文字数 5,516文字

 翌日。いつもはお昼過ぎ位まで寝ているヘイランなのだが、この日は珍しくお昼前に目
が覚め、身支度をしていた。今日はスー商会から招集がない限りフリーなのだが、気にな
ることがあり昼間の時間に行くことにした。
「おや。ヘイラン。がこの時間に来るなんて珍しいネ。まぁ、大方予想はできているネ」
「もしかしてと思ってね。どうだったかしら」
「ちょっと待つネ。……あ、もう報告上がってるヨ。これが結果アル」
 タオ・スーが渡したのは、昨日ヘイランが依頼をしたあの街の生存者に関する報告書だ
った。そこにはタオ・スーが派遣した調査員の記録が事細かに記されていた。街全体の損
傷具合や、火災になりやすいか否か、復興は可能か否かなど。ヘイランはそれらを目で送
りながら自分が依頼をした結果に驚く。
「生存者……三人」
「そうみたいネ。あの状況でよく生き残ったと思うアル。さすがに男女比までは不明みた
いだけど……これでいいアルか?」
「十分よ。……はい」
 ヘイランは懐から紙幣を取り出し、タオ・スーに渡した。彼女はそれをじっと見つめた
あとヘイランに返した。
「なんで……」
「気持ちだけ受け取っておくアル。理由は私もあの街の状況がどういう状態かというのを
知りたかったからネ。だから、それは次回のために残しておいた方がいいネ」
それでも手渡そうとしたヘイランに、タオ・スーは小さく首を横に振り受け取らなかっ
た。仕方なく紙幣をしまい報告書を返した。
「また何か気になることがあったら相談するネ」
「……わかったわ。ありがとう」
 報告を受けたヘイランは今必要な物を買い、帰路へとついた。その途中、男女が仲睦ま
じく歩いているのを目で追った。それぞれが幸せそうに微笑んでいるのを見たヘイランは、
小さく呟いた。
「……私は、あのように手を繋ぐことなど……許されていない」
 正直、羨ましいと思った。幸せそうな笑顔でいれば辛いこともすぐに忘れられそうだと。
しかし、そうはいかない。なぜなら……。
「私は、これまで沢山の人を殺めたのだから……幸せなんてあってはいけないわ」
 今まで殺めておいて幸せになんてなれない。いや、なってはいけない。そう自分に言い
聞かせ、自宅の扉を開けた。買った物を整理し、ヘイランは夜に備えて少し休むことにし
た。もしかしたら、今日の夜に依頼があるかもしれない。
 その予想はぴたりとあう。報せを受けたヘイランはまずスー商会へと急ぎ、内容を確認。
どうやらまたあの街が襲撃されているとのことらしい。これ以上はさせないという強い思
いが沸きあがったヘイランは、すぐに現地へと向かった。


 現地に到着したヘイランは、あることに気が付いた。記憶が確かであれば、数日前に襲
撃された状態のままであった。それとも、襲撃が終わった後なのだろうか……。いずれに
せよ、対応できるよう警戒態勢に入った。
「……やけに静かね」
 暗器を構え、辺りを警戒しながら歩くヘイラン。靴と砂利がこすれる音しかしない現場
では、それ以外で何か物音がすればすぐさま攻撃態勢に入ってしまう程、神経が鋭く尖っ
ている。そんな中、ヘイランはかすかに聞こえた音を頼りに足を動かす。気配を殺し、物
音のあった建物の中へ入ると、確かにそこには何やら人の気配を感じる。万が一の事を考
慮して暗器を握りしめる。しばらく何の音もない時間が続き、痺れをきらしたヘイランは
物陰から様子を窺った。気配はあるが動く様子もないため、少しずつ距離を詰めていき、
一気に片付けてしまおうと足に力を込めた。
「そこっ!」
「え! なに?」
 そこには確かに人がいた。それも生存者。そして、あのとき助けてくれた男性だった。
「えっ? あなた……生きていたの」
「あぁ……怖かったぁ。君で良かったよ」
 危うく投げてしまいそうだった暗器を仕舞い、男性の話を聞くことにした。
「ここは襲撃されているって聞いたんだけど……なにか知らないかしら」
「あぁ……その話ね。それは、僕が出したんだ」
「え……どういうこと?」
 どうやら街が襲撃されているというのは、この男性が嘘の依頼を出したということだ。
そして、それを知っていて受諾したのは……。
「タオ・スー……」
「え? 何か言った?」
「いえ。何も……」
 通常、依頼を出すときはその詳細を書いたりして欲しいを具体的に記入しなくてはなら
ない。それが受諾されて正式な依頼となったのなら、それを聞きださなくては……。
「あなた……依頼を出したというのは本当なの?」
「うん。僕が出したのに間違いないよ」
「……どうして?」
「君に会いたくなったから」
「……ふざけているの?」
「ふざけてないよ。本気だからこの依頼を出したんだ」
「……どうして私に会いたいと?」
「んー……そうだな。単純にお礼を言いたいのもあるかな」
「それだけの為に?」
「それだけじゃない。まぁ、それはおいおい話すとして……まずは、この間は助けてくれ
てどうもありがとうございます。おかげで今、こうして君にお礼を言えることができま
した」
「言ったでしょ。あれは気まぐれだって。だからそこまで言われる理由はないわ」
「そう言わないで欲しいな。君には感謝してるんだから」
「……そろそろ本題に入ろうかしら。私もそこまで時間があるわけじゃないから」
「そうだね。率直に言おうか」
 小さく咳払いをし、男性が切り出した。
「僕は君が好きだ」
 一瞬、この人は何を言っているのだろうと理解をするまでに時間がかかった。しかし、
男性の表情は変わらず、ヘイランを真っすぐ見据えていた。
「……今、なんて言ったの?」
「僕は君が好きと言ったんだ。本気だよ」
 何を馬鹿なことをと思っていると、男性の表情は朗らかなものからきりっと締まった表
情へと変わった。それを見たヘイランは思わず息を飲む。
「なぜ、あなたは私に好意を持ったのかしら」
「そうだな。何事にも一生懸命になっているところかな。そしてなにより、支えたいと心
から思えたところかな」
「……あなた。相当変わってるわね。私のこの服装を見てもそう言えるの?」
「もちろんだよ。だからこそ支えたいと思えるんだ」
「私の仕事、分かっているのかしら」
「うん。知っているとも」
「私と絡むと大抵ろくなことにならないわよ」
「そうなのかい。それは楽しみだ」
「……あなた。本気で言っているの?」
「そうだよ。本気で答えているよ」
「……じゃあ、あなたといるとどうなるかを聞かせてもらいましょうか」
 少し表情が強張ったものの、男性は思った事をまっすぐ言葉にのせた。
「そうだな。一般的な幸せを感じることができる……なんてどうかな」
「一般的な幸せ……例えばどのようなものかしら」
「うーん。一緒に朝食を摂ったり買い物に行ったりとかかな。わかりやすく言えば、君が
まだ体験したことがない生活と言った方がいいかな」
一緒にいるだけでそんな裕福な気持ちになれるのだろうか……。疑問には感じたが、そ
の気持ちへの答えは体で感じていた。それは、先日見かけた男女が幸せそうに歩いている
姿を見たときだった。
「それと、一人ではできなかったことができるようになるとか」
「……大抵のことは一人でできるわ」
「そうかな。例えば、会話は一人じゃできないよね」
「あ……」
「塞ぎこんでいるものを誰かに聞いて欲しいときはないかい」
「……」
「困っていることや悩んでいることを誰かに聞いてもらう。これだけでも心の負担を軽く
してくれるんだよ」
「そんなの……あるわけ……」
「現に、今なにか迷っているんじゃないかな。良かったら話してくれないかい。吐き出す
ことによって解決することって意外と多いんだよ」
 ヘイランは迷った。まだ相手のことを知らないのにペラペラと話してしまっていいのだ
ろうかと。話そうか話すまいか迷っていると男性が柔らかい笑みを浮かべた。
「そんなに難しいことではないよ。自分は苦しいとか辛いと思ったことが一度でもあるの
なら、口に出した方が楽になる。あ、これ、うちの母さんの名言ね」
「……笑わないで聞いてくれるかしら」
「もちろんだとも」
「私は今まで何人も殺めてしまったわ。自分の意志なのかもしれないけれど、大半は依頼
を通してきたもの。それでも殺めてしまったことには変わりはないわ。そんなとき、こ
の街を襲った野盗が言った一言がどうしても頭から離れないの。『俺がいなくなったら大
切な人が困ってしまう』。こんなニュアンスかしら。大切なものを守るために他人の大切
なものを奪ってしまう……果たしてそれを続けていいものかと……考えていたわ」
 男性はヘイランが話している間、耳を傾け相槌を打ちながら聞いていた。全てを聞き終
えた男性はなるほどと言い、ヘイランの疑問に答えた。
「それは辛かったね……。確かに誰かの大切なものを守るために誰かの大切なものを奪っ
ていいなんて道理はないね。それにずっと苦しんでいるというのなら、解決する方法は
あるけど……誰か思い人を作ること。そして、その仕事を辞めること……かな」
「私に思い人……できるわけ」
「君はとても強い女性だ。だけど、強いが故に自分の弱い部分を中々表に出せないんだ。
その弱い部分を出せる人を基準にすればいいんじゃないかな」
その言葉を聞いてはっとした。何気なく言った自分が溜め込んでいたこと……それを話
した……それ即ち。
「……まさか。あなた」
「そういうつもりはないけど……けど、僕は本気で君を心配しているし思っているという
ことは事実だ」
「っ……そんな都合のいいこと……あっていいはずがっ! 私に……幸せになる権利なん
て……」
いつの間にかヘイランは感情に任せて声を張った。自分でも驚くくらいに大きな声に、
驚かない男性に思いをぶつけた。
「あるよ。人は誰しも幸せになる権利を持っている。もちろん、君にもあるはずだ」
「たくさん人を殺めたこの私が幸せに……?」
「君がこの仕事を辞めて、思い人と一緒になれば……きっと」
「あなたは……私から大事なものを奪うというの?」
 すると、さっきまで穏やかだった男性の目がきっと鋭くなり、ヘイランを睨みつける。
「君はどれだけ大事なものを奪ってきた?」
「っ! ……そ、それは……」
「もし、君がそれを罪だと思うのなら、君が誰よりも幸せになることが一番の贖罪だと思
うんだけど……どうだろう」
「私が……幸せに……? なれるの? 今まで命乞いをしてきたたくさんの人を殺めてき
たこの私が……?」
「ああ。なれる。君はどうしたい? 幸せになりたいかい? それとも……」
 ヘイランは悩んでいた。今の仕事をなくしてしまったら、何をしてこの先を過ごしてい
いかわからない。暗殺を稼業としてきたヘイランにはとても難しい質問だった。悩んでい
るヘイランに男性は歩み寄り、優しく頭を撫でた。
「今、君はどうしたい?」
「私は……」
 必死に堪えていたものが崩壊し、ヘイランは男性に泣きついた。
「私は……もう何も奪いたくない。失いたくない……もう……目の前で奪うのは……もう」
 泣きつくヘイランの頭を優しく撫で続ける男性は、ただ静かにヘイランを抱きしめた。しばらくヘイランの嗚咽が響く街で男性は泣き止むまでヘイランの頭を撫で続けた。


 どれだけ時間が経過しただろうか。ヘイランが商会を出た時は日がまだ高いところにあ
ったのだが、今はもう暗くなっていて少し肌寒くなっていた。ヘイランが身を強張らせて
いると男性はすかさず抱き寄せヘイランの頭を撫でた。最初は恥ずかしくしていたヘイラ
ンだったが、次第に慣れ今では男性に身を委ねるようになっていた。
(幸せって……こういうことを指すのかしら)
 男性の肌から伝わる熱がヘイランをじんわりと温めていく。確かに今まで経験したこと
がなかったことばかり。廃屋の中で過ごす時間はなぜか特別に感じたヘイランは、未だに
自身が幸せになってもよいということに抵抗があった。はっとなったヘイランは男性から
離れて照れ隠しに髪を直す。
「きょ……今日はそろそろ帰らないと……その……」
「ああ……もうそんな時間か。時が経つのは早いね」
「そ……それじゃあ……」
「あ、ちょっと待って」
「え? なに……え……」
 帰ろうとするヘイランの手を引いた男性が、そっと口づける。一瞬何が起こったかわか
らず、ヘイランは空を仰ぐ。次第に唇から伝わる熱を感じたヘイランは恥ずかしくなり男
性を突き飛ばしてしまう。
「ちょっと……いきなり……」
「ごめんごめん。もしかしたら最後かもしれないと思ったからさ」
「……ちょっと調子に乗りすぎよ」
「気を付ける」
 口ではそう言っていても、本人に反省をしている様子は窺えなかった。もう何をしてい
いかわからなくなったヘイランは速足で廃屋から出る。
「……ヘイラン」
「え?」
「私の名前よ。それじゃあ、さようなら」
 振り返らずその場を後にするヘイラン。商会に戻る際、ヘイランは何度も唇に残る感触
を確かめた。少しずつ消えていく温もりがヘイランの心を少しだけ寂しくさせる。
「……」
 商会に報告を済ませ、自宅へと帰る途中も頭の中はあの男性のことばかり浮かびあがっ
てしまい、何度頭を振っても現れる。それは嬉しいことなのか苦しいことなのかはわから
ないまま、夜が明けた。
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