第4話 日本人の桜

文字数 1,563文字

 桜を素材にした歌は、いったいどのくらいあるのだろうか。
 オリコンミュージックストアにある「桜ソング特集」を見ると80曲ほど紹介されている。そのトップに登場するのは、2005年にリリースされたケツメイシの「さくら」だ。
 この曲は風景と人の心の関係を歌っただけでなく、変わらないと感ずる風景の意味を暗示しているところに他の曲にない深みがあって、「桜ソング」の中では最も好きな曲だ。
 「変わらない」とか「あの頃のまま」という言葉がフレーズを変えて繰り返され、「変わらない」と感ずる景色をベースに「花びら舞い散る、記憶舞い戻る」がリフレインされる。
 花びらは散って元には戻らないが、さくらの景色は毎年変わらずそこにある。その変わらない景色があるからこそ、美しい思い出がよみがえる。そんな思いが桜に託されている。
 この曲を聴いたとき頭に浮かんだのが芭蕉の有名な句だ。

 「さまざまのこと 思い出す 桜かな」

 この句を知った時、あまりに素直な表現だけに、逆に意味がつかめないでいた。
 桜の美しさを表現するなら「我を忘れる」というような表現になるだろう。
 「さまざまのこと思い出す」と言うなら、あとに来るのは梅でも椿でもいいのではないか、という素朴な疑問だった。

 芭蕉のこの句には、「探丸子(たんがんし)の君、別墅(べっしょ)(下屋敷のこと)の花見もよはさせ給ひけるに、昔のあともさながらにて」 という詞書(ことばがき)が付されている。
 この「昔のあと」とは、果たして芭蕉の心の中にある思い出なのだろうか?
 この疑問に、ケツメイシの歌がヒントを与えてくれた。
 ケツメイシのさくらでは、ラップの部分で次のフレーズがある。

 ♪さくら散る頃 出会い別れ それでもここまだ変わらぬままで♪

 われわれの日常は絶えず変化する。しかし、その変化は「変わらない香り、景色、風」の中で起こっている。その変わらないと感ずるものこそが、「忘れた記憶と君の声」を戻してくれるとこの歌は言っているのだと思う。

 芭蕉の観察眼は、開花し、すぐに散っていく変化のただ中にある美しい桜を見ながら、「昔のあともさながらにて」あるものに注意を寄せている。それは花を咲かせる桜の木そのもの、すなわち変わらぬ木、変わらぬ場所であり、花見という行事のあり方でもあるだろう。あるいはケツメイシの言う「変わらない香り、景色、風」でもあるだろう。
 そうした変わらないものへの気付きを、「さまざまのこと 思い出す」と言っているのだ。
 人は移りゆくもの、変化するものに対しては注意を払うが、変わらないものに対する意識は薄らぐ。しかし、人の日常において無意識のうちに平穏を与えているのは、変わらないと感ずるものだ。この安定した場所が下地となって、人は絶えず変化を受容し、自ら生成していく。
 「さまざまのこと 思い出す」という芭蕉の気付きは、桜の持つ変わるものと変わらぬものの両義性に対する気付きであり、この両義性を桜に与えているものは、日本人が時代を超え、場所を超えて、桜に寄せている普遍的な思いであり、共通感覚だ。
 ケツメイシはそれを「花びら舞い散る 記憶舞い戻る」と見事な表現を用いた。
 
 桜は、人間の思いや生活などとはまったく関係なく、自らの生命の営みを繰り返しているのであり、開花はその営みの一現象に過ぎない。
 しかし、古来、日本人はこの一現象に生活や人生の節目を重ね合わせて、特別の思いを寄せてきた。ときには期待であり、祈りであり、喜びであり、悲しみだ。
 その思いが人々の間で共有されるとき、あるいは共通感覚となったとき、その表現が祭りや儀式となって、文化や伝統となり、DNAとなる。
 われわれは、変化の最中(さなか)にある美しい桜を通じて、変わらないものへの思いを寄せているのであり、それは古来のDNAを呼び覚ますことでもあるのだ。
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