第34話 女神様の噂

文字数 3,974文字

「え、(ゆう)が来ないの?」

 (しょう)は待ち合わせ場所にした駅の構内で驚きの声をあげた。
今日は休日。蓮華(れんげ)市から里巫(りふ)市にある神社へ行くところだからだ。
親には塾の後、紗江子(さえこ)と出かけると伝えてある。
紗江子(さえこ)もあとから来ることになっているから嘘ではない。
海戸(かいと)は言う。

江里(えり)が風邪ひいたから看病だって」
「そうなんだ。大丈夫かな」
「アイスクリームが食べたいとか色々、言われるみたいだから大丈夫だろう」

行こう、と言われて(しょう)海戸(かいと)と改札を通った。
里巫(りふ)市へ向かう電車は都内から離れていく。空いている車内は楽に座ることができ窓の外もビルよりは畑や林が多くなってきた。
それを見つめたままふたりはずっと無言だ。
(ゆう)もいると思ったし、紗江子(さえこ)もいるから、と(しょう)は思う。
母親が喜んで買ってくる今まで着たことのない、ひらひらふわふわした服を着ていれば母は機嫌がいい。
だから今日も出かけることに小言がなかった。
だから、海戸(かいと)とふたりだと恥ずかしい。
変だと思われていないだろうか。

「おや、こんにちは」

ふたりが声に目を向けると黒い帽子にロングコート姿の菖蒲(あやめ)が立っていた。

「こんにちは、菖蒲(あやめ)さん」
「こんにちは」

菖蒲(あやめ)(しょう)の隣に座る。海戸(かいと)はややむっとしたが、すぐにそれは消えた。

「今日は(ゆう)さんは?」
「妹の江里(えり)ちゃんが風邪で。菖蒲(あやめ)さんはどこに行くんですか?」
里巫(りふ)桐里(とうり)神社です」

(しょう)は意外そうに菖蒲(あやめ)を見る。

「僕たちも行くんです。菖蒲(あやめ)さんも女神様に会いに行くんですか?」
「女神?桐里(とうり)さんのことですか?」

菖蒲(あやめ)は目を見開いて驚いたあと愉快そうに笑い出した。
しばらく笑い続けた菖蒲(あやめ)はまだ笑いをふくんだ声で言う。

「失礼。桐里(とうり)さんも有名になったんですね」
「友達なんですか?」
「はい、父の。それで、その、あの桐里(とうり)さんが女神というのは、どういうことですか」

また笑い出しそうになりながら菖蒲(あやめ)がきく。

「ええと、松田さん、三年生の人からきいたんですけど。女神様がいる神社だからお守りを買うと受験に合格するって」
桐里(とうり)さんのお守りで受験に合格……」

菖蒲(あやめ)はまた笑い出した。

「嘘なんですか?」
「いえ、受験に合格するかどうかは、わかりませんが、お守りの効果はありますよ」

菖蒲(あやめ)はくすくすと笑う。
電車が目的の駅に着いた。
海戸(かいと)は真っ先に立ち上がり(しょう)の手を引いて降りていく。
菖蒲(あやめ)はそれをにこにこと見守りながら、ふたりに続いた。

 電車をおりると改札はひとつ。駅の周りには自動販売機くらいしかなかった。舗装された道の脇には林がずっと続いている。

「こちらですよ」

菖蒲(あやめ)が先を歩き、海戸(かいと)(しょう)はそれに続いた。

「男の子が一緒でよかったですね。こんな道ですから、ひとりでは危ないでしょう」

菖蒲(あやめ)に言われて(しょう)は足をとめた。

「あ、友達があとから来るんですけど」
「そうですか。一本道ですから駅で待っていてはいかがですか。では、また」

菖蒲(あやめ)は穏やかに笑うと先を歩いていった。
春が近くなってきている。
のどかな道を(しょう)海戸(かいと)は駅まで戻ることにした。
電車の中と同じく、また沈黙が続く。
いつも何を話していたかな、と(しょう)は思う。
どんな風に何を話していたか、意識してしまえばしまうほど言葉が出てこなかった。

「あのさ」
「はい!」

急に海戸(かいと)に話しかけられ(しょう)はびっくりした。うわずった声が出てしまう。
海戸(かいと)は笑いだした。

「何、それ」
「……ずっと黙ってたから」

(しょう)は恥ずかしさから顔を赤くして目を伏せた。

「いや、あのさ。圭一(けいいち)をごまかすために俺と付き合ってることにしてるけど」
「うん」

ああ、と(しょう)は思う。
続きはききたくなかった。
重いものがずしりと胸にのしかかる。

「もうちょっと、それらしくした方がいいのかなって」
「え?」
「駅とかだと誰かが見てて変に思われたりするし」

(しょう)は黙って海戸(かいと)の次の言葉を待った。
海戸(かいと)は手を差し出す。

「だから、(ゆう)がいなかったら手つなぐぐらいはしようか?」

(しょう)は目をぱちぱちとさせて顔をふせると小さく頷いて海戸(かいと)の手をとった。大きいな、と思いながら自分のつま先を見て言う。

「……来年も、高校に行っても『嘘』ついててくれる?」
「しょうがないな。友達だから」
「ありがとう」

下を向いたまま(しょう)は言った。恥ずかしくて真っ赤で、嬉しくて笑顔だ。

「お邪魔かしら」

不意に背後から声をかけられて(しょう)は悲鳴をあげて海戸(かいと)の腕にしがみついた。
紗江子(さえこ)が立っている。
黒く重たさを感じさせる長い髪をした紗江子(さえこ)の周りは陽光の中でもどこか暗さを感じさせていた。

犬神(いぬがみ)。……駅、こっちだよな?どこにいたんだ?」
「私が目に入ってなかっただけじゃない?」

紗江子(さえこ)は澄ましてこたえると神社に向かって歩き出した。

 しばらく歩くと林が途切れ石畳が続く。奥の方に鳥居が見えた。

「あれが桐里(とうり)神社?」

(しょう)が言う。

「そのようね」

紗江子(さえこ)が鳥居に向かって歩きながら言う。

「鳥居の真ん中は神様の通り道だから通ったら駄目」
「へえ」

鳥居をくぐると左手に水の入った石桶があり柄杓が置いてあった。
桶の上に突き出している竹の筒から水が流れてきている。
竹の筒は岩壁に埋まっていた。
紗江子(さえこ)の言われるままに手を洗って口をすすぎ反対側になるプレハブ小屋に向かう。お守りの並べられた小さな棚が窓口の横にあり上には破魔矢・お守りといった看板が出ていた。
中では巫女衣装に身を包んだ女性と菖蒲(あやめ)が談笑している。
紗江子(さえこ)の顔色がさっと青ざめる。
女性が桐里(とうり)さんかな、と(しょう)は思った。
話しかけようとした海戸(かいと)紗江子(紗江子)がとめる。

「ここは……近づいたら駄目」
「何で?」
「あの人から邪悪な気配がする」

紗江子(さえこ)はすっと菖蒲(あやめ)を指差した。
きこえたのか中の二人がこちらを見ると女性の方が腹を抱えて笑い出した。

「邪悪!まさにその通り!凶悪な男の種だからな!はははははは!」

女性はばしばしと菖蒲(あやめ)の肩を叩きながら言う。

「伯父を筆頭に筋金入りの凶悪な血筋だからな!」
「そう言われれしまうと否定できません」

菖蒲(あやめ)もくすくすと笑う。

「すみません」

慌てて(しょう)が謝ると海戸(かいと)犬神(いぬがみ)だろう、と言う。
紗江子(さえこ)は二人の様子をじっと見て口を開く。

「嘘から出た真になったのね」
「え!?」

顔を赤くする(しょう)の様子を見て桐里(とうり)はにまにまと笑う。

「うちの境内で種まきは禁止だから。人気がないからって許されると思うな」
「ご経験がおありなんですか、種まき」
「喉元すぎれば、とやらだ。ああ、三十五年前が懐かしい!お守りを求めて長蛇の列!」

桐里(とうり)は頭を抱えて、うがーと叫んだ。

「それももって一年!早すぎるだろう!もうちょっと『なりそこない』を量産してだなあ!」
「したじゃありませんか。数年前まで」

桐里(とうり)菖蒲(あやめ)に指を突きつける。

「都内のごく一部だけじゃないかっ!全国的に人間社会を阿鼻叫喚の渦に巻きこんでしまえばよかったのにぃっ!」
「それでは経済活動が停滞してしまうでしょう?」
「知るか!この金持ちどもめっ!うちは小売で儲けられればいいんだっ!」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ桐里(とうり)を見て三人は顔を見合わせた。

「なんか……」

と、(しょう)

「俗っぽい」

と、海戸(かいと)

「邪悪な巫女ね」

と、紗江子(さえこ)

「あの人が女神様なのかな?」

首をかしげる(しょう)紗江子(さえこ)が言う。

「噂の出どころがお守りを買った人たちだとしたら、買う相手には愛想がよくて女神に見えたんじゃないかしら?」
「じゃあ、受験に合格するっていうのは?」

海戸(かいと)が言う。

「受験に受かるレベルの奴しか、たまたま来なかった」

これだけ辺ぴな場所だし、と、海戸(かいと)は続ける。

「そうなのかな?」
「噂って、そんなものよ」

帰りましょう、と踵を返す紗江子(さえこ)に声がかけられる。

「うちは犬の散歩も禁止!」

紗江子(さえこ)はぎょっとして桐里(とうり)を振り返る。

「お守り買ってかないか?」

桐里(とうり)が指差しているのは「恋愛成就」のお守りだ。
菖蒲(あやめ)がとめる。

「それはもう……」
「ん?そうなのか?」

ひそひそと話し続ける菖蒲(あやめ)たちを静かに見て紗江子(さえこ)は顔の赤いふたりに言った。

「帰りましょう」

ずんずんと先を歩く紗江子(さえこ)海戸(かいと)(しょう)は追いかけた。そっと手をつないで。


女神様の噂
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