7・翳り

文字数 1,588文字

8月8日
 夕5時、仕事を終わらせ、健司に会いに行く。
健司、髭もそらずに、元気ない様子でベッドに座っている。そんな様子を看護師さんが心配そうに見守っていた。昨日から緘黙。足元もふらつく。軽い脳梗塞を疑われていた。強い「鬱状態」にも見える・・・ⅯRIでの検査を経なければ、診断がつかず、治療方針が立たない。
8月9日
介護調査員面談日。夕方報告電話もらう。要介護一。

8月11日
 立つ事も、歩く事もできなくなっている。言葉が出ない。しかし、人の会話は聞いていて、面会中よく笑った。
8月12日
今日は立った。声は出ない。持参したスイカとローストビーフ喜んでたべた。

8月13日
 閉所恐怖症の健司だが、アイマスクと耳栓をしてⅯRI検査は午前中に済んでいた。医師から説明があった。
「右前頭葉、右小脳、脳梗塞。しかし、広範囲の梗塞ではないので、生命への危険性は低いと思われる。治療法はリハビリにつきる」
「リハビリにつきる」「リハビリにつきる」佳枝は反芻した。
今日もだんまりだったが、佳枝を怒鳴る時だけ声が出る。
佳枝が家で用意して来たサンドイッチを貪り食べた。
角田医師が先だって手配してくれた、ソーシャルワーカーに、自宅近くのリハビリ病院への転院希望し、探すよう頼んでおいた。

8月14日
 途切れ、途切れの激しい雨。傘を持って、健司の待つ病院へ。
昨日は怒鳴る時だけの発語だったが、今日はちがった。
「メンカイはメンカイは・・・・」
「アシタモ コイヨ コイヨ コイヨ コイヨ・・・・・」帰り際、壊れたテープのようだったが発語した。
発語出来ない苛立ちに、顔を歪めながらも発語した。
病院は人手不足である。夕食の見守り終えて、帰宅十時。

8月15日
 昨日、病院帰りの車中で、首の痛みおぼえた。朝、起きると、首の痛みさらにひどくなっていた。痛みに耐えて病院へ。
昨日の健司の
「アシタモ コイヨ コイヨ……」の痛切な発語が佳枝を縛る。
駅前で土砂降りの雨に濡れ、それからいつもの行程で病院へ。
電車内の空き座席を目で探す。以前は慎むべき事と思っていたのに、最近では常のことになった。足腰も今日はかなり痛む。
座席に座り、目を閉じてみるが、心は先へと急ぐ。病院では健司がいつものように、ベッドに座り、佳枝を見ると怒った。
「この時間に来てどうするんだ・・」
怒る時だけ、言葉が明瞭である。
何度か、息がつまるような、首の痛みが襲ってきた。耐える佳枝を健司が不思議そうに見つめている。が、わからないらしい。

転院先が決まった。
これまでソーシャルワーカーが二人の自宅近くのリハビリ病院をリストアップし、片端から問い合わせていたようなのだが、どこも満床で、なかなか決まらなかった。
✖✖リハビリ病院。健司と佳枝、二人の在所の地名を病院名に冠したこの病院だけは即決だったという。
佳枝はリストアップされた病院の中で最も自宅に近いこの病院に入院が決まったことは僥倖と思った。
自宅から車で片道十八分。慣れればもっと短縮できるだろう。今まで片道二時間余りの通院に、息も絶え絶えだったことを思って、また仕事の再開を思って、安堵したのである。

8月16日

 今日も健司のもとへ。
明日、新しい病院の見学、および家族面接。それを健司に話し、明日は会えないと、ちゃんと言って納得させなければいけない。
行ったかいがあった。
健司はナースステイションで自分や看護師さんや孫の千鳥の名前をローマ字で書いていて佳枝を喜ばせた。
また、デイルームで漢字交じりの文を何度も読んだ。
かすれる声だが、怒鳴らずものが言えた。
おとといは、佳枝の言うことを必死でリフレインしたが、今日は自分の考えを述べた。
「運転免許証の更新の知らせが来ているが、」と、言うと
「運転せずにすむ暮らしがしたい」と、免許証を返す意思を見せた。
また、住まいの事も…
別れ際になると引き止めようとする。腕を掴む。

 
 

 
  


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