13 ポスター

文字数 2,705文字

 それきり、愛菜(まな)は朝の電車に乗って来ない。あれから、更に二週間が過ぎた。その間、一度も愛菜は姿を現さないし、何の連絡もない。愛菜の言っていた、交通安全の立ち合いのためだとしても、そう毎日、愛菜ばかりがやらなきゃならない(わけ)は無いだろう。そもそも、自分は愛菜のあの話を信じているのか?愛菜が電車の中で話した時に感じ取った(はず)だ。これは別れの挨拶(あいさつ)だと。今まで、朝の電車で仲良くおしゃべりをした時間はお(しま)い。偶然電車の中で同級生同士が再会したと言う、ちょっと良い話は、思い出として終わりにしようと言っているんだと。
 まただ。
 自分と愛菜は同じ事を繰り返すつもりなのか。中学二年の時、愛菜はいきなり無遠慮(ぶえんりょ)に、いや、無防備(むぼうび)に涼太の()(そば)に踏み込んで来た。そうしてこの手を取って、何を一人ですねているんだと、(あきら)めているんだと(はげ)ましてくれた。だけど散々(さんざん)()き回した後、勇気をもらった涼太の方から手を伸ばそうとした時、するりとすり抜けて、見えないくらい遠くに消えてしまった。それで良いのか。また同じ事を繰り返すのか。『愛菜が』じゃない、涼太自身が。ただ茫然(ぼうぜん)と、彼女の消えた先を見つめて(あきら)めるつもりか。(いく)らなんでも、それはないだろう。お前は、四十を過ぎた中年だ。あの頃の何も出来(でき)ないひ弱な少年とは違う。お前をとりまく時代だって進歩しているじゃないか。
 仕事帰り、改札口を出た涼太は、駅の掲示板に貼られたポスターの前で立ち止まる。一面を群青(ぐんじょう)に塗られた紙には、菊の花びらの(よう)な形をした黄色や橙色(だいだいいろ)が書き込まれて、一番下には、大きなゴシック体の赤い文字が、横書きに幅いっぱいを埋めている。
『A野市夏季花火大会』『7月30日(日)19時30分~ C田川河川敷(かせんじき)
 良いじゃないか、これ。何かきっかけが欲しい。愛菜の気持ちを知るための。自分の気持ちを納得させるための。
 もう連絡してくるなと言われた(わけ)じゃない。電車に乗れる(よう)になったら、戻って来るって言っていたじゃないか。電車を降りる愛菜は微笑(ほほえ)んでいたじゃないか。それに、(うなぎ)(おご)る約束だって残っている。
 涼太は自分に言い聞かせながら、スマートフォンを取り出す。
 単に古くからの友達を思い付きで誘うだけだ。ほんのちょっとした思い付きだ。
〈毎年恒例の花火大会が七月三十日にあるそうだけど、花火を見に行かないか。良ければ聖良(せいら)さんも一緒に〉
 (いきお)いに任せて一気に打って送信する。どうせすぐに返事は来ないだろう。スマートフォンをポケットにしまい直して貸し駐車場に向けて歩き出す。
 気にしない(よう)にしても、頭から離れない。それでも家に帰り着くまでスマートフォンを取り出さない様に我慢(がまん)する。服を着替える段になって、(おそ)る恐るスマートフォンを取り出して開いてみる。
 何の返事もない。一気に気持ちがしぼむ。
 何だか分かっていた。これが現実だ。
 長めに風呂に入り、その後はとっとと寝てしまった。

 次の日になっても、何の連絡も返って来ない。このまま()(くず)しに何も無かった事にしようとしているのか。そうはさせない。
〈昨日、送った件、考えて返信してくれ。〉
 朝の駅のホームで電車を待つ人の列の中でメッセージを打つ。電車の中では駅に着く(たび)に、会社では休み時間に、スマートフォンをチェックしてみるが、何も返事が無い。
 余程(よほど)避けられているらしい。このまま何度もしつこく迫れば、きっとどんどん嫌われていくのだろう。
 今になってみれば、あのサッカー観戦の日の涼太の要求がいけなかったのだろう。愛菜の過去が知りたいなんて図々(ずうずう)しい。ちょっと(やさ)しくしたら、つけあがってそんな勝手な要求をしてきたって感じに思われたのだろうか。そんな冷たい女性でない事は良く分かっている。それでも、きっとプライベートな領域に踏み込まないでくれとシグナルを出しているのだ。そう考えると、あの日だけじゃない気もして来る。電車の中で、何度も不躾(ぶしつけ)物言(ものい)いをしてきた様に思える。愛菜はそんな無神経な自分に(あき)れていたに違いない。
 結局、夕方になっても返事がない。
 残業で一人事務所に残った涼太は、(おもむろ)にスマートフォンを取り出して画面を操作する。
 もう一度、コメントを送ろうか…
 打ちかけて、何て書けば良いか迷い、何だかしつこい自分が嫌になって机の上に放り出す。
 今朝、決まったら返信してくれと送ったばかりだ。今、彼女も迷っているのかも知れない。そんな所に追い打ちを掛けるのは良くない。愛菜はそのまま放っておく(よう)な人間じゃない。愛菜を信じないでどうする。
 涼太は明日を待つ事にした。

 次の日の朝になっても返信は無い。もしかしたら、夜の間にと(わず)かな期待をしていたが、あっさりと裏切られる。その後も、朝のホーム、会社に着いてから、昼休みと、チェックしても、何も入って来ない。
 このままそっとしておいて、気の置けない同級生としての涼太君を壊さないでくれと言っている愛菜の声が聞こえる(よう)だ。昨日はまだ気持ちが折れない様に頑張っていたけれど、仕事の疲れもあってか、夕方、会社を出る頃には、涼太の中で無力感が広がっていく。
 今夜はコンビニ弁当にビールをかっ食らって、良い(よう)に酔っぱらって寝てしまおう。
 駅前のコンビニで弁当にビール、()まみを適当に見繕(みつくろ)って、原付の荷台に(くく)りつけて家まで飛ばす。夜になっても抜けない熱気が耐え(がた)い。一日締め切ったままの家は、玄関を開けた途端(とたん)に熱気が(おそ)ってくる。夜だと言うのにそこら中の窓を開けて回り、居間はエアコンを強にしてスイッチを入れる。こんな中では飲まずにいられない。涼太はキッチンのテーブルの椅子に腰かけて、早速(さっそく)缶ビールを一気に(のど)に流し込む。
 呼び(りん)が鳴る。
 気のせいか?この家を訪ねてくる用事のある者など居る(わけ)が無い。
 また、呼び鈴が鳴る。
 確かに誰か来ている。待てよ、町内会の集金で、この前近所の小父(おじ)さんが来たから、そう言う関係なら有り()るか?こんな時間に?あぁ、昼間不在だからしょうがないのか。
 涼太は、大声で返事をすると、飲みかけた缶ビールを台所のテーブルの上に置いて、玄関へと急ぐ。
「はい、今開けます。」
 玄関でサンダルをつっかけて、引き戸に手を掛ける。開け始めてから、こんな時間に誰とも確認せずに安易(あんい)に玄関を開けるのは不用心だったかなと頭を(よぎ)ったが、もう遅い。カラカラと車輪の回る乾いた音を立てて(とびら)が開いたその先、すぐ目の前にスラリと背の高い聖良(せいら)が黒い夜の空気をバックに立っている。あまりに予想外で、涼太は目を丸くしたまま言葉が出ない。
「今晩は。ちょっとお邪魔(じゃま)させてもらって良いでしょうか?」
 聖良はにこりともせずに、そう言って涼太を見つめた。

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