第3話 『徒然草』の中の疫病

文字数 2,891文字

第3章 『徒然草』の中の疫病
 前近代の日本において疫病が伝播することは認知されていたが、対策は主に加持祈祷である。ところが、それが結果として感染制御の効果をもたらすこともある。一県非合理的に思えても、現代の感染症予防策に通じるところがある。『徒然草』203段に次のような儀式が紹介されている。

 勅勘の所に靫ゆき懸かくる作法、今は絶えて、知れる人なし。主上の御悩ごなう、大方、世中の騒がしき時は、五条の天神に靫ゆきを懸けらる。鞍馬に靫の明神といふも、靫懸かけられたりける神なり。看督長の負ひたる靫をその家に懸けられぬれば、人出で入らず。この事絶えて後、今の世には、封を著くることになりにけり。

 天皇が病気になったり、世間に疫病が蔓延したりした時、矢を入れる筒である靫を五条天神にかける習慣がったと兼好は記している。疫病は天神の祟りとされ、それを靭に封じ込め、流行を終息させるための行為である。ただ、その家には人の出入りがなくなるのだから、それは今日の自主隔離に相当する。

 この儀式は人との接触機会を減らす効果がある。感染者を隔離すれば、疫病の拡大防止ができる。これは今回の新型コロナウイルス対策でも実行されている。こうした儀がは共時的・通時的に人々の間で共有されていたことが引用からわかる。人との接触機会を減らせば、疫病の感染拡大を防げることがこのエピソードの伝えるソーシャル・メッセージである。見るべきはこの集合記憶であって、当時の人々が天神の祟りと捉えていたかどうかは必ずしも重要ではない。

 さらに、『徒然草』50段は人の密集が疫病を招くことがあると次のように伝えている。

 応長の比、伊勢国より、女の鬼に成りたるを率て上りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京・白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「たゞ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言と云う人もなし。上下、ただ鬼の事のみ言ひ止まず。
 その比、東山より安居院辺へ罷り侍りしに、四条よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条室町に鬼あり」とのゝしり合へり。今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。はやく、跡なき事にはあらざンめりとて、人を遣りて見するに、おほかた、逢へる者なし。暮るゝまでかく立ち騒ぎて、果は闘諍起りて、あさましきことどもありけり。
 その比、おしなべて、二三日、人のわづらふ事侍りしをぞ、かの、鬼の虚言は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。

 話の概略はこうだ。1311年3月の頃、伊勢の方から女が鬼に化けて京に入ったという噂が流れる。20日ほど経つと、京都や白川の人々の間でこの話題が沸騰する。ところが、誰も見た者はいない。ある時、「一条室町に鬼がいる」と四条通りから上の方の住民が大勢で騒ぎながら、北へ向かって走っていく。人がごった返ししていて、通る隙間さえない。日暮れまで大騒ぎも続き、しまいにはケンカを始める連中まで現われる。しかし、結局、鬼を見た者はいない。その後、感染症があちこちで流行するようになる。詳しい記述はないけれども、発症すると、2、3日ほど寝込む症状の疾病のようだ。症状が軽いようなので、疫病と言っても、天然痘を始めとする致死率の高いシビアな疾病ではないだろう。巷では、鬼がこの感染症の前触れだったと言う人もいる。

 鬼が疫病の予兆だったと言うよりも、その騒動に伴い大勢が移動したり、密集したりしたために、感染症の流行につながったと理解すべきだ。これは今日にも通じる。人の移動を制限し、社会的距離を取れば、感染拡大が抑制ないし鈍化できる。

 日本の歴史において疫病と言うと、天然痘や麻疹、水痘、赤痢、インフルエンザ、コレラなどが知られている。疫病は大陸との関係が拡大した奈良時代より記録に現われる。これは大陸から感染症が伝播したからだけではない。中国に倣って律令制を整備、保健衛生の記録を取るようになったためでもある。以後、さまざまな史料に疫病の記述が見られるようになる。ただ、今日と違い、疫病が流行しても、症状が詳しく記録されているとは限らず、この『徒然草』50段のように、それがどのような疾病であるのか判断しかねる場合も少なくない。

 投薬治療が普及した江戸時代後期であっても、対人距離を取ることが感染予防につながると言う集合知識が不完全でありながらも形成されている。鈴木則子教授の『江戸の流行り病』によると、時を経るにつれ、麻疹禁忌が増加している。房事や髪結い、入浴、音曲、酒、蕎麦、鰻、脂のつよい食べ物、多種多様な野菜類など多岐にわたっている。これらを病後30~100日間も禁じられている。一見多様に思えるが、この禁忌の享受には対人距離が近いという共通点がある。性風俗店や銭湯、理容美容院、飲食店などソーシャル・ディスタンスが取れないため、感染拡大につながりやすい。しかも、麻疹は初期症状が風邪に似ており、自覚がないまま市中を出歩く可能性がある。なおかつ、今日でもマスクや手洗いによって拡大防止は困難であるほど極めて感染力が強い。江戸の人々は経験的に感染した場所には気がついていたが、その原因が対人距離にあるとは考えが及んでいない。だから、彼らは行為を通じて発症したと認識し、病後一定期間それらを禁忌としている。都市は人口密度が高いのみならず、そのライフスタイルが対人距離の近さを前提にしているため、感染拡大を招きやすい。麻疹禁忌は、今日の公衆衛生の知見から再考するならば、合理性も見出せる。

 このように、前近代の人々の疫病に対する行動は一見非合理的に思えても、原題の知見によって捉え直すと、合理性を認めることができるものも少なくない。彼らは感染拡大のメカニズムを知らなかったし、因果性の理解も間違っている。けれども、史料は感染とその制御が対人距離にあることを伝えている。それは共時的・通時的に共有されるべきソーシャル・メッセージだと言ってもよい。

 前近代の日本では、感染症の原因がウイルスや細菌といった病原体だという理論は浸透していない。そうした状況下で、疫病の原因を当時の人たちは自分たちなりの合理性に基づいて理解しようとしている。情報処理が不適切であるとしても、見るべきところはその合理性である。今日のパンデミックをめぐる社会的事態を改善できないかと過去の事象を参考にする時、その表面的非合理性に飛びつくのではなく、背後にある合理性に注目する必要がある。過去と現在はそうした考察においてつながる。

 疫病をめぐって中世の知識人はその状況を記し、近世の都市では出版物が発行されている。それを通じて当時の人々の認知行動を知ることができる。こうしたソーシャル・メッセージを民衆の間で長年に亘って伝えてきたのが昔ばなしである。昔ばなしは言語的・道徳的規範を共有する共同体における世代間の価値観の確認・継承の機能を果たしている。その中には病も含まれる。
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