第18話 犬の噂

文字数 1,921文字

 夏休みも残りの方が少なくなってきた頃。
(しょう)海戸(かいと)(ゆう)の家に遊びに来ていたが、部屋の空気は重苦しかった。
(しょう)がふたりと付き合いを控えるよう母親から言われている、と白状したからだ。
最初に口を開いたのは海戸(かいと)だった。

「そうか。(しょう)のおばさんの気持ちもわかるよ」
「うん。(しょう)の父さんも心配してたよな」

(ゆう)も珍しく真面目な顔で言う。
苛立ちというよりは悲しみをこめた声音で(しょう)が言った。

「どうして、そんなこというの?」
「俺は兄貴しかいないから。家族がいるなら、あんまり心配かけちゃいけないと思う」
「そうだよ。だって……」

(ゆう)は何と言うべきか考えこんだ。
(しょう)の鼓動が早鐘を打つ。しぼりだすように出した声は泣きそうだった。

「……僕がいると、やっぱり迷惑?」
「そういう意味じゃない!

海戸(かいと)が慌てて否定したが次の言葉が出てこなかった。

「ただ、何ていえばいいのかな……」

また沈黙が訪れる。

「……僕、帰るよ」

(しょう)は立ち上がる。ドアのところで振り返ると、ふたりに向かって言った。

「ごめんね」

海戸がため息のように息を吐き立ち上がる。

「俺も帰るよ。一緒に行こう」
「お兄ちゃん!大変たいっへん!」

(ゆう)の妹の江里(えり)が駆け込んでくる。部屋を出ようとしていた(しょう)江里(えり)とぶつかりかけた。江里(えり)(しょう)の腕をつかんで興奮気味にまくしたてる。

「犬がしゃべったの!」
「犬が?」

三人が声をそろえて聞き返す。

「そう!びっくりした……」

江里(えり)は大きく息を吐くと話し出した。

「あのね、薫子(かおるこ)お姉ちゃんと遊んだ帰りにあの道、通ったの。ちょっと狭い通り。そこでね、犬がゴミをあさってたんだけど、その犬がね、急にこっち見て『見てるんじゃない』って」
「犬がしゃべるわけないよ」
「本当だってば」

笑う(ゆう)江里(えり)はむきになって怒る。

「確かめてくればいいじゃない。じゃないとお兄ちゃんご飯なし!」


 犬が話す。聞き間違いだと思うけど。でも聞き間違いだったとしたら何と聞き間違えたんだろう?

 通りには仕事帰りらしい人々がたくさんいた。どの人もほんのりと顔を赤く染めている。

「お酒くさい」

(しょう)は顔をしかめた。

「からまれないようにしないとな」
海戸(かいと)が追っ払ってくれよ。兄さんみたいに」
「俺にはまだ無理」
江里(えり)ちゃん、どうしてこんなところ通ったんだろう」
「夕方は人いないから。俺もよく通るし」

三人はあたりを見回した。犬はいない。

「お店の人に聞いてみるのが早いと思うけど」
「今、忙しいだろ」
「腹減った」

ちょうど店の主人らしき人物がゴミを捨てに出てきた。

「あの、すみません」

(しょう)の声に店主は振り向いた。

「あ!」
「何だ?」
「なんでもありません。すみませんでした」

(しょう)は頭を下げ海戸(かいと)(ゆう)の手を引いて、その場から離れた。

「何だ、どうした?」
「なんかわかったのか」
「あの人には聞けないよ」

通りからだいぶ離れたところで(しょう)はふたりの手を離した。

「どうしたんだ?」

(しょう)は少しためらいながら言った。

「あの人の顔、犬そっくりだった」
「犬?」

海戸(かいと)(ゆう)は声をそろえて聞き返した。

「じゃあ江里(えり)が言ってたのって、あの人のことか?」
「たぶん」
「何が『犬がしゃべった』だ。あー、腹減った」

(ゆう)は怒り出した。

「犬ってひどいな」
「でも本当にそっくりだった。驚くのも無理ないよ」

三人は帰ることにして歩き出した。犬がゴミ箱をあさっている。

「いた!」

(ゆう)の声に驚き、犬は逃げ出した。

「追いかけるぞ!」

(ゆう)が走り出す。

「もういいんじゃないの?」
「きこえてない」

(しょう)海戸(かいと)(ゆう)を追いかけた。

「まてまてまて!」
(ゆう)!帰ろうよ!」
「捕まえれば気がすむのか?」

海戸(かいと)が犬を捕まえた。犬は抗議するように吠え立てる。三人はしばらく犬の様子を見た。

「普通の犬だな。話さないぞ」
「もう帰ろうよ」
「気はすんだか?」

(ゆう)がうん、と頷くと海戸(かいと)は犬を離した。犬は走り去ろうとしたが三人を振り返ると口を開く。

「おっかけまわすんじゃねえよ」


犬の噂
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