文字数 3,905文字

 翌朝。休まっていないことを実感しつつも、体を起こし顔を洗う。不調がないのは確か
なのだが、なんとなく胸の辺りがちくちくと痛む。特に負傷した記憶はないのだが……。
「……何かしら。この胸の痛みは……」
 何度も痛む個所を触っても傷口はないのだが……どうやら内部で痛みが発生しているら
しい。今までに味わったことのない痛みにヘイランは戸惑いを覚える。
「なんなのかしら……」
 ずきりと走る痛みに顔をしかめる。痛い個所に手を当てながら原因を探る。昨日までは
痛みがなかったことを考えると、昨晩から今朝にかけて何かあると考えたヘイランは、辿
り着いた答えに驚く。
「……まさか……そんなこと……」
 そのまさかかもしれない。ありえないと考えるもそれしか理由がなかった。頭で理解を
した瞬間、ヘイランは自分を抱え込むようにしてうずくまった。
「私……あの人のことが……気になってる」
 初めて味わった人の温もりや、誰かが本気で自分を心配してくれていること、優しい言
葉をかけてもらったことなど頭の中で何度もフラッシュバックし、ヘイランを苦しめる。
「あぁ……あぁ……こんなことなら……出会わなければよかった……依頼を受けなければ
よかった……そうすればこの痛みを感じることなんてないのに……あの人は……」
次第に体が震え、涙がこぼれた。胸をぎゅっとなにかに握られているかのような痛みが
絶え間なくヘイランの胸を苦しめた。痛みの根本に届かないというもどかしさもあり、更
にヘイランを苦しめた。
「……苦しい……苦しい……助けて……」
 苦しいと思えば思う程いたずらに痛みは増幅、助けてと願えば心は締め付けられ、浮か
ぶ顔が微笑んでいると泣きたくなる。
「もう……しぃ……」
 堪えきれなくなったヘイランは枕に顔を埋め、大声で泣きじゃくった。枕の隙間から漏
れる声を気にせず、ただ子供のように泣きじゃくった。

 まだ目が赤く腫れぼったいと感じるも、気持ちはだいぶ落ち着いてきたヘイランはこの
気持ちの正体をはっきりさせるため、商会には内緒で自宅を空けた。時々発生する胸の痛
みを堪えながら、なんとか男性のいる街へと着いたヘイラン。昨日の場所まで速足で向か
うと何かを探している男性を見つけた。
「……こんばんは」
「うわぁ……び、びっくりしたぁ……あぁ、ヘイランか。どうしたんだい。こんな時間に」
「それはこっちの台詞よ。こんな時間に何を探しているの?」
「あぁ。私物をなくしてしまってね。良かったら手伝ってくれないかい」
 男性の無邪気な笑顔がヘイランから断る気力を根こそぎ奪っていく。特にこれといって断る理由もないため、男性の私物探しに付き合う。
「何を失くしたのかしら。特徴がわからないと探しようがないわ」
「あぁ、ごめん。そうだな……小さな箱なんだ。これくらいの」
 男性が手で小さな箱を形作り、大きさをヘイランに伝える。大きさは理解したのだが、
この瓦礫の中から探すとなると少し骨が折れそうだ。しかし、受けた手前、断るわけにも
いかない。ヘイランは小さくため息をつきながら箱の捜索に当たった。
「場所とかはわからないのかしら」
「ごめん。こんなにぐちゃぐちゃになっていると思わなくて……近くを探しているはずな
んだけど中々見つからなくて」
「そう」
 ある程度探してみたが見つからず、ヘイランは違う場所を探そうと移動したとき、バラ
ンスを崩し転びそうになる。
「危ないっ」
 男性がすかさずヘイランを抱え、負傷せずに済んだ。抱えられているヘイランは男性を
見つめていると、二人の顔は次第に赤みを帯びた。慌てた男性はヘイランを安全に降ろす
と、二人はしばらく沈黙していた。
「ご……ごめん」
「……」
 このとき、ヘイランは確信した。この胸の痛みがなんなのか。そして、その対象は誰な
のかも。脈打つ度に苦しくなる胸を抑え、ヘイランは静かに口を開いた。
「こんなこと、いきなり言われて驚くかもしれないけど……もしかしたら私……あなたの
ことが……気になっている……みたい」
「……え?」
 男性が平然と言っていた台詞を聞く立場になった途端、首から額まで真っ赤に染まった。
まさか自分が言われるとは思っていなかった男性は急にそわそわし始めた。
「え……僕のこと?」
「……」
 小さく首を縦に動かす。ヘイラン自身もどう言葉にしたらいいか分からず、端的に言う
ことしかできなかった。それを男性は必死に飲み込む。飲み込み終えると、自分から先に
告白したことを忘れてヘイランに抱き着いた。
「う……嬉しいよ。ヘイラン」
「ちょ……そこは危ないわよ」
 ヘイランの背中には小さな暗器が仕込まれていて、危うくそれに触れてしまう寸前でヘ
イランが体を捻る。捻ったことにより、暗器に触れることはなかったが男性は少し残念そ
うな仕草をみせた。
「迂闊に触らない方がいいわよ。猛毒が仕込んであるから……」
「そっか。ごめんね」
「あなたが謝る必要はないのに……おかしな人」
「そう……かな」
「そうよ。寧ろ謝るのは私よ」
「なんでだい?」
「なんでって……そう言われても」
「まぁまぁ。とにかくヘイランが無事でよかったってことでいいんじゃないかな」
 にっこり笑う男性を見たヘイランは心が少しずつ穏やかになっていくのを感じた。この
人といると安心するというか内側から守られているというか不思議な気持ちになれた。
「は……箱の捜索を続けるわね」
「そうだった……えーっと……あ、あったあった」
 男性が瓦礫の下から見つけた箱をヘイランに見せる。見たことのない箱の大きさにヘイ
ランは感嘆の声を漏らす。
「よく見つけたわね」
「いやぁ、たまたまだよ。よかったぁ。これはお母さんの形見なんだ」
「お母さまの……?」
「うん。ヘイランが来てくれたとき、野盗に襲われてしまってね。僕は助けることもでき
ずにその場から逃げ出してしまったんだ……情けないよね」
ヘイランは当時のことを思い出す。確か命乞いをしたあの野盗のことで間違いはないだ
ろう。野盗の得物に赤い液体が付着していたのはそういうことかとヘイランの頭の中で話
が繋がった。
「不謹慎かもしれないけど……あの時、あの野盗をやっつけてくれて……ありがとう」
「お母さまの仇……ということ?」
「うん。僕じゃとても敵いそうになかったから……その……」
「私でよかったの? お母さまの仇を討ったのが」
「もちろん。そうでないと、今こうしてヘイランとお話なんてできなかったよ」
 ヘイランの胸がずきりと痛む。この男性の無邪気な笑顔、心からの声を耳にすると嬉し
い半面胸が何か見えないものでぎゅっと握られている感覚に陥る。痛みに顔を歪めていると、男性がかけよりヘイランに囁く。
「ど、どこか痛むのかい?」
 ヘイランは首を横に振る。首を横に振っているものの、胸あたりを抑えているヘイラン
をみた男性はどこか落ち着ける場所を探した。ぼろぼろのソファを見つけ、そこにヘイラ
ンを座らせ、男性は毛布を探しに別の部屋へ行った。
「……その優しさが……時々私の胸をきつく縛り付ける……」
 いつの間にかヘイランの頬からは一筋の雫が伝った。自分の太ももに落ちるまで気が付
かなかったヘイランは、それが自身で流した涙とわかるまでに時間を要した。
「え……私。泣いてる……?」
 目元に触れると生暖かい雫が指先を濡らす。それを見て自身が「泣いている」というこ
とに初めて気付く。苦しい、けどとても気になる。とても気になる、けど苦しい。明暗を
行ったり来たりを繰り返し、ヘイランはあの男性を「好き」だと認知した。認めないと、
この気持ちの答えはずっと見つからないと心から忠告を受けているような気がした。
「ヘイラン。お待たせ。毛布あったよ」
 息を切らしながら男性は毛布をヘイランにそっとかけた。毛布の温もりだけでなく、男
性から伝わる優しい気持ちを感じたヘイランは身を男性に預けた。
「ヘイ……ラン?」
「私……やっぱり、あなたのことが……好き。だけど……苦しいの。あなたのことが好き
なのに、胸はずっと痛くて……辛いの……」
涙を流しながらヘイランは苦痛を訴える。傷による痛みとはまた別の痛み。味わったこ
とのない痛みがヘイランをじわりと苦しめる。男性はヘイランの頭をそっと撫で、抱き寄
せた。
「苦しい思いをさせてしまってごめんね。でも、もう大丈夫。もう一人で苦しまなくてい
い。苦しかったり辛かったりしたら、僕に教えてくれるかな」
「……うん」
 不思議だった。男性が毛布を取りに行っている間数分だけ痛みがあったのだが、今こう
して男性に寄り添っているとその痛みはどこかへ消えていた。呼吸も本来のリズムでする
ことができている。これが「誰かと一緒にいる」ということなのだろうか。もし、そうな
のだとしたら、私はなぜ今まで求めてこなかったのか。仕事のせいなのか興味がなかった
のかはたまた他の理由か……。ただ、言えることは「安心感」。これほどまで心から安らい
だことはあっただろうか。緊張しなくてもいいことはあっただろうか。ふわりとした安心
感から、ヘイランは男性の方に頭をのせ、静かに寝息をたてていた。
「……よっぽど苦しかったんだろうね。でも、もう大丈夫だからね……」
 男性はヘイランと同じ毛布にくるまり、夜明けまで一睡もしなかった。すやすやと眠る
ヘイランを見ていたら、それができそうな気がした。
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