第5話 モテ期と林檎とその代償
文字数 1,650文字
芸能事務所には沢山のファンレターが届く。殿居くんには若い子のファンが多く、彼への想いを綴った過激な内容の手紙もあるらしい。
『あなたと結婚して住む家を買ったので、一緒にローンを返しましょう』
そんなホラー映画のような文面もあるみたいだけど「でも気持ちは嬉しいですよ」と当人はあまり気にしていない様子。それよりも女子高生にモテていることにご満悦のようだ。
というのが相方香椎から聞いた情報だけど、最後の女子高生云々の下りはだいぶ怪しかった。
あれから殿居くんと私は距離を置いている。テレビ局で一緒になっても口は利かない。そう、私も最近はテレビのお仕事が頂けるようになっていた。
でもテレビってすごい。ゴールデンタイムのドラマにチョイ役で出ただけで、あっという間に名前が知れ渡る。ただこの時の私はまだ分かってなかった。有名になることで、どんなリスクが生まれるかっていうことを。
その日、私はトノ&カシンのラジオ番組にゲストで呼ばれていた。
出演するコーナーが終わったのは深夜。スタジオから自宅まではたいして距離がなかったのでタクシーチケットはもらえなかった。少しくらい売れてもこれが若手の現実。スタジオを出た私は歩いて帰ろうとして、近道になるひと気のない路地を選んだ。
そして、災難の種は暗がりに潜んでいた。
スタジオの近くだったので待ち伏せされていたのかもしれない。突然、後ろから羽交い絞めにされて口を塞がれた。細い腕だけど紛れもなく男の力だった。抵抗したら殺されるかもしれない。恐怖で身体が竦んだ。
「テレビなんかに出るなよ。君の良さが穢けがされるだろ」
彼は搾り出すように私の耳元で「テレビに出るな」を繰り返した。とにかく怖くて、タクシー代をケチった自分を呪った。
「おい、アッキーか?」
表通りから聞き覚えのある声がした。私を羽交い絞めにしていた男はそっちを見て懐からナイフを出すと、近づいてくる人影に突進して激しくぶつかった。それから男は「ひぃ!」と短い悲鳴を上げると、そのまま路地の奥へと姿を消した。
「アッキー……大丈夫か?」
刺されて倒れているのに私を心配して呼びかける人の影。そんな危篤な奴は、お人よしの香椎しかいなかった。
後日、私を襲った男は逮捕された。
この事件で香椎は左の腿に刺し傷をもらい、医師は三週間の入院と診断した。もし香椎が気づいていなければ、私は今頃どうなっていたのか。恐ろし過ぎて考えたくもなかった。
「こんなことになって本当にごめん……」
お見舞いに持ってきた林檎を剥きながら、私は言った。
![](https://img-novel.daysneo.com/talk_02/thumb_7c8b3b3fe96a7df408e4254e9e6331a2.jpg)
「その林檎代は事務所に請求してやれよ。タクシーチケットをケチるからこんなことになったんだ」
「助けてくれて本当にありがとう、あの時は死ぬかと思ったよ」
当時の記憶がフラッシュバックして、目に涙が浮かんだ。
「会社にはタク券ケチるなって言っておいたから。もし出なかったら俺にチクってくれ。事務所辞めてやるって喚いてやるよ」
「ふふっ、そんなことされたら私もクビになるって」
怪我をしたのは香椎の方なのに、彼は私をいたわってくれた。
「ごめんね、人を笑わす仕事の私が泣いてちゃ話にならないよね」
「泣きたい時は泣いた方が健康にいいんだ。なんだったら俺の胸を貸してやるけど。1分につき10円でどうだ? それこそ出血大サービスだ」
「出血って……そんな冗談、笑えないよ。でもこの借りは利子をつけて返すからね」
「いや、利子はいらない」
香椎はそう言ってゆっくり起き上がると、泣きそうな私を抱き寄せた。
「俺が欲しいのは、利子なんかじゃないんだ」
声が出なかった。抵抗もできなかった。その時、病室のドアが開いて殿居くんの姿が見えた。
「香椎さん、とんだ目に……」
彼は香椎と私の姿を見て言葉を詰まらせた。それでも私がそのままでいると、何も言わずに病室から出て行った。
「いいのか、追わなくて」と香椎が呟いた。
「ごめん……ごめんなさい……」
私は泣いているのを見られたくなくて、彼の胸に顔をうずめたまま謝り続けた。
『あなたと結婚して住む家を買ったので、一緒にローンを返しましょう』
そんなホラー映画のような文面もあるみたいだけど「でも気持ちは嬉しいですよ」と当人はあまり気にしていない様子。それよりも女子高生にモテていることにご満悦のようだ。
というのが相方香椎から聞いた情報だけど、最後の女子高生云々の下りはだいぶ怪しかった。
あれから殿居くんと私は距離を置いている。テレビ局で一緒になっても口は利かない。そう、私も最近はテレビのお仕事が頂けるようになっていた。
でもテレビってすごい。ゴールデンタイムのドラマにチョイ役で出ただけで、あっという間に名前が知れ渡る。ただこの時の私はまだ分かってなかった。有名になることで、どんなリスクが生まれるかっていうことを。
その日、私はトノ&カシンのラジオ番組にゲストで呼ばれていた。
出演するコーナーが終わったのは深夜。スタジオから自宅まではたいして距離がなかったのでタクシーチケットはもらえなかった。少しくらい売れてもこれが若手の現実。スタジオを出た私は歩いて帰ろうとして、近道になるひと気のない路地を選んだ。
そして、災難の種は暗がりに潜んでいた。
スタジオの近くだったので待ち伏せされていたのかもしれない。突然、後ろから羽交い絞めにされて口を塞がれた。細い腕だけど紛れもなく男の力だった。抵抗したら殺されるかもしれない。恐怖で身体が竦んだ。
「テレビなんかに出るなよ。君の良さが穢けがされるだろ」
彼は搾り出すように私の耳元で「テレビに出るな」を繰り返した。とにかく怖くて、タクシー代をケチった自分を呪った。
「おい、アッキーか?」
表通りから聞き覚えのある声がした。私を羽交い絞めにしていた男はそっちを見て懐からナイフを出すと、近づいてくる人影に突進して激しくぶつかった。それから男は「ひぃ!」と短い悲鳴を上げると、そのまま路地の奥へと姿を消した。
「アッキー……大丈夫か?」
刺されて倒れているのに私を心配して呼びかける人の影。そんな危篤な奴は、お人よしの香椎しかいなかった。
後日、私を襲った男は逮捕された。
この事件で香椎は左の腿に刺し傷をもらい、医師は三週間の入院と診断した。もし香椎が気づいていなければ、私は今頃どうなっていたのか。恐ろし過ぎて考えたくもなかった。
「こんなことになって本当にごめん……」
お見舞いに持ってきた林檎を剥きながら、私は言った。
![](https://img-novel.daysneo.com/talk_02/thumb_7c8b3b3fe96a7df408e4254e9e6331a2.jpg)
「その林檎代は事務所に請求してやれよ。タクシーチケットをケチるからこんなことになったんだ」
「助けてくれて本当にありがとう、あの時は死ぬかと思ったよ」
当時の記憶がフラッシュバックして、目に涙が浮かんだ。
「会社にはタク券ケチるなって言っておいたから。もし出なかったら俺にチクってくれ。事務所辞めてやるって喚いてやるよ」
「ふふっ、そんなことされたら私もクビになるって」
怪我をしたのは香椎の方なのに、彼は私をいたわってくれた。
「ごめんね、人を笑わす仕事の私が泣いてちゃ話にならないよね」
「泣きたい時は泣いた方が健康にいいんだ。なんだったら俺の胸を貸してやるけど。1分につき10円でどうだ? それこそ出血大サービスだ」
「出血って……そんな冗談、笑えないよ。でもこの借りは利子をつけて返すからね」
「いや、利子はいらない」
香椎はそう言ってゆっくり起き上がると、泣きそうな私を抱き寄せた。
「俺が欲しいのは、利子なんかじゃないんだ」
声が出なかった。抵抗もできなかった。その時、病室のドアが開いて殿居くんの姿が見えた。
「香椎さん、とんだ目に……」
彼は香椎と私の姿を見て言葉を詰まらせた。それでも私がそのままでいると、何も言わずに病室から出て行った。
「いいのか、追わなくて」と香椎が呟いた。
「ごめん……ごめんなさい……」
私は泣いているのを見られたくなくて、彼の胸に顔をうずめたまま謝り続けた。