文字数 2,232文字

 翌朝。ヘイランは「すぐに戻る」と書置きをして、街を出た。これからすることは間違
っているかもしれない。けれど、後悔はしたくないという思いから出たものだった。商会
の扉を開けると、突然現れたヘイランに驚くタオ・スー。いつもよりも真剣な眼差しのヘ
イランに気付くと、何事か尋ねた。
「折り入ってお願いがあるんだけど……いいかしら」
「ど……どうしたネ。そんな怖い顔して。ちょっと待つアル」
 手を付けていた書類をまとめ、個室に案内するタオ・スー。キョンシーがお茶を運び、
一礼をして部屋を出た。
「へ……ヘイラン?」
「あなたには大変お世話になったわ。申し訳ないけど……私を顧客リストから外してもら
えるかしら」
飲みかけたお茶を噴出したタオ・スー。げほげほとむせ、胸元をどんどんと叩く。落ち
着きを取り戻したタオ・スーはヘイランに聞き直した。
「顧客リストから外す……? ど、どういうことネ。何かあったカ?」
「ええ。話すと長いんだけど、かいつまんで話すわね」
 ヘイランは顧客リストから外して欲しい理由を手短に話した。すると、タオ・スーは難
しい顔をしながら唸りだした。
「もちろん、無理にとは言わないわ。急な話ですもの」
「……それもそうだけど……うーん」
「? どうかしたの?」
「いや……失礼を承知で言うけど……ヘイランにも乙女心があったんだなぁって……」
「私自身も驚いてるわよ。それを気付かせてくれたのが彼ということかしら」
「顧客から外す手続きはすぐにできるけど……二度と登録ができなくなるけどいいカ?」
「ええ。もう私は戻ることはないわ」
「……わかったアル。ちょっと待つネ」
 そう言ってタオ・スーは個室から出ていった。扉が閉まる音がするのと同時に、ヘイランの肩の力もすっと抜けた気がした。今まではただ人を殺めてしまったけど……これから
は人を殺めずに幸せに暮らしたいという願いが生まれた。それを実現するには、この手続きが不可欠だった。やがて書類を手にしたタオ・スーが入ってきて注意事項の確認をした
上で所定の位置にサインをするよう言われた。特に必要はないとは思うが、念のため目を
通し問題ないと判断したヘイランはサインをする。ペンを置いたヘイランは悲しげに見つ
めるタオ・スーに気が付く。
「どうしたの? そんな悲しそうな目をして」
「……だって……もうヘイランに会えないかと思うと……うぅ……」
「……ここで会うのは最後かもしれないけれど……もしかしたらどこかで会えるわよ」
「……でも……うわあぁああっ」
 タオ・スーは我慢できずに泣き出した。そんなタオ・スーの頭を優しく撫でるヘイラン。
「もう……今生の別れじゃないのよ」
「うわああぁぁあ……あああぁぁあ……ひっぐ……うぅう……」
 契約上仕方のないことなのだが、顧客解除した場合は今後の連絡は一切取れなくなる。
タオ・スーはこれまで何度もヘイランに依頼をして、その度にこなしてきて他愛のない話
をしてひと時を過ごすのが楽しみだった。涼しい顔をして帰ってくるヘイランが大好きだ
った。いたずらをしても怒らないヘイランが大好きだった。キョンシー達をいつも優しく
接してくれることが大好きだった。そんなヘイランと会えなくなる……。
「ねぇ……商会から連絡できないのはわかるけど、私から連絡をするのは可能よね?」
「……」
 涙を袖で拭きながら首を縦に動かすタオ・スー。もちろん、商会から連絡をしてはいけ
ないが、ヘイラン側から連絡をしてはいけないとはなかった。それを聞いたタオ・スーは
震える声で言った。
「……手紙、くれるアルか?」
「もちろんよ。ただ、住所は書けないけど……」
「……うん。たくさん、たくさん送って欲しいネ。私、もっとヘイランとお話したいネ」
「私だってそうよ。近況報告くらいはさせてもらうわ」
「……約束アル」
「ええ」
 ヘイランはタオ・スーをぎゅっと抱きしめる。その時のヘイランの顔は自然と微笑みな
がら少し寂しさが滲んだそんな色をしていた。
「さて、そろそろ戻らないと」
「もうそんな時間ネ」
「ええ。あの人が待ってるから」
「そっか……」
 個室の扉を開けると、そこには涙で潤んだキョンシーとタオ・トゥンが待ち構えていた。
どうやら彼の元に戻るにはもう少し時間がかかりそうだ。
「今まで色々とありがとう。これからもいい子でいてね」
頭を撫でようと屈んだとき、キョンシーが左足、タオ・トゥンが右足にしがみ付いて泣
き出した。ヘイランはそれぞれが泣き止むまでよしよしと頭を撫でた。しばらく付き合っ
ていると泣きつかれたのか、それぞれはヘイランの足元で寝息を立て始めた。その寝顔は
とても穏やかでヘイランは安心して商会から出ることができる。ゆっくりと立ち上がり出
入口の取っ手を握る。
「それじゃあ、また会いましょう」
「ヘイラン……元気でいるアル。体調崩したら……許さないネ」
「手厳しいわね。精々気を付けるとするわ」
 取っ手を回して開けた外は、雲一つない快晴だった。いつもは闇を徘徊していたのだが、
堂々と青空を歩ける解放感にヘイランはうんと背伸びをした。商会を出たヘイランは振り
向くことなく、真っすぐ前を向いて歩いた。その後ろ姿を涙ながらに見守るタオ・スー。
滅多なことで会うことはないだろうが、また会えることを約束した二人の顔はどこか嬉し
そうだった。
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