第34話 目的

文字数 3,020文字

 谷崎は伝票を持って立ち上がった。レジまで向かってそこにいる店員に会計は別々でと告げる。金銭を払い終わったふたりは店を出て大学に向かうバスが停まる停留所まで歩いていく。谷崎は停留所の看板の後ろ、時刻表と自分が身に着けている腕時計を交互に見る。
「良かった、すぐにバスが来ますよ」
 慎一も安心したようだ。一息をつくため、彼は懐から飴を取り出して口に含み、ころころと舌で転がしはじめた。見るもののチャンネルを変えるため慎一の目が薄目になる。谷崎の胸には小さな炎がぽつぽつと灯っていた。未練の炎だった。どうしたものかと慎一は考える。そして、谷崎の友達とやらの罪深さも。なりふり構わないその態度に多少の苛立ちを感じながらも慎一にはできることはない。――いや、あるにはあるのだが、それをしてしまっては谷崎になにが起こるかがわからなかった。谷崎の胸から未練を抜き取ること。慎一にはまだそれをやるだけの勇気と覚悟がない。
 慎一の口のなかの温度が上がっていく。ただの飴だったそれは、口のなかで焦げ、べっこう飴のような香ばしさが加わった。
 すると、大きなバスの車体が停留所に近づいて乗降口がひらいた。二人はバスに乗り込んで、あいていた座席に並んで座る。
 大学に到着するまでのあいだは会話は無い。一定時間で鳴らされる車内アナウンス。ドアの開閉音。たまに入ってくる学生らの話し声が淡々と過ぎていって、二人は大学に辿りついた。
「それじゃあ、ボクは講義に行ってきます。……あの、慎一さん。ボク、講義が終わったら友達の家にお見舞いにいきたいのですが、一緒についてきてくれますか」
「いいよ」
「ありがとうございます」
 谷崎はペコリと頭を下げ、慎一に背を向けて歩き出し、学生でごった返す校舎内に消えた。慎一は、今度はガムを取り出して口に放り込む。もぐもぐと奥歯でかみながら、学生らに紛れて敷地内を歩いた。
 巧と谷崎がいるこの大学は地域交流をうたっているので、一部の場所以外は自由に出入りすることができる。刈りそろえられた芝生と小川、あちこちにある木々が影をつくっていて一つの大きな自然公園のようである。慎一は適当なベンチに腰を下ろした。ときおり風が吹いてこずえが鳴り葉がひらひらと落ちていく。
「はー、気持ちいいねえ。律ちゃんと来たかったなあ。今度誘ってみよう」
 日光の眩しさに慎一はしばらく目を閉じる。人工とは思えない暖かさにしばらく身を任せていると、ぜえぜえといった息切れの音が近づいてきたので、そこらでマラソンをしているランナーかと慎一は思った。……が、その声は慎一のすぐとなりにまで聞こえてくる。さすがに不審に感じた慎一が瞼をひらくと、なんと、そこにはスーツ姿でうなだれて座る菊池の姿があった。
「うわ! なにしてんの!」
「……身体が、辛くて……」
 脂汗を高い鼻のさきから垂らす菊池の顔は熱に浮かされたように赤い。慎一は暑さで脱いだジャケットを菊池の頭に被せて、できるだけ日光に当たらないようにした。そして水を買ってくるからと断ってから立ち上がる。ちょうどすぐそばに売店があったため、慎一は適当な水を購入してから菊池のもとへと戻り、水を差し出すと素直に菊池はそれを受け取ったが、慎一は菊池の足元に生えている芝生が枯れているのを目にしてしまう。
「ちょっと! 足、足をあげて!」
 口答えを出来る状態でもない菊池はその言葉に素直に従い、ベンチのうえで長い足を折り曲げて体育座りとなる。ひとまず安心をした慎一はおなじくベンチに座った。
「物凄い匂いがするけれども、香水でも零したの」
「……」
 菊池はその問いに答えない。答えられるはずもなかった。黙りこむ菊池に呆れつつ慎一は話題を変える。
「まあいいや。……どうせ、まだ陽介さんに連絡していないんだろうからなにも言わないよ。野菜ジュースはまだ足りてる?」
「もう少しでなくなりそうだ。また届けてくれるか」
「いいよ。でも、次、別のひとに頼むからオレじゃないよ。オレも葉っぱ集めと服飾仕事が忙しくてね」
「そうか……」
 慎一は、前回とは違う身奇麗な菊池の顔を見て、うっかり顔を赤らめるが、惑わされてはいけないとぷるぷると頭を振った。そんな彼の姿を、菊池は、顔を上げてまじまじと見、言葉を零した。
「空腹だ」
 慎一の頭に嫌な過去がよぎる。そう、初めて陽介と外界に出てきたことを思い出し、僅かながら、慎一は菊池と距離をおいた。
「あのさ。季朽葉、じゃなかった、菊池さん。アンタはどんな仕事をしているの」
「この世界の維持管理と、……そうだな、子守といったところだな。あまり外では話せない内容だから、ここまでにしてくれ」
「そう」
 二人はすぐに黙った。ずいぶんと長い時間そうしていたらしく、風と鳥の鳴き声だけが聞こえるなかで慎一の連絡端末が鳴った。谷崎からで、慎一はその場から逃げ出すように声を出す。
「じゃあね」
「ああ」
 追って菊池も立ち上がった。ふたりは言葉を何も交わさずに互いに背を向け歩み出す。数歩進んだところで再度慎一の端末が鳴った。
『学生課に居ます。慎一さんはいまどこですか』
『いや、オレがそっちに行くよ』
 慎一は端末画面から視線を離してあたりを見る。敷地内道路を渡ったさきに道案内の看板があり、慎一は、現在位置と学生課の場所を把握し再び歩き出す。ほんのニ、三分で学生課がある建物に着くと、小走りでやってくる谷崎の姿が見えた。
「お待たせしました!」
「いやいや、大丈夫」
 そのまま谷崎は慎一の隣に立って並ぶ。谷崎のどちらの性別ともいえない雰囲気と学生には思えない慎一の出で立ちに、自然と周囲の視線を集めた。周囲の声に当然のことながら気が付いている慎一は谷崎に気付かれないようにして歩みを速めた。校門はすぐに見えてくる。
 慎一は一足先に大学敷地内から出た。友達が倒れた心配からなのか、青い顔をしている谷崎を励ますように、慎一はわざと明るく声を出した。
「友達の家はどこなの?」
「大学のすぐ近くです。こちらですよ」
 日はすこし翳っていた。しかしまだ熱の篭るアスファルトを二人は歩いた。校門を出てすぐ右方向へまっすぐ行くとコンビニエンスストアが見えたので、そこで栄養ドリンクなどを購入することにする。
 慎一は思う。自分がもう食べられないものを選ばせるのは何と酷なことなのかと。そしてそれをよしとする谷崎のふところの深さに感心するしかない。大切な仕事仲間、後輩。入れ込んではいけないと思いつつも、楽しく日々を過ごしている谷崎を苦しめる『友達』とやらのほっぺたを、慎一は一度ぶん殴りたいと感じている。
 一方の谷崎は、買い物かごに一リットルペットボトルのジュースを二本ほど、ゼリー飲料を追加で三個を入れる。見た目からして重そうなそれを、慎一は肩代わりをして持って会計を済ませた。
「あ! 慎一さん!」
「いい、いい。気にしないで」
 商品を袋に詰め終わり、商品管理がすべて機械でなされた店舗を出て行く。慎一はいらいらを沈めるために、再度あめを口に放り込んで進んでいく。
「慎一さん、そろそろ友達の家に着きます」
「どこ?」
「そこです、ちょうど信号のあるところ」
 道のさきを睨む慎一の眉が歪んだ。一見機嫌の悪そうに見えるその表情は、擬似太陽の光に当てられてごまかされた。
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