第10話 敗戦

文字数 4,852文字

 八月十七日、上官が班員、患者を一堂に集め、一言一言、絞り出すようにして言った。

「八月十五日、日本は無条件降伏を受け入れた……」

 予想はしていた……おそらくは幸子に限らずそこにいた誰もが。
 こぶしを握り締めて涙を流す者、放心したようにうなだれる者、あるいは安堵の表情を浮かべる者……それぞれがそれぞれの思いで日本の敗戦を聴いた、受け入れがたい気持ちは誰もが同じだった、だが、上官が玉音放送の内容をつぶさに伝えると、敗戦と言う事実を受け入れざるを得ない。
 幸子の脳裏に真っ先に浮かんだのは、このフィリピンのどこかで戦っているはずの兄のことだった……あるいはもうすでにこの世の者ではなくなっているかもしれない、だが、生きていればどのような扱いを受けることになるのか……そして、心の片隅で否定していた東京大空襲も事実だったのだと悟らざるを得ない……生粋の両国っ子で地方に親戚などいない両親は……大空襲を生き延びられたのだろうか、そして親友、静子は、その家族は……。
 そう考えると一日も早く日本に帰りたいと願わずにいられない、帰って両親の、静子の消息を確かめたい、そして、もし兄が還るならばせめて立て札の一本も立てておかなければこのまま生き別れになるかもしれない……。

 数日後、一行は投降地に指定されたキャンガンへと向かって行軍を開始した、もちろん徒歩による移動だ、食料も底を尽きかけ、衰弱も酷い中、半月に渡る困難な道のりを辿る、だがそれしか生きて日本の地を踏める希望はない。
 暑い日中はジャングルに身を隠して体力を温存し、幾分涼しくなる夜歩く。
 もう空襲を受ける心配はないが、新たな脅威が現れた、現地フィリピン人ゲリラだ。
 
 日本がマニラ湾を攻略する以前、フィリピンは長い植民地時代を経てまがりなりにも自治を認められていた、それゆえフィリピン人兵士はアメリカ軍と合流していたのだ、日本軍はアメリカ軍と戦い、その結果多くのフィリピン兵を殺していた。
 しかもアメリカに代わってフィリピンを統治下に置いた日本はその政策を誤り、結果、酷いインフレが起こって現地人の生活を圧迫していた。
 そして戦争末期、食料が尽きた日本兵は畑を荒らし、それでなくても乏しくなっていた彼らの食料も奪ってしまったのだ。
 公式には終戦となって殺戮は禁じられている、しかし生き残ったフィリピン兵の一部はゲリラとなって投降地に向かう日本兵を襲っていた。 
 幸子はそれも致し方のないことだと思う。 
 日本に大義がなかったとは思わない、支配されることを良しとせず欧米列強に立ち向かったことを賞賛してくれるフィリピン人もいる、『真の独立を勝ち取る勇気を貰った』と……しかし、いかに戦略的に重要な地であったとしても、日本がこの地に戦争をもたらした事もまた事実なのだ、アメリカ軍に合流していたとはいえフィリピン人兵士の命を奪ったのもまた事実、憎まれても仕方がない。
 これが戦争なのだ、と幸子は思う。
 強い者が弱い者を支配する、それがこの世の習い、それが国家間まで拡大したものが戦争だ、そして虐げられるのは最も弱い存在である民だ……敗戦を受けて日本とフィリピンの関係は逆転した、虐げた分返される、それも世の習いなのだ。

『大東亜共存圏』、兄から教そわった言葉だ、欧米列強の植民地支配に代わって日本が中心となり東南アジアの国々と共存・繁栄し、欧米に対抗しうる力を持とうとする考え方だ。
 幸子はその考えを正しいと思う、だが、日本は敗けた、失敗したのだ、志がいくら高くとも実現できなければ志がなかったのと同じこと、日本は結果的にフィリピンに厄歳をもたらしただけなのだ、憎むのは当然のこと……しかし、幸子はここで死ぬつもりはなかった、死んだらそこで終わり、和子の言う通り死んだら負けだと思う、自分が生き延びれば、日本が生き延びればいつかアメリカに勝てる日も来る、そう信じたい……それが戦争と言う形ではないことも願わずにいられないが……。
 
 ともあれ、生き延びるためにはジャングルで休んでいる時も、夜道を歩いている時も気を抜けない、どこにゲリラが隠れているかわからないのだ。
 そして過敏になっている日本兵同士で、それとは知らずに撃ち合いになってしまうこともあった、ジャングルでかすかな物音がすれば過剰に反応してしまうのだ。 
 
 昼間、ジャングルで休んでいる時だった。
 少し離れたところから銃声が一発響いて来た。
 ゲリラの襲撃か? 誰もがそう思い身構えたが、銃声は一発きりだった。
 そして、『日本人だ、撃つな』と言う声と共に一人の日本兵が姿を現した。
「本当に済まない、ゲリラが身を隠しているものと思い、日本の看護婦さんを撃ってしまった……」
(和子ちゃんだわ!)
 幸子は即座にそう思った、少し前、和子は用足しに離れて行ったのだ。
 こんな非常時でも若い女性だ、誰からも見えないところまで離れて用を足そうと思うのは当たり前のことだ。
 兵士に案内されて草むらに分け入ると、果たして胸を撃ち抜かれて倒れていたのは和子だった。
 幸子の中に悔しくてたまらない気持ちが湧き上がる。
 同い年の和子とは一番仲良くしていた、少し気弱なところもあった和子だが、幸子が自ら命を絶とうと考えた時は叱咤してくれた、死んだら負けだと、自分は何としても生きて日本に帰る、一緒に帰ろうと……互いに励まし合ってここまで生き延びて来た。
 それなのに……敵の空襲でも、風土病でもなく、よりによって献身的に看護して来た日本兵に撃たれて命を落とすなんて……。
 幸子は思わず兵士の胸倉を掴んだ……言いたいことは山ほどある、だが言葉が出て来ない、兵士も胸倉を掴まれて揺すぶられるまま下を向いている。
「止めなさい……彼を責めても詮無いことだ……」
 上官に諭されて幸子は手を離した……そしてその手で顔を覆い、激しく泣き出した……。

 ゲリラや野生動物に荒らされないように和子の亡骸を丁寧に埋める、誤って和子を撃ってしまった兵士は誰よりも働いてくれた、その姿を見て、幸子もなんとか自分を納得させるしかなかった。
 和子の遺体を穴に横たえる時、幸子は和子が肌身離さず着けていた、家族の写真が入ったロケットをそっと外してポケットにしまった。
 日本に帰りつくことが出来たら、和子の家を訪ねて渡すつもりで、そして和子がどれだけ献身的に傷ついた兵士ために尽くしたかを伝えるために……。

 誤射で和子が命を落としたことは不幸な出来事だったことは間違いない、しかし皮肉にもそのことで班は心強い道連れを得ることができた、人数は少なくなっているとは言え一個小隊、隊長も健在で規律も守られている。
 そうやって半月後、ようやく投降して一のキャンガンに到着した。

 キャンガンでは昼食用にと米軍の携行食料一ケースを渡された。
 開けてみるとパンだけでなくハムやチーズまで入っている……この数か月は三分粥一杯を三度に分けて食べるような生活を続けて来た、物量のあまりの違いに唖然としたし、敵から施しを受けたようで悔しい気持ちもある、しかし衰弱しきった体には必要な物だ、幸子はそれをむさぼるように食べた……生きるために。
 実際、あと十日も終戦が遅れていたら餓死する者が後を絶たなかっただろうと思う、自分も含めて……。
 
 幸子たちは一旦収容所に入れられ、日本からの復員船を待った。
 収容所で兄と会うことはついぞなかった、どの隊にいたのかもわからない、中山博幸と言う名前だけではその消息を知ることも叶わなかった。
 そして昭和二十年十一月、女性で非戦闘員である幸子たちは一番船に乗せられた。

 船がマニラ湾を離れる……幸子はほっとする気持ちと共に、この地で命を落とした同僚たち、そして看護の甲斐もなく亡くなった兵士たちに思いを馳せずにはいられない。
 そっと和子のロケットを取り出し、数珠代わりにして夕日に染まる山々に手を合わせた。
 亡くなった人の冥福を祈って……そしてまだこの地に残っているかもしれない兄の無事を祈って……。

 約三週間の船旅を経て、幸子は鹿児島の港に降り立った。
 約三年ぶりに踏む日本の土に心底ほっとしたが、やはり戦争の爪痕は深く残っている、食料も充分ではないようだ。
 それでも逸る気持ちに急かされるように汽車に乗った、早く東京に、両国に帰って両親の消息を知りたい、その一心だった。

 途中、広島を通る。
 新型爆弾のことは知らなかった、だが街の様子を見れば想像もつかない威力を持った爆弾だったことはわかる、広島で乗り込んできた人から奇妙な病気が広まっていることも聞いた、それが何なのか幸子の知識ではわからない、だが、今の医療では手の施しようがない得体の知れない病気であることは想像できた、ここ広島では恐ろしいことが起こっただけではない、それはまだ人々に恐怖を与え続けているのだ。
 自分はルソン島で何度も死線をくぐり、飢えや病気に耐えて生き延びた、尋常でない体験をしたと思っていたのだが、それは内地でも同じだったと知り、看護婦としての本能のようなものが呼び覚まされた心持ちがした。
 東京に戻る……それは故郷に戻ることには違いないが、そこで自分が果たすべき使命はまだまだ山積みなのだと心に刻んだ。

 何度も汽車を乗り継ぎ、東京が近付いて来る。
 本来ならば心が浮き立つのだろうが、逆に幸子の心は沈んで行った。
 広島にも劣らず酷い有様だった……。
 そして、とうとう両国の駅に降り立つと辺りを見回した。
 かつて活気に満ちていた町は跡形もなくなっている、何とか焼け残った国技館と両国小学校、それがなければ自分の家があった辺りすら見当がつかない。
 ここまで焼き尽くされた町……両親のことが気にかかる。
 家のあった辺りに見当をつけて歩いていると、顔見知りに出会うことができた。
 馴染みだった魚屋のおばさんがバラックからひょっこり姿を現したのだ。
「おばさん!」
「え? 幸子ちゃんかい?」
「そうです、中山です、中山幸子です」
「あれまぁ、南方へ行ったって聞いてたけど、よく無事で戻ったねぇ」
「あの……両親の行方を知りませんか?」
「ごめんねぇ、あたしたちは空襲の時は親戚を頼って疎開してたんだよ、いつまでも厄介になっていられないから終戦を聞いてすぐに戻って来たんだけどさ、帰ってきたらこのありさまでびっくりしたくらいなんだよ……もう四か月くらいになるけど、中山さんは見かけないねぇ」
「そうですか……」
「ごめんねぇ、役に立てなくて」
「いえ……」
 考えたくないことが頭をよぎる、しかし今のところは『行方がわからない』であって、死んだと知らされたわけではない、幸子は自分が戻ったことを知らせる立て札だけ立て、重い脚を引きずりながら住む場所と仕事を探しにその場を離れた。

 幸い、そのどちらもすぐに見つかった。
 焼け残っていた品川の病院を訪ねると、一も二もなく採用され下宿も世話してもらえた。
 空襲で大火傷を負った人々、負傷を抱えたまま復員して来た兵士などで病院は溢れかえっていて人手はいくらあっても足りないくらいだった、戦地で三年の経験を積んだ看護婦ならば即戦力になる、幸子は病院側にとっても喉から手が出るほど欲しい人材だったのだ。
 病院には三月十日の大空襲を経験した患者が多数いたが、顔見知りはなく、両親の行方は依然としてわからない。
 ただ……あの夜、両国橋で生き残った人から一つの希望を聞き出すことができた。
 両国橋の袂から上流へ向かって泳ぎ出した姉妹がいた、と。
(きっと静子と静枝ちゃんだわ……)
 幸子はそう確信した……もっとも、泳ぎ出した後、二人がどうなったのかまではわからなかったが……。
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