長閑な日常5

文字数 1,852文字

 立ち並んだビルの間に、暮れゆく空が見えている。大型ビジョンには、近々来日するアメリカのロックバンドのメンバーが映っており、流暢な日本語で、十二月に須永見市で行なわれるライブの宣伝をしていた。妹がこのロックバンドにはまっており、暇さえあればその素晴らしさについて語ってくれる。もちろん十二月のライブには参戦するようで、その熱も日に日に増しているかのようだった。
 風が吹き抜け、髪が揺れる。路面を走る電気バスとすれ違う。背後で止まり、ドアが開く。一人の乗客が降り、それより多くの学生やらサラリーマンが乗り込んでいく。
 この辺りには学校や企業が集中しており、夜になるとめっきりと人が消えてしまう。二十四時間営業のコンビニや牛丼屋の派手な明かりが、冷たいコンクリートを揺らがせる。この街には、もう一つの顔がある。
 電気バスのドアは閉まり、音も立てずに去っていく。道路を挟んだ向こう側には、小さな交番がある。若い男の警察官が椅子に腰掛け、大きな欠伸をしていた。その交番の近くに掲げられた看板には、『世界で一番治安のいい街、須永見市です』と、赤く太い字で書かれている。この街のマスコットキャラクター、『すながくん』のイラスト入りで。
 見回せば、いたるところに看板が掲げられている。ビルの壁やら植え込みやらに『ポイ捨てダメ! みんなの約束!』、『最新テクノロジーの息づく街、須永見市』、『日本の原風景が、須永見には生きている』といった言葉が躍っている。小さい頃からそうだった。そのため脳内にこびり付き、無意識に溶け込んでしまっている。

――嬉しい時も、悲しい時も、すぐそばで、あなたを包み込んでくれる。

  やりたいことがあります。守りたい人がいます。

  いつも、あなたを見ています。

  さあ、大きく息を吸い込んで、吐き出しましょう。

  この街に生きるという喜び。それを感じてください。

  自然と科学の融合、学問の根付いた街を目指して――

 ドラッグストアの店先に置かれたテレビでは、この街に住む者にとってはお馴染みのテレビコマーシャルが流れている。仲睦まじい親子がどこかの渓谷へと出かけていき、優雅に過ごす休日の一コマといった感じの内容で、その終わり間際には、背景である青空の右下に、『制作 須永市役所 市民局 広報課』という小さな文字がある。
 毎年その内容は変わっているが、伝えようとしていることは、きっと変わってはいないのだ。公共放送、民間放送を問わず、一日に何十回も流されている。ぼくが産まれるよりも前から続いている。小さい頃から刷り込まれ、それが普通となってしまう。ぼくのように、疑うということをしなくなる。
 そんなことに囚われなければ、この街は住みやすく、未来への希望で満ち溢れているのだろう。そう考えると、ぼくは不幸なのかもしれなかった。地元の大学に進学し、地元の企業に就職し、地元の娘と結婚する。縁があれば子供を授かり、温かい家庭を築き、一生をこの街で終える。そんな人生もあったのだろう。
 だが、ぼくは気が付いてしまった。この街の薄っぺらさに、気味の悪さに。ふとそのことを思うと、背筋が冷たくなってしまう。どいつもこいつも笑っている。何をそんなに気にしているのです、あなたの考え過ぎですよ。見ず知らずの人にそんなことを口走ってしまったら、いい病院を紹介されてしまいそうだ。
 しばらくいくと、アパートやマンション、同じような家の立ち並んだ住宅街へ。道路は細い路地へと変わり、生活感が漂い出す。そんななかにある洒落た公園。脇を通り過ぎる時に、ふとそちらの方を見てみると、一人の少女が暮れゆく空を見上げ佇んでいた。その光景を見るのは、ぼくにっとは初めてのことではない。
 着ている制服は、私立の『朋友大学附属中学校』だろうか。だとしたら、少女は名家の令嬢か、金持ちかということになる。いずれにせよ、ぼくのような庶民とは住む世界の違う人間だ。それでも、その横顔を美しいと思ってしまう。儚げで、どこか憂いを帯びている。生きているというよりは、死んでいる。人間というよりは、人形のよう。
 もしかしたら、少女も気が付いているのだろうか。この街の異様さに。だとしたら、どうなのだ。何かが始まるということなどありはしない。後ろ髪を引かれながらも、自宅のある方へと進んでいく。その次の十字路を右に曲がれば、公園なんて消えてしまう。早く意識を切りかえろ。ぼくは、自分にいい聞かせた。
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