第41話 玉座への道しるべ

文字数 3,186文字

 ◆

 いつからここにいるのだろうかと、谷崎は、何も見えない暗い場所のなか、ぼんやりと上方を見た。そこには電灯というものはなくただひたすら闇が広がっている。音は、ない。
 しばらくすると靴のかかとが床を打ち鳴らす音が近づいてくる。次に視界の一部が四角く切り取られ、自動ドアと思われるものが開いて、向こう側の明かりが入ってきたようであった。その中央には背の高いシルエットがありそれは谷崎に徐々に近づいてきている。そのうちに、影の上方がまるで月のように輝いていることに気づいた谷崎はよく目を凝らした。それはまばゆく、神聖さすらある見事な金髪と、人物の額から伸びる美しく大きな銀の角。まるで夜空に月と星が美しさを競い合っているようである。
「やあ、目が覚めたかい」
 この異常な状態に似つかわしくないこちらを心底気遣うような優しい言葉。しかし、目が慣れはじめた谷崎は、その人物が、気を失うまえに自分と恋人を襲った中心人物であることに気が付いて、すぐに警戒態勢に入った。が、身動きがとれない。両手が頑丈な縄のようなもので縛られていた。
「行こうか」
 男は谷崎の後ろに回り、彼の身体を支えて立ち上がらせ、そしてゆっくりと、谷崎とおなじペースで歩いて部屋から出る。
 廊下の明かりは煌々とともっている割には人の気配というものがまったくない。時折、男が身に纏う白衣を着る者とすれ違ったが、みな、歩く彼らを無視していた。そこで谷崎は不審に思ったことがあった。皆一様に、後頭部に、天使の輪、ないしは聖人や仏の、絵画や像にみられるような後光に近い円があるのだ。それらは不規則な動きしながら回っていて、時折文字列のようなものが書き換わっていた。谷崎は、彼らの不思議な様子を見つつ、横に居る長身の白衣の男の横顔を見る。
「あ、あの。あの子は、ボクの、恋人は」
「ああ、これから行く場所にいるよ」
 と男が言ったと同時に道が突き当たる。そこには大きな金属製だと思われる扉があり、関係者以外立ち入り禁止のプレートが掲げられていた。男はその扉のロックパネルに手をかざした。電子音が鳴ったあと、扉がゆっくりと開いていく。
 谷崎はそのなかの異様な光景に息を飲んだ。
 大きな道の両側に、冷たい光を放つ、さまざまな管が繋がれた培養槽が途方もない数で陳列している。中の液体をぼこぼこと泡立たせているので、それらが邪魔となって中に何が入っているのかはわからない。そんな谷崎の好奇心を察した男は、谷崎の肩をがっしりと掴んで培養層に近づかせた。
「さあ、よく見てごらん。


 谷崎は男に逆らうことができず、仕方なしに中身になにがあるのか、目を凝らした。それは髪のようであった。何本もの漆黒の髪が、ふわふわと水流に煽られているが、根本に向かうにつれ亜麻色となっていた。そして、その髪の根元にはうねうねとあちこちに動く無数の触手があった。谷崎は思わず後ずさり小さな悲鳴をあげ、その怯えた背中を、すぐ後ろにいた男がそっと支えた。
「あれ? 気づかない? せっかく会わせてあげたのに」
 不可解な男の言動に谷崎はもういちどその髪束を見る。そうだ、そういえば、自分の恋人はこのような髪をしていなかったか――?
 谷崎はその場で胃の中のものを吐き出した。内容物は、今朝方に彼女が作った、蜂の子のソテー……。
「あなたは確か、この街の研究所の、所長……。ここはまさか」
「うんそうだよ。はじめまして、菊池と言います。君に適任の仕事をしてもらいたくて、手荒にスカウトしたんだ。ごめんね」
 と、いままで紳士的だった彼の態度が変化する。谷崎の後ろ手に結ばれた腕をつかみ、谷崎をむりやり歩かせた。

に会わせてあげたかったのもあるんだけども、実はもっと会わせたいひとがいてね。だから君をここにつれてきたんだ」
 サイドの培養層の列のさき、そこには、ひときわ大きい、まるで天を貫かんばかりに高く、想像を絶する巨大さを誇る培養層があった。
「な、そんな……蓮くん……⁉ でも、ばかな。だって!」
 その中身は、まるで谷崎と男が米粒かと思われるくらいに大きい肉塊である。その、不気味に蠢く肉から、蓮の顔と、手足と思われる器官が四方八方から伸びていた。亜麻色の髪の奥からは、まるで不可解な奇病の発疹のように、触手が頭部を覆っていて、ぐしゃぐしゃと身悶えてとせわしない。
「君は合唱部だったんだろう? 君の持つ喉笛(フルート)は、さぞ美しい音色を奏でるんだろうねえ……?」
 不吉の言葉に谷崎は後ろを振り向くがすでに後の祭りである。男の姿はもう、目にしてしまってはいけないものに変化している。
 白い仮面、はためく黄色の外套、裾からは何本ものおぞましい触手があらわれていて、その先端には、あらゆる刃物が持たれていた。触手がいっせいに身動きのできない谷崎に伸びていく。刹那、谷崎の視界に培養槽で眠る蓮が入る。
 谷崎は思う。
 これはまるで、玉座のようだ、と。

 ◆

 その日の巧は機嫌が良かった。なぜなら今日は、一か月にいちどの菊池との逢瀬で、いつもの白衣姿の彼も格好良かったと思ってはいたが、私服の彼がいつも以上に色気を醸しているからであった。
 巧は自分自身を不思議に思った。いままで自分は性自認は男性でかつ異性愛者であったと考えていたのだ。なのになぜ、こうもたやすく菊池のことを好きになったのであろうと。たしかに菊池は性別を超越した美しさを持っていたが、それにしても。
 一応おなじような境遇の谷崎になんども恋愛相談をしたものの、谷崎はいつのころからかチャットアプリの返信をしないようになっていた。巧は、自分と同様に恋人に夢中なのだろうと、己を顧みつつ納得をした。
 そのうち目的地に到着したという旨のアナウンスが流れた。あらかじめ連絡端末と同期させているのでバスは自然と停車、巧は座席から立ち上がってバスから降車する。
 カフェや大型百貨店などが立ち並ぶ道のさき、抽象芸術の彫刻があって、人気の待ち合わせスポットとなっている場所がある。今日は休日ということもあり、人の波がいつもよりも大きい。しかし、そんななかでも巧はすぐ菊池を見つけることができた。なぜなら――。
「あ、あのひと! すごいかっこいい」
「芸能人かなあ」
 などという歓声がどこかしらで上がっているからである。菊池は自分の外見をある程度理解しているようで、そんな風に、ひとから注目されている事実に慣れっこであるようだ。人前では一切の隙を見せない。まさに、完璧な美であった。
 待ち合わせ場所には、すでに菊池が立っていた。今日の彼のいでたちは、薄手のテーラードジャケットに白のシャツと、飾り気がないベージュのボトムス。一見すると凡庸であるが、菊池本人が派手なのもあって、地味さを感じさせない。
 髪はいつもなら下げられているが今日はすこし整えたらしい。サイドを自然に後ろへ流してあり、わずかに垂れ下がっている後れ毛が艶やかだ。しかしそんな風に格好をつけていても、この世界では巧だけが知っているだらしのない姿とのギャップに、いつも巧はこころのなかでくすくすと笑うのであった。
 巧は人々をかき分けて菊池のそばへと寄った。
「ごめんなさい、待ちましたか」
「いいや、全然。……おや、君の今日の姿は一段と素敵だ。特に羽織っているカーディガンが洒落ているね」
 と、菊池は巧の全身をあごに手を当てながら見た。菊池はいつも特徴的な甘い声で巧を褒める。
「これは友達から貰ったものです。とてもオシャレな友達なんですよ」
 疎遠となってしまったものの、恋人と過ごして幸せであろう谷崎のすがたを思い浮かべながら、笑顔で菊池の言葉に答えた。
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