第36話 最後の噂

文字数 4,833文字

 (しょう)が死んだ。
俺が知ったのは担任のダイダイが朝、クラスに言ったからだ。
交通事故。
母さんたちと同じだ。

葬式に行ったら(しょう)の親父に殴られた。
俺のせいだと言われた。
俺について夜遅くまで出歩いているからだと言われた。

『お前が殺したんだ』

何も言えなかった。

 二年二組教室の空気はいつもよりどこか重苦しかった。
楽しそうな会話をしていても机の上の花が目に入ると口をつぐんでしまう。
海戸(かいと)はぼんやりとしていた。

「なあ。海戸(かいと)。あんまり気にするなよ」

海戸(かいと)(ゆう)に生返事を返す。

「本当だって!俺は見たんだよ!」

圭一(けいいち)たちの騒がしい会話が海戸(かいと)の耳にさわった。

「あれは十川(とがわ)だ。きっと、さ迷っているんだ!」

海戸(かいと)圭一(けいいち)の胸ぐらをつかんだ。悲鳴があがる。

「いい加減なこと言ってんじゃねぇよ!(しょう)は死んだんだ!」

女生徒が泣き出す。
(ゆう)海戸(かいと)を後ろから押さえこんだ。

海戸(かいと)!やめよう!頼むよ……」
「こんな奴に!こいつに何がわかるんだっ!」

騒ぎをききつけた大原(おおはら)銀二(ぎんじ)が来て海戸(かいと)を連れて行く。(ゆう)もそれについていった。
圭一(けいいち)は保健室に連れて行かれたが教室の中は騒然としている。

「まったくひどい奴だよな。これだから不良は」

(とおる)に何人かが同調する。

「どっちもどっちだよ。海戸(かいと)君も悪い。鈴木(すずき)君も無神経だ」

竜彦(たつひこ)がきっぱりと言うと(とおる)たちは気まずそうに目をふせた。

 海戸(かいと)を迎えに来た兄の(けい)に大原は無理に笑顔をつくった。

「顔が引きつっているな」
「ああ、すまない。(ゆう)君はこっちだ」
「しばらく学校を休ませる」
「それがいい。葬式でのこと……きいたよ」
「それで同情の言葉でもくれるのか」
「そういう言い方はないだろ。……なんて言ったらいいのかわからない。やっぱり僕は駄目な教師だ」
「駄目なら駄目なりに頑張ればいいい。迷惑かけたな」

(けい)海戸(かいと)の待つ保健室に入った。
保健室には銀二(ぎんじ)圭一(けいいち)、彼の母親もいた。
(けい)は軽く頭を下げて謝る。

(ゆう)。帰るぞ」

圭一(けいいち)の母親が(けい)に食ってかかった。

「ちょっとあなた。うちの圭一(けいいち)に暴力をふるったのに、その態度は何!」
「本人たちの問題だ。俺が口を出すことじゃない」
「何なの、それ!」

銀二(ぎんじ)がなだめたが母親はおさまらない。

「これだから親のいない人は。この子だって不良じゃない。学校になんか来なければいいのに」
「親のいる立派な子が死んだ子供を噂にして喜ぶのはいいのか。そりゃあ大した教育だな」
「ちょっとふざけただけでしょう。それを殴るなんて」
「殴ろうとしたのが、やりすぎだったってのは本人がよくわかってる。(ゆう)。帰るぞ」
「ちょっと待ちなさいよ」

母親を圭一(けいいち)がとめた。

「やめてくれよ。母さん。俺も悪かったんだ」
「でも圭一(けいいち)──」
「いいから少し黙っていてくれよ」

(けい)海戸(かいと)を引っ張り保健室を出た。

「根はいい奴だな。あとで謝れよ」
「わかってるよ」
「しばらく学校を休め」
「兄貴。ありがとう」
「馬鹿が」


 ──数日後。町には人が行きかっている。
海戸(かいと)にはどこか遠かった。
人ごみの中に(しょう)の姿が見える。
人の流れはあっという間に(しょう)を見えなくする。
海戸(かいと)は慌てて(しょう)のあとを追いかけた。

あれは翔だった。

海戸(かいと)は人ごみをすり抜けていく。

どこにいったんだ?

 海戸(かいと)(しょう)を探して住宅地を歩いた。
日中のせいか人通りは少ない。
背が高いとはいえ中学生の海戸(かいと)を見ては怪訝な顔をする人もいた。

「あ」

海戸(かいと)(しょう)の母親とばったり出会った。海戸(かいと)は軽く頭を下げ、急いでもと来た道をもどろうとした。

「待って!」

(しょう)の母親が海戸(かいと)を呼び止めた。

「行かないで」

海戸(かいと)は立ち止まり無言で(しょう)の母親を見る。

「話をきいて欲しいの。あの時はごめんなさい。お願いよ」

(しょう)の母親は泣きそうな顔で海戸(かいと)に言う。

やっぱり親子なんだ。(しょう)とそっくりだ。

「わかりました」
「よかった。家に来て」

(しょう)の母親は泣いているような笑顔を浮かべた。

 (しょう)の家は静かだった。
人がいないせいもあったがどこか暗さがしみついている。
海戸(かいと)は促されるまま居間の椅子に座った。

「ごめんなさい。何にもなくて」
「いいえ。話って何ですか」
「お葬式のときは本当にごめんなさい。
せっかく来てくれたのに」

(しょう)の母親はうなだれている。

「もういいんです。確かに俺のせいかもしれないから」
「あの子ね塾の帰りに車に……。成績が下がってきていたから」

(しょう)の母親はどこか遠くを見るような目をする。

「ユウ君たちと仲がいいのはいいんだけど帰りが遅くなったり入院したり。
あの子、来年受験でしょう?
それにユウ君たちと違って一人っ子で女の子だから」

海戸(かいと)はうつむいた。

「ごめんなさい」
「ああごめんなさい。今まで反抗なんかしたことなかった、あの子が。
あなたたちと付き合うのはやめなさいっていったら……。悩んでいたのね」

(しょう)の母親はため息をついた。

「子供は親の心配なんてわからないのよ。
ああ、夕君には言っても仕方がなかったわね」

(しょう)の母親は立ち上がると台所に行った。

「でも(しょう)には大事なお友達だから」

台所から(しょう)の母親がやってくる。

「だから一緒にいてあげてくれるわよね」

手には包丁を持っていた。

(しょう)も一人じゃ寂しいわよね。
あんなに一緒にいたがったんですもの。
私がいくより喜んでくれるわ」

(しょう)の母親は包丁を振りかざした。

「おばさん。やめてくれ」
「あなたが(しょう)を殺したんじゃない。どうしてあの子が死ななきゃいけないのよ」

(しょう)の母親が海戸(かいと)に襲いかかる。二人はもみあった。
椅子が倒れテーブルが床をこする。
丁度、帰宅した(しょう)の父親が居間に駆けこんできた。

「律子!やめないか!」

(しょう)の父は(しょう)の母親を海戸(かいと)からひきはがした。
律子が暴れながら泣き叫ぶ。

「どうしてよ!どうしてあの子が死ななきゃいけないのよ!翔子(しょうこ)!翔こ《しょうこ》!翔子……」

(しょう)の父親が律子の手から包丁をもぎとった。律子は床に突っ伏して泣き喚く。海戸(かいと)は呆然としていた。

「すまない。律子のしたことは許されることじゃない。だが君の顔を見るのは愉快じゃない。帰ってくれ」

海戸(かいと)は立ち去ろうとして居間の入口で振り返った。

「あんたたちは俺が憎いかもしれない。
でも俺だって友達がいなくなって悲しいんだ」

海戸(かいと)(しょう)の家から逃げるように出た。

 あてもなく歩いていると町外れの川べりに桜が咲いている。
はじめて来た場所だ。
海戸(かいと)は桜を見上げた。

夏には毛虫がいっぱいつくけど きれいだよね

「あいつ本当に桜好きだったのか」

海戸(かいと)は少し笑って、どうしようもなく泣きたくなった。
桜の花が風にゆれる。

「あのすみません」

きき覚えのある声に海戸(かいと)は振り返らずにこたえた。

「影絵なんて見てない」
「おやおや。覚えていましたか」

振り向くと黒い帽子とロングコート姿の男、菖蒲(あやめ)が立っていた。

「こんにちは。(ゆう)さん」

もうこんばんはですね、と菖蒲(あやめ)は帽子を取り海戸(かいと)に笑う。

菖蒲(あやめ)さん。こんなところに何しに来てるんだ」
「散歩ですよ。いけませんか」
「別に」
「よろしければ少し話し相手になって頂けませんか」
「いいよ」

菖蒲(あやめ)海戸(かいと)は草むらに座った。
菖蒲(あやめ)は空を見上げまぶしそうに目を細める。

「私には今まで空がありませんでした」
「は?」

きき返す海戸(かいと)菖蒲(あやめ)は笑顔を向ける。

「風もありませんでした」
「ないってことはないだろ」
「ええ、そうですよ。私が見なかっただけです」
「見なかったって、どうして?」
「とても悲しいことがありました。
その時の私には逃げることしかできませんでしたから」
「きいてもいいのか」
「かまいませんよ。昔の私は今よりももっと無知でした。
経験のないことはわかりませんでしたし、あるとも思いませんでした。
例えば痛みも経験したことがないからわかりませんでした」
「それで?」
「とても不思議な人に会いました。私に近い人でしたよ。人に憧れていて、なろうとしていました。どこがいいのか私にはさっぱりわかりませんでした」

菖蒲(あやめ)の顔から笑顔が消える。

「最後には人に裏切られてしまいましたが。私のせいでもありました」

菖蒲(あやめ)の顔に笑顔がもどる。

「その時、人はなんて汚らしいものだろうと思いましたよ。とても憎かった。
けれど彼女は最後は人を恨んでいませんでした。どうしてそうだったのか私にはわかりませんでした。随分長い間考えましたし色んなことを学びました。
時間はたくさんありましたからね。
はっきりとはしませんが今頃になって少しわかる気がします」
菖蒲(あやめ)さんも色々あるんだな」
「つまらない話でしたね」
「……俺が幼稚園の頃」

海戸(かいと)は下を向いたまま言った。
菖蒲(あやめ)はじっときいている。

「泣いてばっかりだった。俺は泣き虫だったんだ。だけど(しょう)(ゆう)がいた。(ゆう)は俺を笑わそうとして馬鹿なことばっかりやってた。(しょう)はそばにいてくれた。
二人がいたから俺は笑っていられた。
俺は(しょう)がいないと泣き虫のままなんだ」

海戸(かいと)は嗚咽をこらえる。
菖蒲(あやめ)の手が海戸(かいと)の頭を優しくなでた。
風が吹き抜ける。
落ち着いた海戸(かいと)が顔を上げると菖蒲(あやめ)の姿はなかった。
なんとなく海戸(かいと)菖蒲(あやめ)にはもう会えない気がした。
海戸(かいと)はすっかり暗くなった空を見上げた。
夜空には満月が浮かんでいる。
いつか三人で見た月だ。

死んだら空に行くらしい。
母さんたちも(しょう)も。
今は悲しい。
いつまでもきっと悲しい。
だけど俺は生きているんだ。

海戸(かいと)は立ち上がると歩き出した。家に向かって。


 海戸(かいと)が学校に通い始めた頃。いつのまにか彼の机の中に瓶が入っていた。瓶の中には丸めた紙が入っている。

「タイムカプセルだ!」

(ゆう)が手を叩く。

「どうして俺の机の中にあるんだ?」
「ま、いいじゃん。見てみようよ!」

海戸(かいと)は瓶の中の紙を取り出した。紙には絵と字が書いてある。


『ぼくのともだち』
『さんにん いっしょだと たのしいな』
『ずっとずっと ともだちでいようね』

絵の下には新たな字が書き加えられていた。


『ありがとう 大好きだよ ばいばい』



最後の噂 
おわり
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