15
文字数 1,901文字
「一度負けたら、二度襲ってはいけない。そういうルールなんだ」
「……ルール? ルールって何」
「……ところでどうだ。元の世界に帰りたいか?」
「か、帰るって……帰れるの⁉」
「望むなら」
「だって、そしたら、奈美里ちゃんは……」
「どうにもならない。帰ったら、おまえが最後に見た状態のままだ」
「じゃあ、……だめじゃないか……」
「だめとは?」
「帰れないだろ! このまま帰ったら、何のためにここに来たのか……」
薫の言葉に、ナキは大きく口を開けて笑った。薫は驚いた。初めて見る、屈託の無いナキの笑顔だった。
「ならばこれを貸してやろう」
そう言うと腰の紐をほどき、ナキは薫に最初のあれを渡した。あの長くて重い剣だ。
「多分もう使えるだろう」
手を伸ばし、それを受け取った。ずっしりと重い。だけどその重みは、もはや薫にとって非現実的なものではなくなっていた。その重みは、薫を守ってくれるもの、薫と一緒に敵を倒し、災厄をかわし、奈美里のもとへと導いてくれるものだった。命を護るものの強さと優しさが剣から伝わってくる。
「十拳の剣だ」
「トツカの剣……」
意味はわからないが、薫はその響きに頼もしさを覚えた。
鞘から抜き、闇の世界の黒い天にかざして、つくづくと眺めた。
ふと横を向くと、ナキはもういなかった。
「良かったじゃナ~イ。彼氏、アンタを置いてかないって」
長い足をぶらぶらさせながら、揶揄するように女が言った。
「……あれはいいの?」
女の言葉は無視して、奈美里はビジョンに映し出された火之迦具土を指した。すっかり鋭気をなくし、柴犬くらいの大きさになって薫の後をついていっている。
「アア……傷はそのうち治るサ。一応、あれも神だからネ」
「なんか、後、ついてってるけど」
「久しぶりに反撃されたから、驚いて、逆に興味が湧いちゃったのかもネ」
肩を竦めて、女は両手を広げてみせた。
火之迦具土と女の関係に、奈美里はもう勘づいている。それだけじゃなく、奈美里は、女と、薫のもとに時折り現れる男の正体について大体予想がついていた。
奈美里は短大卒だが浅学ではない。短大に行ったのは、「女は結婚して子供を生むんだから、四大に言ったらその分遅くなるじゃない。どうしても行きたいんなら、二年分の学費は自分で出しなさい」という母の言葉のためだった。
自分で学費を稼ぐだけの自信はない。だから親の言う通りにした。
短大では国文学科を選んだ。親は「家政学科か、せめて英語をきっちりやるとこにしなさい」と言った。だけど奈美里は、そこは自分の意思を通した。もともと国語や歴史が好きだったのだ。「私はやりたいことをやるの」と言って、親の反対を押し切った。だが短大での二年間の勉強は、社会で役に立たなかった。
就職活動のときは苦労した。短大で学んだこととは何の関係もない、小さな化粧品会社の事務に決まった。それでもラッキーだった。中には最後まで決まらずに、表向きは「やりたいことを見つけるためアメリカに留学する」といって、そのまま連絡が取れなくなってしまったり、何年もフリーターのままの子もいる。
だから、役に立っていないとはいえ、日本史は多少知っているのだ。薫は謎の男を「ナキ」と呼んだ。それから真っ黒なこの世界。醜女、火之迦具土。もうわかる。
ここははるか昔の夢の世界、日本神話の世界なのだ。日本の創世を物語った「古事記」、その中には黄泉=死後の世界も描かれていて、そこでは醜女や炎の怪物、火之迦具土などが登場してくる。
そして薫がナキと呼んだあの男。あれは、日本の国造りの神の一人、伊邪那岐命(いざなきのみこと)ではないのか。
私、黄泉に来ちゃったんだ。……っていうか、黄泉ってほんとにあったんだ。意外。
あの男が伊邪那岐命なら、この女は多分……。それなら薫に倒された火之迦具土は、女の子どもということになる。
「ヒノはあそこを自由に動き回っていて、いつ出会うかわからないの。最初にヒノに会って、焼き殺されちゃう男もいるんだヨ」
「最初に?」
「そう。歩き出してから数十秒で」
「悲惨……」
言いながら奈美里は思った。最初に焼き殺されたといえば、この女がそうではなかったか。火之迦具土を生んだときに、その炎で焼かれて、黄泉に落ちたのではなかったか。それを追って伊邪那岐命が……。
淡々と話す女の表情はいたって平静に見え、内心では何を考えているのかわからなかった。
そのとき女の背後の暗闇から、ビビビという機械のような音が聞こえた。驚いて振り仰ぐと、闇の一点が歪み出している。そこに突然、火花のような光が瞬いた。続いてバチバチバチッという、電気のはねるような音。
「……ルール? ルールって何」
「……ところでどうだ。元の世界に帰りたいか?」
「か、帰るって……帰れるの⁉」
「望むなら」
「だって、そしたら、奈美里ちゃんは……」
「どうにもならない。帰ったら、おまえが最後に見た状態のままだ」
「じゃあ、……だめじゃないか……」
「だめとは?」
「帰れないだろ! このまま帰ったら、何のためにここに来たのか……」
薫の言葉に、ナキは大きく口を開けて笑った。薫は驚いた。初めて見る、屈託の無いナキの笑顔だった。
「ならばこれを貸してやろう」
そう言うと腰の紐をほどき、ナキは薫に最初のあれを渡した。あの長くて重い剣だ。
「多分もう使えるだろう」
手を伸ばし、それを受け取った。ずっしりと重い。だけどその重みは、もはや薫にとって非現実的なものではなくなっていた。その重みは、薫を守ってくれるもの、薫と一緒に敵を倒し、災厄をかわし、奈美里のもとへと導いてくれるものだった。命を護るものの強さと優しさが剣から伝わってくる。
「十拳の剣だ」
「トツカの剣……」
意味はわからないが、薫はその響きに頼もしさを覚えた。
鞘から抜き、闇の世界の黒い天にかざして、つくづくと眺めた。
ふと横を向くと、ナキはもういなかった。
「良かったじゃナ~イ。彼氏、アンタを置いてかないって」
長い足をぶらぶらさせながら、揶揄するように女が言った。
「……あれはいいの?」
女の言葉は無視して、奈美里はビジョンに映し出された火之迦具土を指した。すっかり鋭気をなくし、柴犬くらいの大きさになって薫の後をついていっている。
「アア……傷はそのうち治るサ。一応、あれも神だからネ」
「なんか、後、ついてってるけど」
「久しぶりに反撃されたから、驚いて、逆に興味が湧いちゃったのかもネ」
肩を竦めて、女は両手を広げてみせた。
火之迦具土と女の関係に、奈美里はもう勘づいている。それだけじゃなく、奈美里は、女と、薫のもとに時折り現れる男の正体について大体予想がついていた。
奈美里は短大卒だが浅学ではない。短大に行ったのは、「女は結婚して子供を生むんだから、四大に言ったらその分遅くなるじゃない。どうしても行きたいんなら、二年分の学費は自分で出しなさい」という母の言葉のためだった。
自分で学費を稼ぐだけの自信はない。だから親の言う通りにした。
短大では国文学科を選んだ。親は「家政学科か、せめて英語をきっちりやるとこにしなさい」と言った。だけど奈美里は、そこは自分の意思を通した。もともと国語や歴史が好きだったのだ。「私はやりたいことをやるの」と言って、親の反対を押し切った。だが短大での二年間の勉強は、社会で役に立たなかった。
就職活動のときは苦労した。短大で学んだこととは何の関係もない、小さな化粧品会社の事務に決まった。それでもラッキーだった。中には最後まで決まらずに、表向きは「やりたいことを見つけるためアメリカに留学する」といって、そのまま連絡が取れなくなってしまったり、何年もフリーターのままの子もいる。
だから、役に立っていないとはいえ、日本史は多少知っているのだ。薫は謎の男を「ナキ」と呼んだ。それから真っ黒なこの世界。醜女、火之迦具土。もうわかる。
ここははるか昔の夢の世界、日本神話の世界なのだ。日本の創世を物語った「古事記」、その中には黄泉=死後の世界も描かれていて、そこでは醜女や炎の怪物、火之迦具土などが登場してくる。
そして薫がナキと呼んだあの男。あれは、日本の国造りの神の一人、伊邪那岐命(いざなきのみこと)ではないのか。
私、黄泉に来ちゃったんだ。……っていうか、黄泉ってほんとにあったんだ。意外。
あの男が伊邪那岐命なら、この女は多分……。それなら薫に倒された火之迦具土は、女の子どもということになる。
「ヒノはあそこを自由に動き回っていて、いつ出会うかわからないの。最初にヒノに会って、焼き殺されちゃう男もいるんだヨ」
「最初に?」
「そう。歩き出してから数十秒で」
「悲惨……」
言いながら奈美里は思った。最初に焼き殺されたといえば、この女がそうではなかったか。火之迦具土を生んだときに、その炎で焼かれて、黄泉に落ちたのではなかったか。それを追って伊邪那岐命が……。
淡々と話す女の表情はいたって平静に見え、内心では何を考えているのかわからなかった。
そのとき女の背後の暗闇から、ビビビという機械のような音が聞こえた。驚いて振り仰ぐと、闇の一点が歪み出している。そこに突然、火花のような光が瞬いた。続いてバチバチバチッという、電気のはねるような音。