第15話 ツール・ド・フランスでの奇跡
文字数 3,171文字
そして、翌日の第18ステージだった。前半に大きな山を越え、後半二つの山を越えて下ってゴールというステージ。
再び僕達は、逃げ集団に乗るべくアタックする。そして、見事に成功。というか。ほぼ勝敗が決まり、今日は、ある程度逃げ切り勝利で容認という雰囲気になっていた。その為に、逃げ切り集団は、30人を越える大集団となった。
逃げ集団は、黙々と一つ目の山を登る。今日は、ヴィッシュさんも山頂の山岳ポイント目指さず、ゆっくりと。と思ったのだが、山賀がスプリント。山頂をトップで通過する。
すでに山岳賞もほぼ決まっていたのに。なぜ、スプリント? と周囲も思ったようだが、ああ、賞金狙いか。と思われたようだった。そう、山賀は、山岳ポイント1位通過で、650€を手に入れたのだ。
そして、山賀は、次の山も1位通過で、500€を手に入れる。そして、最後の山が近づいてきていた。
「タイム差は10分以上だ。プロトンにスピードアップの気配はない」
ジャックさんの冷静な声が聞こえる。
そして、最後の山を登り始めると、ステージ勝利の為に、逃げ集団もスピードアップ。徐々に脱落していく選手があらわれた。そして、ヴィッシュさんも、
「後は、頼んだぞ」
今日は、平地でも山でも僕達を一人引きしてくれたヴィッシュさんが、力尽き遅れていった。
「結構、ついていけるな」
「ああ」
スピードアップしたものの、チームSAUや、ジャンボディズムのような過激なスピードでは無く、僕も山賀も速めの登坂スピードについていき、残り10人ほどの中に残っていた。
さあ、いよいよだ。視線の先に、山頂が見えてきた。
僕は、一旦山賀と並走すると、背中を軽く叩きつつ。
「シン、行ってこい」
「ああ」
山賀の目の色が変わる。
そして、山頂まで1km地点だった。山賀がダンシングして、猛烈な勢いで登っていった。斜度18%、一番傾斜の厳しい場所だった。2人が一応、ダンシングしてついていこうとするが、あまりの斜度に諦めて、シッティングのまま、スピードをあげる。
そして、僕達も山頂に到達する。ゲートの所には、オートバイが停車していた。その方達は、オートバイに乗ってタイム差を表示してくれるのだが、そのタイム差は2分。
えっ! 逃げ集団に動揺が走り、慌ててダウンヒルに入ると、スピードをあげる。僕は、一番グループの後方に入り、ゆっくり降りていく。
残りは、およそ20kmのダウンヒルで、その後ほぼ平坦を4km走ってゴールだが、ダウンヒルで5km下るごとにタイム差は。
2分30秒……3分……3分30秒と開いていき。逃げ集団は追走を諦めた。よしっ!
しかし、山賀、時速何kmで下ってんだ? 僕は、サイクルコンピューターに目を落とす。時速70km。え〜と、山賀の方が、30秒速いから……。およそ80km……。馬鹿だな。
そして、山賀は独走して、最後、後ろを振り返りつつ、ゆっくり走りゴールに入ったそうだ。山賀は、色々ポーズを考えていたようだが、ただのガッツポーズになったそうだ。
そして、日本のテレビでは、
「マジか~、えっ、えっ、うお〜、すげー」
「なんと日本人初優勝〜! 優勝は、山賀〜! はい、ガッツポーズ」
「え〜、え〜、信じられない」
「はいはい、興奮し過ぎないで」
テレビで、自転車普及協会の会長さんと、日本人とドイツ人のハーフの実況者が絶叫する。
そう、ツール・ド・フランスでの日本人初勝利だったのだった。今中さんも、別府さんも、新城さんも成し遂げれなかった事を、山賀ごときが、申し訳ありません。
途中から、僕は涙で目の前が見えなくなった。
山賀のくせに、山賀ごときが、最高じゃないか〜!
僕は、絶叫しつつゴールして、山賀を探す。山賀は、ヨシさんに激励されていた、その横ではジャックさんも絶叫している。
「シ〜ン!」
僕は、山賀に抱きつく。
「おめでとう、やったな」
「ああ、奇跡だな。俺が勝ったのか……」
「ああ、勝ったんだよ、シンが勝ったんだよ」
「そうか。だけど、なんでお前が泣いてんだ?」
「そんな事、どうでも良いだろ」
その後も、ヴィッシュさん、ルランさん、や、ミークさん達に、次々と祝福を受ける山賀がいた。
そして、表彰式。一番先に表彰台に上がったのは山賀だった。奇麗な女性2人を左右に従え、表彰台の上で花束、そして、メダルを首にかけられる。そして、左右からポディウムガールからの祝福のキスを受けて、写真撮影が行われる。
そして、表彰台を降りる時、山賀は花束を投げた。えっ、僕に。
周囲から、「ひゅ~」という音が聞こえた外国人が良くやる。囃し立てる口笛だった。
えっ、やめろよ山賀。勘違いされるだろ!
で、後で山賀に聞くと。
「エレオノーレさんに、プレゼントしろよ」
だそうだ。自分で渡せよと言ったら。
「俺が、エレオノーレさんからありがとうのキスをされても意味がないだろ?」
だそうだ。と、言われて、エレオノーレさんに花束をプレゼントする。
「まあ、私に? ですが、良いのですか? シンは、ノブに贈ったのでは?」
「いえっ、あいつはアシストしてくれた僕にって、事なんですが。花束だったので、女性にと思いまして」
「そうでしたか、ありがとうございます」
エレオノーレさんは、ニコッと笑い花束を受け取ると。
「ありがとう、ノブ チュッ」
そして、夜は、簡単に勝利の祝い。まあ、まだレースは残っているので、ちょっと美味しい物を食べただけだったけど。
「シンが勝ったぞ~。ルランの仇討ちだな~」
「そうですね、シン君、ありがとう」
「やめてください、ミークさんも、ルランさんも」
で、この後は、僕達は、ボロボロだった。タイムアウトにならないように、走り切り、僕達のツール・ド・フランスは終わった。いやっ、終わってなかった。最終ステージだった。
最終ステージ、奇麗な宮殿や、公園を見つつ、パレード走行が行われた。今日のレースは、パリ市内に入ってから、周回コースを走行するのみが、レースだった。
優勝した選手がいるチームは、シャンパンを取り出して乾杯し飲んだり、リラックスムードだった。他チームの知り合いの選手と話し、談笑していた。
そして、パレード走行中、僕達は、ミークさんや、ジャックさんにうながされて、集団の先頭に行かされた。他の選手も覚えてくれたようで、背中をポンッと叩かれつつ、前へ前へと行く。
そして、日の丸を持って広げて、しばらく走る。恒例行事のようなものだったが、ちょっと恥ずかしかった。
そう言えば、最終ステージでは、山賀が石畳の走行で、リードアウトトレインを組めず、代わりにルランさんが石畳リードアウトトレインの一角をやり、ミークさんが、3位フィニッシュしたのだった。
「シン、石畳走る練習しろ! お前がいたら、優勝したのは俺だったぞ!」
「すみません、ミークさん」
ミークさんにヘッドロックされて、山賀が謝るのだが、ミークさんは笑っていた。
こうして、僕達の始めてのツール・ド・フランスは終わった。圧倒的な力の差を感じると同時に、可能性も感じたレースだった。まあ、山賀は勝ってみせたしね。
チームは翌年、ミークさん、ルランさん、そして、山賀の稼いだポイントが決めてとなり、ワールドツアーチームへと昇格する。
で、ミークさんが、引退する。まあ、引退自体は、ツール・ド・フランス後に宣言していたのだったが。さらに、ミークチームも解散し、それぞれのチームへと散る。
さらに、数人がチームを去り、オーナーのエレオノーレ・フェリーニさんは、若手の有望株を集める。
こうして、チームは、チームの半分が25歳以下という若いチームとなった。そして、ワールドツアーチームのフェリーニホテルズサイクルロードチームの新しい物語が始まる。
第一部完
再び僕達は、逃げ集団に乗るべくアタックする。そして、見事に成功。というか。ほぼ勝敗が決まり、今日は、ある程度逃げ切り勝利で容認という雰囲気になっていた。その為に、逃げ切り集団は、30人を越える大集団となった。
逃げ集団は、黙々と一つ目の山を登る。今日は、ヴィッシュさんも山頂の山岳ポイント目指さず、ゆっくりと。と思ったのだが、山賀がスプリント。山頂をトップで通過する。
すでに山岳賞もほぼ決まっていたのに。なぜ、スプリント? と周囲も思ったようだが、ああ、賞金狙いか。と思われたようだった。そう、山賀は、山岳ポイント1位通過で、650€を手に入れたのだ。
そして、山賀は、次の山も1位通過で、500€を手に入れる。そして、最後の山が近づいてきていた。
「タイム差は10分以上だ。プロトンにスピードアップの気配はない」
ジャックさんの冷静な声が聞こえる。
そして、最後の山を登り始めると、ステージ勝利の為に、逃げ集団もスピードアップ。徐々に脱落していく選手があらわれた。そして、ヴィッシュさんも、
「後は、頼んだぞ」
今日は、平地でも山でも僕達を一人引きしてくれたヴィッシュさんが、力尽き遅れていった。
「結構、ついていけるな」
「ああ」
スピードアップしたものの、チームSAUや、ジャンボディズムのような過激なスピードでは無く、僕も山賀も速めの登坂スピードについていき、残り10人ほどの中に残っていた。
さあ、いよいよだ。視線の先に、山頂が見えてきた。
僕は、一旦山賀と並走すると、背中を軽く叩きつつ。
「シン、行ってこい」
「ああ」
山賀の目の色が変わる。
そして、山頂まで1km地点だった。山賀がダンシングして、猛烈な勢いで登っていった。斜度18%、一番傾斜の厳しい場所だった。2人が一応、ダンシングしてついていこうとするが、あまりの斜度に諦めて、シッティングのまま、スピードをあげる。
そして、僕達も山頂に到達する。ゲートの所には、オートバイが停車していた。その方達は、オートバイに乗ってタイム差を表示してくれるのだが、そのタイム差は2分。
えっ! 逃げ集団に動揺が走り、慌ててダウンヒルに入ると、スピードをあげる。僕は、一番グループの後方に入り、ゆっくり降りていく。
残りは、およそ20kmのダウンヒルで、その後ほぼ平坦を4km走ってゴールだが、ダウンヒルで5km下るごとにタイム差は。
2分30秒……3分……3分30秒と開いていき。逃げ集団は追走を諦めた。よしっ!
しかし、山賀、時速何kmで下ってんだ? 僕は、サイクルコンピューターに目を落とす。時速70km。え〜と、山賀の方が、30秒速いから……。およそ80km……。馬鹿だな。
そして、山賀は独走して、最後、後ろを振り返りつつ、ゆっくり走りゴールに入ったそうだ。山賀は、色々ポーズを考えていたようだが、ただのガッツポーズになったそうだ。
そして、日本のテレビでは、
「マジか~、えっ、えっ、うお〜、すげー」
「なんと日本人初優勝〜! 優勝は、山賀〜! はい、ガッツポーズ」
「え〜、え〜、信じられない」
「はいはい、興奮し過ぎないで」
テレビで、自転車普及協会の会長さんと、日本人とドイツ人のハーフの実況者が絶叫する。
そう、ツール・ド・フランスでの日本人初勝利だったのだった。今中さんも、別府さんも、新城さんも成し遂げれなかった事を、山賀ごときが、申し訳ありません。
途中から、僕は涙で目の前が見えなくなった。
山賀のくせに、山賀ごときが、最高じゃないか〜!
僕は、絶叫しつつゴールして、山賀を探す。山賀は、ヨシさんに激励されていた、その横ではジャックさんも絶叫している。
「シ〜ン!」
僕は、山賀に抱きつく。
「おめでとう、やったな」
「ああ、奇跡だな。俺が勝ったのか……」
「ああ、勝ったんだよ、シンが勝ったんだよ」
「そうか。だけど、なんでお前が泣いてんだ?」
「そんな事、どうでも良いだろ」
その後も、ヴィッシュさん、ルランさん、や、ミークさん達に、次々と祝福を受ける山賀がいた。
そして、表彰式。一番先に表彰台に上がったのは山賀だった。奇麗な女性2人を左右に従え、表彰台の上で花束、そして、メダルを首にかけられる。そして、左右からポディウムガールからの祝福のキスを受けて、写真撮影が行われる。
そして、表彰台を降りる時、山賀は花束を投げた。えっ、僕に。
周囲から、「ひゅ~」という音が聞こえた外国人が良くやる。囃し立てる口笛だった。
えっ、やめろよ山賀。勘違いされるだろ!
で、後で山賀に聞くと。
「エレオノーレさんに、プレゼントしろよ」
だそうだ。自分で渡せよと言ったら。
「俺が、エレオノーレさんからありがとうのキスをされても意味がないだろ?」
だそうだ。と、言われて、エレオノーレさんに花束をプレゼントする。
「まあ、私に? ですが、良いのですか? シンは、ノブに贈ったのでは?」
「いえっ、あいつはアシストしてくれた僕にって、事なんですが。花束だったので、女性にと思いまして」
「そうでしたか、ありがとうございます」
エレオノーレさんは、ニコッと笑い花束を受け取ると。
「ありがとう、ノブ チュッ」
そして、夜は、簡単に勝利の祝い。まあ、まだレースは残っているので、ちょっと美味しい物を食べただけだったけど。
「シンが勝ったぞ~。ルランの仇討ちだな~」
「そうですね、シン君、ありがとう」
「やめてください、ミークさんも、ルランさんも」
で、この後は、僕達は、ボロボロだった。タイムアウトにならないように、走り切り、僕達のツール・ド・フランスは終わった。いやっ、終わってなかった。最終ステージだった。
最終ステージ、奇麗な宮殿や、公園を見つつ、パレード走行が行われた。今日のレースは、パリ市内に入ってから、周回コースを走行するのみが、レースだった。
優勝した選手がいるチームは、シャンパンを取り出して乾杯し飲んだり、リラックスムードだった。他チームの知り合いの選手と話し、談笑していた。
そして、パレード走行中、僕達は、ミークさんや、ジャックさんにうながされて、集団の先頭に行かされた。他の選手も覚えてくれたようで、背中をポンッと叩かれつつ、前へ前へと行く。
そして、日の丸を持って広げて、しばらく走る。恒例行事のようなものだったが、ちょっと恥ずかしかった。
そう言えば、最終ステージでは、山賀が石畳の走行で、リードアウトトレインを組めず、代わりにルランさんが石畳リードアウトトレインの一角をやり、ミークさんが、3位フィニッシュしたのだった。
「シン、石畳走る練習しろ! お前がいたら、優勝したのは俺だったぞ!」
「すみません、ミークさん」
ミークさんにヘッドロックされて、山賀が謝るのだが、ミークさんは笑っていた。
こうして、僕達の始めてのツール・ド・フランスは終わった。圧倒的な力の差を感じると同時に、可能性も感じたレースだった。まあ、山賀は勝ってみせたしね。
チームは翌年、ミークさん、ルランさん、そして、山賀の稼いだポイントが決めてとなり、ワールドツアーチームへと昇格する。
で、ミークさんが、引退する。まあ、引退自体は、ツール・ド・フランス後に宣言していたのだったが。さらに、ミークチームも解散し、それぞれのチームへと散る。
さらに、数人がチームを去り、オーナーのエレオノーレ・フェリーニさんは、若手の有望株を集める。
こうして、チームは、チームの半分が25歳以下という若いチームとなった。そして、ワールドツアーチームのフェリーニホテルズサイクルロードチームの新しい物語が始まる。
第一部完