「ありがとうございます」
カエデさんはマフラーを巻き直しながら言った。
「ユウリは一体、図書館(ここ)で何をしてるんですか?タク兄ちゃんさんと一緒に何かを調べてるとしか聞かされてなくて」
「……」
急な質問に、一瞬答えに詰まった。
破れた童話を再生させた"魔法"の謎を一緒に調べてる。そんなこと言えるはずがなかった。
「ユウリは……それを秘密にしてるんすか?」
「ええ。何度聞いても、教えてくれないんです」
「……」
少し、考えた。
「ユウリが言わないんなら、俺からも言えないす」
「そう言うと思ってました。でも、教えて下さい」
カエデさんの顔が、真剣なものに変わった。
「あの子、最近様子がおかしいんです」
「おかしい?」
「父の話だと、学校が終わると毎日のように図書館に行って、直ぐに帰って来るって」
話を聞いただけでは、別におかしいとは思わなかった。毎日図書館に通うことが、そんなにおかしいことなのか?
「ユウリは、水曜以外も図書館(ここ)に来てたんすか?」
「いえ、毎日来るようになったのは最近らしいです。それまでは、タク兄ちゃんさんと会える水曜日だけだったって、父は言ってました」
「……そうすか」
もちろん、ユウリからは何も聞いてはいなかった。
「図書館に頻繁に行くようになったのと同じ頃から、姉の手をよく擦るようになったらしいんです」
「擦る……」
決して様態が良いとは言えない母親の手を娘が擦る。それもまた、特におかしな様子はないような気がした。
「最近は夜もろくに寝ないで"それ"をしてるって。父も母も心配してて」
どうやら、カエデさん達にとってユウリの様子がおかしく見えてるのは、"そこ"に原因があるみたいだった。
「もしタク兄ちゃんさんが何か知っていれば、ユウリの無茶をやめさせることも出来るかと思ったんですけど」
「……いや、俺にもそれは」
隠すわけじゃなく、本当にわからなかった。そんなことしてることすら知らないのだから、理由なんてわかるはずがない。
「私、一度だけ見たんです。ユウリが"魔法の手だよ"って言いながら、姉の手を擦ってるのを」
「……魔法の、手」
魔法という言葉に一瞬、ドキッとしたけど、"魔法の手"は聞いたことのない言葉だった。これまで俺達が読んできた童話に、そんな言葉が出てきた覚えもなかった。
「何か、思い当たることはありませんか?」
「……本当に、すんません。わかんないす。俺達がやってるのは、ひたすら童話を読むことなんで」
それは本当の事だった。
「……そうですか」
カエデさんには申し訳ないけど、俺は"今"全てを伝えるべきじゃないと思った。
「わかりました。ありがとうございます。ユウリには、私と会った事、秘密にしてて下さいね」
「あの」
頭を下げて去ろうとしたカエデさんを、俺は呼び止めた。
「良くないんすか?……お姉さんの具合」
カエデさんは、少し困った顔をしながら「そうですね」と小声で言った。
「最近調子良かったみたいなんですけど、体調にもムラがあって」
「……そうすか」
それ以上は、聞けなかった。
「それじゃあ、失礼します」
カエデさんはもう一度頭を下げると、ちらつく雪の中を去っていった。
「……」
ユウリのおかしげな行動。その理由はわからなかった。けど、それを解く鍵はきっと図書館にある。それだけは確信出来た。
「……魔法の手」
俺は自分の掌を見ながら、図書館に入った。


つづく。
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