15 夜明け前の銃声

文字数 4,231文字

【04時02分】

 さっきまで雨が降っていたのだろう。どこか昔の記憶をくすぐる匂いがする。
 残るネオンの光、紫に変わり始めた空、カラスの羽ばたき、K町の夜明け前──

「さぁ、撃てよ」

 俺の後ろから辰美が急かせる。
 何もないカラオケルームの屋上、俺はシルバーのピストルを構える。銃口の先には、処刑スタイルでひざまずくキョウコ。キョウコはさっきまでさかんに何者かに毒を盛られたことを主張していたが、辰美に一笑されてからは、苦しそうに浅く早い呼吸を繰り返すだけだ。

「ほら、早く撃つんだよ。お前が撃つ前にこの女がくたばっちまったら責任取ってもらうからな。俺がどういう人間かよく知ってるだろ?」

 辰美は大声で笑う。俺はその後ろに立つシンジに視線を移す。辰美に付き添ってやってきたシンジはここに来てからずっと無表情を通していた、感情を消していた。それはヤクザとしては正しい態度なのだろう。くだらないことでつまずかなきゃ大物になれるぜ。

「撃てよ!」

 辰美に蛇のような目で睨まれ、俺はキョウコに向き直る。深呼吸する。狙いを定める。

「ごめんよ」

 これ以上考える前に俺は引き金に力をこめた。銃口の火花がはっきりと見えた。思ったより軽い発射音だった。感想はそれぐらいだ。
 俺はピストルを下げてキョウコを見た。目を閉じていたキョウコがゆっくりと瞼を開く。目が合ったのでウインクしてみた。

「おい! なに外してるんだよ! そいつが組長を殺したんだぞ! もういい俺がやる!」

 今まで辰美の後ろでかしこまっていたシンジが急に怒った顔を見せ、腰に差していたピストルを手にした。

「バカ野郎! こんな楽しいこと、俺を差し置いてお前みたいな若造が勝手にやっていいことじゃねえだろ!」

 辰美が珍しく怒鳴った。片頬をひくひくと引き攣らせた表情でシンジに向くと、手の平を出した。シンジは頭を下げ辰美にピストルを手渡した。辰美は俺に真っ直ぐそのピストルを向ける。

「どうしてわざと外したんだ?」

 元の辰美に戻って俺に聞く。俺は自分が持つピストルの引き金から指を外して両手を上げ、辰美のいる方向に体を向けた。溜息一つ吐いてから答える。

「『嘘つき』が誰か知りたかったんでね」
「『嘘つき』っていうのは何だ?」
「とぼけるなよ、全部聞いてたんだろ?」

 盗聴器があることには途中で気づいていた。たぶんカラオケマイクの中に一つある。ざまあみろ、俺が彼女をそれで殴ったとき外で短い悲鳴が聞こえてきたんだ。
 辰美は眉を上げ、それで答えにした。

「『嘘つき』は誰だったんだ?」
「〈殺し屋〉なんていなかった。こうして実際にピストルで撃って彼女を生命の危険にさらしても何も出てこなかったのが証明している」
「なるほど残念だな、俺は〈殺し屋〉に会いたかったんだよ。殺すためだけに生まれたなんて素晴らしいじゃないか。俺は生き別れの兄弟に会うみたい興奮していたんだぜ。それが何だ? 嘘でしたって、ふざけるなよ。改めて聞く、一体その怖いもの知らずの『嘘つき』は誰なんだ?」
「〈殺し屋〉がいないのなら、そのストーリーにのって話をしたこいつが『嘘つき野郎』さ。いや、ストーリーにのったんじゃないな、こいつが仕組んだんだよ」

 俺はシンジを見た。俺はほんの数十分前までこいつの話を信用していた。完全に信用して共感してその切ない思いにハグまでしそうな勢いだった。それが突然、裏返った。くるっと裏返った。きっかけは〈探偵〉のカヅヤが死を選んだことだった。俺が捻くれ者じゃなければそのままアジア人好みのウェットなストーリーだと思って流すところだった。しかしよく考えてみると彼女が〈殺し屋〉という人格まで作り上げて生き残ろうとしたことと矛盾する。〈殺し屋〉がいるならたとえ相手が極悪卑劣なヤクザでも最後まで生きることをあきらめなかったはずだ。そうすると急に二人の話したことが出来すぎに感じてきた。まるで二人が示し合わせて作ったクソストーリーだ。だから俺は他の誰かと話がしたかった。そして何度も言うが、女を殴ったのには理由があったんだよ!

「てめえ、いい加減なことを言ってるんじゃねえ! 辰美さん、聞いてくださいよ、このバカは女にいいように言いくるめられて、こんな適当な嘘を吐いてるんですよ。いや、違うな、こいつがうまくこの売女を言いくるめて組長を殺したんですよ。こいつが例の殺し屋に違いありません」

 シンジが吠えている。こいつはかなりのプロフェッショナルだと見込んでいたが、俺の勘違いだった。情けないほどピンチに弱い。最初から向こうの捨て駒だったのだろう。
 俺はキョウコが再び現れた時に聞いていた。マイクの中の盗聴器はあれで壊れたのでもちろんオフレコ話だ。〈街〉の中でカヅヤは〈探偵〉ではなく苦痛を引き受ける〈生贄〉だったことが中心に近い〈先生〉という人格から伝えられていた。〈生贄〉のカヅヤはこっちの世界で優しく接してきたシンジに恋をし、シンジを守るため〈探偵〉に成りすまし、シンジの犯行を知っていそうな人格を〈街〉で消していった。そして最後には自分自身をも消そうと──なんだよ、シンジがクソなだけでやっぱり泣ける話だった。

「うるせえな、少し落ち着けよ。この医者崩れがクズなことぐらい最初から知ってるよ。言い訳ばかりできちんと期日を守って借金も返せないクズだとよ」
「今は関係ないだろ」

 俺は不用意に呟き、危うく辰美の人差し指に力を込めさせるところだった。

「俺もこの女に興味があって少し調べさせた。シンジ、お前が言っていることは大体において正しい。この女はお前が言ったようなクソな環境でクソな両親にクソのように虐待されクソに育った。だからクソのように頭が狂っても当然だ」
「そうでしょ、そうなんですよ、こいつが嘘つきなんです。こいつが女に吹き込んで組長を殺した。こいつが殺し屋ですよ。早く、組長の仇を討ってください」
「ただ──一つだけ違うことがあったんだよ」
「何も違わないです。俺もちゃんと調べましたから」

 言いながらシンジの表情が変わる。目つきが鋭く何かに備えるように瞬きすらしない。

「──ただ一つ違うのは、クソな両親を殺したクソな犯人がもう捕まってしまってるってことさ。この女は誰も殺していない。そうすると話は違ってくるよな?」

 シンジは辰美が振り返るより早く、足首に忍ばせていた小型ピストルを手にした。躊躇なく辰美の額に狙いを定める。

 再び銃声──

 辰美は変わらず憎たらしい顔で立っている。その頭に風通しのいい穴が空くこと期待したがそれが叶うことはなかった。足下にピストルが転がっている。シンジは血だらけの手の平を押さえている。
 辰美は向かいのビルに向かって手を上げた。俺も見ると、向こうの屋上にも人が立っていて両手にライフルを抱えていた。こうなることが分かってスナイパーを待機させていたようだ。
 銃声を聞きつけて裏で待機していたヤクザ達が雪崩れ込んで来る。シンジは押さえ込まれ、自殺防止のタオルを無理矢理口の中に突っ込まれる。

「お前ら何もするなよ、俺があとでゆっくり楽しむんだからな」

 シンジは呪い言を吐くことも許されず両脇を抱えられ退場する。

「面倒なことだよ、また戦争だ。困ったもんだ」

 辰美は言葉とは逆に、とても楽しそうに言った。待ち遠しくて堪らない感じだ。

 俺はピストルを返して聞く。

「初めから知っていたのか?」
「知っていたも何も、お前みたいなクズに全部任すわけがないだろう」

 考えればそうだが、改めて言われると腹がたつ。

「もちろん情報は色々と持ってたよ。向こうが使ったクソエージェントだとか、もっとシンプルな事で言えばあのクソ男がそこの彼女から金を貢いでもらっていただとか。情報は喧嘩と商売の基本だからな。ただ本格的に事を構えるとなると確証が欲しかった。それにこの女にも興味があったからな。小さい頃、ビリーミリガンとか読まなかったか?」

 辰美が口元を緩める。

「そうそう、さっき警察に飼っているイヌから連絡があったよ。この街を脅かしている恐ろしい恐ろしい連続殺人鬼は捕まったそうだ。学生のヤク中だとよ」

 一度も会う機会はなかったが彼女の〈探偵〉の能力はさすがだった。結局、全部当たっている。

「それじゃ、そこに転がってる女はもう自由だ、用はない。本来は、その女があのクソを手引きしたんだからそれなりのケジメを取らせてもらうんだが、どうせもうすぐおっ死んでしまうんだろ? どうでもいい。そしてお前は来月からまたがんばって金を返せよな」
「これでチャラじゃないのか?」
「それほどの仕事はしてねえだろ、だから今月待ってやっただけでもありがたいと思え。ヤクザは甘くねえよ」

 辰美はそう言うと、たぶんおそらくオペラの一節を口ずさみながら楽しげに去って行った。
 俺は振り向いてキョウコに近づく。早く病院に連れて行かなければならない。おそらくあの時のプリンにでも混ぜられていたのだろう。奴は早くから彼女の口を封じようとしていた。俺がもう少し早く気づけばよかったのだ。〈先生〉が言うように投与されたのがリシンなら──トウゴマという植物から抽出する自然毒らしい──解毒剤はないようだが、適切な処置をすればまだ助けることは出来るはず。そうだきっと助かる。まずは活性炭で胃洗浄をする、その後は酸化マグネシウムで中和、その後は何だ? とにかく俺なんかじゃなく、まともな医者に診せなければ。
 俺はキョウコを抱き起こそうとする。

「こっちにこないで!」

 今まで苦しそうに呼吸していたキョウコが声を張り上げた。

「どうして?」

 俺は聞きながら彼女の顔を見る。雲の間から射しこみ始めた太陽の光の下で彼女の顔色はよくなっていた。瞳孔も元に戻りつつある。彼女は助かるかもしれない。陳腐な言葉で言うなら奇跡だ!

「これって、これってどうしてなんだよ!」

 俺は喜びの声をあげる。

「どうしてもよ、ほっといて!」

 俺の説明不足で彼女はさらに怒って大きな声で答える。そしてどういうわけか必要以上に頬が赤い。
 視線を移すと彼女が腰を下ろす場所の周りには乾き始めた雨の染みとは別の染みが広がっていた。何だそんなこと、恥ずかしがることじゃない。あんな風にピストルで撃たれたら俺だってそうなる。笑う事じゃないさ。

「バカ! 笑わないでよ、笑わないでってば!」

 俺は小さな拳で何度も何度も胸を叩かれながらキョウコを抱え上げた。


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