第4話 チャンスとリスクの狭間

文字数 2,003文字

 殿居くんとのデートをすっぽかした日の深夜。大人買いしたコンビニのスイーツをやけ食いしてふて寝した私は、携帯の着信音で目が覚めた。

 カーテンのすき間から太陽の光がさしている。壁の時計を見ると9時を過ぎていた。

 殿居くんからの電話かと思って慌てて出たものの、かけてきたのは事務所のマネージャーだった。例の新キャラが好評だったので、今後は営業の仕事が増えていきそうだと言う。事務所としても、これからどんどん宣伝していく意向だと言われて、私は心の底から「ありがとうございます」と答えた。そしてマネージャーは電話を切る間際にこう付け加えた。

「大事な時期なんだから、くれぐれも芸人同士で派手にやらかさないようにしてくださいね」

 ふいに忠告されて背筋が凍りついた。具体的な相手の名前は出なかったけど、マネージャーは私と殿居くんの関係について薄々勘づいているようだった。ただ事務所には呼び出されていないので、週刊誌に写真を押さえられたなどの危機的な状況ではなさそうだ。

 無論、アイドルのような恋愛禁止契約をしていない限り、会社が芸人のプライベートを制限するなんてできない。でも事務所からさりげなくでも注意されれば、売れるために我慢する人がいるのも現実だ。これは繰り返しになるが、女遊びが芸の肥やしと言われた時代はとっくの昔に終わったのだ。

「気になるなら、連絡して彼の気持ちを聞いてみれば?」

 愚痴ったヒロキに言われたけど、私は迷っていた。

 このまま殿居くんとの距離を縮めれば、きっと彼の仕事にも影響が出るに違いない。それはつまり、今後のトノ&カシンに関わってくる問題だ。

 会社にとって彼らは絶賛売り出し中の看板芸人。このタイミングでのゴシップやスキャンダルは避けたいはずだった。それも私のような売れない芸人のせいで問題が起これば、彼らも黙っていないだろう。

 もちろん、誰もそんなことは望んでいない。最近まではお互いが本気なら問題ないと思っていたけど、私はここに来てよく分からなくなっていた。

 間もなくして、事務所からの後押しのおかげもあり、私の仕事はうなぎ登りで増え始めた。白亜紀ジュラが演じるボディコンスーツ女は、どうやらこちらの想像を遥かに超えて、世間的に需要があるみたいだった。

 この前もストリップ小屋の前座に行くと、客席からおひねりが飛んできた。いまだに私をストリッパーだと勘違いするお客さんもいるけれど、そこには自分が求められているという実感があった。なんにしても、「脱がないならひっこめ」と罵倒されてトイレ紙が飛んできた当時に比べれば、今の仕事は充実していた。

 でも一方で、殿居くんとの関係については完全に足踏み状態。トノ&カシンは最近になってCDデビューも果たし、いよいよ芸人というよりもアイドルグループのような扱いを世間から受けるようになっていた。さらには事務所からのプレッシャーもあって、彼と連絡をとることすら躊躇(ため)らわれる日々が続いていた。



「世の中、なにが当たるか分からないもんだな。とにかくめでたいよ」

 居酒屋のカウンターで、隣に居る香椎が日本酒を飲みながら私に言った。

「精一杯、頑張るよ。ここが正念場だもんね」

「じゃあ、とにかく売れてる姉さんにかんぱーい!」

 すっかり酩酊した後輩が、今日三回目の乾杯の音頭をとった。だけどこの会に殿居くんの姿はない。その理由はおそらく、私のせいだった。

「それにしてもあいつ、なんで顔出さないかね」

 升に零れた日本酒をコップに移しながら、香椎が忌々しそうにぼやいた。

「だって最近のトノ&カシンは、超多忙のイケメンアイドルコンビだからね。ってことはアンタ、イケメンじゃないからカシンの偽物でしょ?」

「偽物でもいいから、今日くらいはお祝いに駆けつけるべきだろ」

 いたたまれなくなってボケてみせたけど、香椎は本気で怒っていて私の冗談を右から左へと受け流した。

 その日の夜、殿居くんから電話がきた。

「今日はお祝いに行けなくてすみませんでした」

「別にいいよ。それよりこの前は本当にゴメンね」

 私は今になってやっと、すっぽかした食事のことを謝った。

「それはいいんですけど……」

 そう言う殿居くんの声は暗かった。聞けば彼にも事務所から注意喚起があったという。殿居くんは私と違ってまだ若い。それも今が一番大事な時だ。

「今は距離を置いた方がいいのかもね」

 今まで一度もデートをしていない相手にむかって私は言った。でも心のどこかでは、「そうじゃないだろ」と彼がツッコんでくれることを期待していた。我ながら卑怯だと思った。

「姉さんの新キャラ、かなり好評みたいですね」

 殿居くんはツッコむ代わりに話題を変えた。

「うん、だから私ももっと忙しくなるかも」

「お互い、今が勝負時なのかもしれません」

 返す言葉も否定する根拠も見つからない。
 だから私は彼の台詞を素直に受け止めることしかできなかった。
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