第2話 ネバーランドからの使者

文字数 2,093文字

『トノ殿居&白亜紀ジュラ、一夜限りのコンビ結成か?』

 頭の中で卑猥(ひわい)な雑誌の見出しが渦巻く。今はただの妄想だけど、もし週刊誌にでもすっぱ抜かれていたら大変なことになる。この事実が世間に知れたら、私はともかくとして、人気絶頂のトノ&カシンと事務所に多大な迷惑がかかるのは明白だった。

 女遊びは芸の肥やしなんて言っている人もいるけど、二十一世紀の平成となっては時代錯誤。それもイケメン芸人となれば風当りも強いことだろう。特に女遊びは女性ファンの心証を害するので、絶対にご法度だ。

 さらに彼は芸人としては珍しく、爽やかで健全なイメージを売りにしていたから、この手のスキャンダルは致命的に思えた。

 あの夜、いくら殿居くんと良い雰囲気になったからといって、私は軽率過ぎる行動をとってしまった。百歩、いや千歩譲って、彼は覚悟の上だったとしても、コンビの香椎にはどんなに詫びても償えない気がした。

 殿居くんとは、あれから一度も会っていない。彼は売れっ子だからそんな暇はないし、私の方からも連絡しようとはしなかった。

 白亜紀ジュラ、頭を冷やせ。そもそもあれは一度きりの過ちだったんだ。お互い本気じゃなかった。だって二人ともすごく酔っていたんだから。

 それにしても、この件で会社に呼び出されたらどうしよう。

 ここ数日はそんな考えにばかり囚われていて、ひとり怯えながらお金にならない仕事を続けていた。でも帰れば冷蔵庫の中にチーズケーキが待っている。だから私はそれだけを楽しみに、今日もパチンコ屋の営業をこなして家路を急いだ。



 安アパートに戻って電気をつけると、誰もいないはずの部屋に人影が浮かび上がった。

「殿居くん……?」

 一瞬だけ見間違えたけど、鍵を渡していないので彼のはずがない。よく見ると、十代後半くらいの見知らぬ少年が、狭い六畳間の真ん中に立っていた。いや、待てよ。正確には立ってなどいない。彼の身体は畳の床から1メートルほど宙に浮いていた。

 こいつ、ヤバ(きち)……。

 手品師の強盗かもしれなかった。それとも宇宙人、はたまた物の怪のたぐいか。とにかく怪しさ全開なのに、不思議と怖くはなかった。

 だから私はかろうじて、「あなたは誰?」と尋ねることができた。

「オレはヒロキ。よろしくね」

 少年は初対面の私に対して、笑顔のまま浮くほど軽い自己紹介をした。

「そうじゃなくて、うちでなにをしているの? っていうか完全に浮いてるよね?」

「ああ、これね」

 彼は羽根が付いているかのようにフワリと浮かび上がり、狭い部屋の中を器用に飛び回り始める。その姿はまるで、鳥かごから逃げ出した小鳥のようにも見えた。

「夢の国から来たって言ったら、信じてくれる?」

 あなたのご出身は、ネバーランドですか?

 新キャラのアイデア出しにばかり気を取られているうちに、ついに頭がおかしくなってしまったのだろうか。私は開いた口が塞がらなくて、夢なら覚めて欲しいと頬をつねった。

「うそ、痛いんですけど。あははは……」

 この非現実的な状況についていけず、私はやけになって笑った。

「うん、亜紀は笑顔の方が断然良いよ。なんだか悩んでいるみたいだから、相談に乗ってあげようと思ってやって来たんだ」

 彼は宙に浮いたまま胡坐をかいて言った。

 わかったぞ。これはきっと私の妄想が作りだした幻影に違いない。

 頭の中であらゆる可能性を探ったあげく、それが最終的にたどり着いた結論だった。

 その数分後。

 私は殿居くんから連絡がないことを、ヒロキに愚痴っていた。まるで昔から知っている気のおけない友人のように。彼が妄想の産物だとすれば、なにも遠慮する必要なんてなかった。

 ところが溜まっていたわだかまりをすべて吐き出すと、それまで黙っていたヒロキが口を開いて言った。

「そんなに好きなら、自分から連絡すればいいじゃん」

「な、なによ偉そうに! まだ子どものくせに!」

「まぁいいや……じゃあおやすみ」

 子どもを相手にキレた大人げない私に呆れたのか、ヒロキはそのままス~ッと上昇して天井をすり抜け、その向こう側に姿を消してしまった。

「妄想にしては、ちょっとリアル過ぎるのよね……」

 その場に座り込み、携帯電話を出して発信ボタンを押す。

 

 これが妄想じゃないなら、ヒロキの存在を公表してテレビ局に持ちこんだら高く売れる気がした。けれどそんなことをしたら、彼が二度と現れない可能性もあった。

 またヒロキに会って話がしたい。そう思った私は携帯電話の電源を切ると、布団の上に放り投げた。

 好きなら自分から連絡すればいい……か。

 たしかに彼の言う通りだ。そんなことは分かっていた。あれは酔っていたからじゃない。私は前から殿居くんのことが好きだった。

 だからどうしてこうなったのか、彼の気持ちが知りたかった。結果、「あれは遊びでした」と言われたとしても、仕方のない話だと納得するつもりだった。

 その夜、私は布団の上で携帯を一時間以上睨みつけ、やっと『また一緒に飲みたいね』と殿居くんにメールを送信した。すぐに返信はなかったけど少しだけ気分が晴れて、私は久しぶりにぐっすり眠ることができた。
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