第2話 江戸時代の疫病

文字数 4,566文字

第2章 江戸時代の疫病
 江戸時代は、感染症の流行が多発している。代表的な疫病の麻疹は広範囲に及ぶ流行が少なくとも14回起きており、江戸での流行周期は20~30年とされる。ただ、鈴木則子奈良女子大学教授の『江戸の流行り病─麻疹騒動はなぜ起こったのか』によると、徳川吉宗による享保の改革の前後で疫病に関する民衆の認識が変わっている。この1716年に始まる改革は医療分野にも及び、西洋医学の導入も許可される。それにより疫病に対しても投薬治療が標準化する。享保15年(1730年)の麻疹流行の際、幕府はそうした習慣のなかった江戸の人々に治療薬を無料配布している。

 疫病の周期性も当時の人々は経験的に認識している。感染症流行が頻発していたとしても、麻疹が一世代に一度であるように、個々の疫病は滅多に起きない。医療改革は、江戸時代の発達した出版業により疫病に関する情報を社会に普及させる。一世代一度であれば、医者も家庭も不慣れである。安永5年(1776年)の麻疹流行以降、周期性を見越して出版社が行動するようになる。流行の数年前から医者向けのマニュアルが刊行している。また、享和3年(1803年)の流行の後には、出版社は一般向けの禁忌を記した予防パンフレットを刊行している。

 アマビエの予言はすでにこうした理解が社会に定着した江戸後期である。感染症流行が繰り返されているので、誰かが疫病の予言をしたとしても、意外と思う人はおそらく少ないだろう。21世紀を迎えてから数年に1度のペースで世界的・地域的感染症の流行に遭遇して来た今日、数年以内にパンでミックが発生すると予言を聞いても、現代人は驚きなどしない。むしろ、それを見通して中央・地方政府は医療体制・法制度の整備を進めるのが当然である。同様に、江戸後期は投薬治療が定着しているので、疫病の到来に備えて薬の備蓄を始め、経験的に禁忌とされていたことを実践することが望ましかっただろう。

 言うまでもなく、感染症の流行は江戸を始めとする都市が中心で、地方のそれは回数も少なかったに違いない。大都市で流行しても、肥後の農村までは及ばない場合もあろう。しかし、疫病が全国的に流行しやすい環境は整っている。近世は天下泰平を迎え、人の移動が盛んになっている。経済活動はもちろんのこと、参勤交代や旅行によっても人々は動いている。

 江戸時代には、天然痘(疱瘡)・麻疹(はしか)・水痘(水ぼうそう)は人生の「お役三病」とされ、一生に一度しかかからないこの三つを無事に終えることが人々にとって健康面での最大の願いである。いずれも感染力が強いウイルス性疾患である。特に、天然痘と麻疹は致死率が高く、一度流行すると多くの人々の命が失われる。

 享保の改革以降、投薬治療が始まったとはいえ、当時はワクチンどころか対処療法も十分でなく、社会的免疫が形成されて流行が終息するというのが実情である。社会的免疫ができたのに、流行が繰り返された理由はいくつか推定できる。平均寿命が短く人口の新陳代謝が速かったことがある。それは医師の間で疫病をめぐる知識の共有がうまくなされない事態にもつながる。麻疹の周期が20年とすると、前回の流行の際に治療に携わった医師が次回にはあまり残っていないことになる。また、流行の中心が都市部で、人口の喪失を補うため、その後に地方から免疫のない人々が流入してくることもある。さらに、幕府や藩が経済成長を目的に後進地域に開発投資を行い、そこに人々が集めってくることもある。

 鈴木教授の『江戸の流行り病』によると、江戸時代、「疱瘡は見目定め、麻疹は命定め」と言われている。これは当時の人々が天然痘よりも麻疹の方を恐れていたことを物語る。この認識は意外である。確かに、今日でも麻疹による死亡者は途上国を中心に少なくない。2018年の死者数は世界でおよそ14万人に及ぶ。だが、一般的な致死率から見れば、天然痘の方が麻疹より概して高い。しかも、周期は15~20年と天然痘の方が麻疹より短かったとされる。にもかかわらず、脅威への認知は逆である。江戸時代の麻疹流行の歴史をたどりながら、教授は被害の大きさが騒動のそれに直結するわけではないと指摘している。それを考えるためにも、「お役三病」の天然痘・麻疹・水痘についていかなる疾病であるのか見てみよう。

 天然痘(Viruela)は天然痘ウイルス(Variola Virus) による急性の感染症である。天然痘ウイルスは、ポックスウイルス科オルトポックスウイルス属に属する2本鎖DNAウイルスである。感染力は強く、患者の使用した衣類や寝具からも移るとされる。経路は飛沫・空気・接触などである。1980年にWHOが根絶宣言を発表、人類が唯一それを達成した感染症である。

 潜伏期間は7~17日である。主な症状は発熱や頭痛、悪寒、全身の発疹などである。発疹は水痘のそれに似ているが、天然痘はすべて同じ形態で経過するという特徴がある。致死率も高く、古代より分布地域では非常に恐れられている。天然痘はウイルス血症、すなわち血液を通じてウイルスが全身に移動して症状を多発させることにより死に至ることが多い。

 天然痘はウイルスの種類によって致死率が異なる。臨床的には天然痘は致死率が20〜50%の大痘瘡(Variola Major) と1%以下の小痘瘡(Variola Minor) に分けられる。ただし、増殖温度を除きウイルス学的性状は区別できない。予後は非常に目立つ痘跡が最も多い。他に、失明や脳炎、骨髄炎、死産、男性不妊症などの後遺症がある。

 麻疹(Measles)は麻疹ウイルス(Measles Morbillivirus: MV)による急性の感染症である。麻疹ウイルスはパラミクソウイルス科モルビリウイルス属に属する1本鎖RNAウイルスである。ヒトを唯一の宿主としている。麻疹ウイルスは感染力が極めて強く、患者と同じ部屋にいるだけでも移るとされる。効果的な予防法はワクチン接種である。感染経路は飛沫・空気・接触など多様である。

 潜伏期間は10~12日程度である。主な症状は発熱や咳、鼻水、目の充血、痒みの伴う発疹、小児の場合、消化器系症状もこれに加わることがある。また、麻疹ウイルスはリンパ組織に感染し、免疫力を低下させるため、合併症を併発する可能性がある。今日の先進国では致死率は0.1%程度であるが、ワクチン接種や治療法の確立、良好な栄養状態の整わない状況では、合併症によって死亡に至ることが少なくない。その致死率はおよそ15%とされる。

 麻疹は「ブースター効果(Booster Dose)」による免疫の持続が認められている。ブースター効果はワクチンを含め罹患して抗体価がある間に再び感染すると、症状が出ずに、免疫機能が強化されることである。追加免疫が得られないと、抗体価が減少することがあるので、有効期限が切れて再度発症する場合もある。

 水痘(Chickenpox)は、水痘帯状疱疹ウイルス(Varicella Zoster Virus;VZV)によって起こる急性の感染症である。 VZVはヘルペスウイルス科のα亜科に属する2本鎖DNAウイルスで、他のヘルペスウイルスと同様に初感染の後、知覚神経節に潜伏感染する。一度発症すると、終生免疫が保持されるが、ウイルスは体外に排出されない。通常は免疫システムによって抑制されているけれども、その機能が低下すると、再活性化する可能性がある。VZVの自然宿主はヒトのみである。感染経路は飛沫・空気・接触感染などである。感染力は麻疹より弱いものの、おたふくかぜ(ムンプス)や風疹よりは強いとされ、家庭内接触での発症率は 90%と報告されている。

 罹患は9歳以下の子供がほとんどである。潜伏期間は10~21日程度である。主な症状は発熱や頭皮を含む全身の発疹、倦怠感などがあるが、合併症を併発する場合もある。合併症の危険性は年齢によって異なり、健康な小児ではあまり見られないけれども、15歳以上と1歳未満では高くなる。それにより、1〜14歳の子どもでの致死率は患者10万人当たり約1人であるが、15〜19歳では2.7人、30〜49歳では25.2人以上と上昇する。はしかに比べて致死率は低いものの、江戸の人々は、治癒後にも痘痕が残る可能性があるため、水疱瘡を忌み嫌っている。

 以上三つの疫病の中で、江戸の人々は麻疹を最も恐れている。麻疹の怖さはそれ自身の症状よりも免疫力を低下させることにある。健康であるならば発症しない感染症を併発してしまう。当時は抗菌剤を始めそうした疾病への治療法が十分にない。麻疹ウイルスに感染することは、現代の先進国と違い、致命的ですらある。1862年の麻疹大流行の被害が大きかったのは、同じ時期にコレラや結核も発生したためとされる。麻疹ウイルスによって免疫力が低下している時に、そうした細菌に感染したら、死に至る危険性は高くなる。

 江戸時代において、致死率は麻疹が天然痘より高かったとされる。この一因として天然痘と水痘の区別が当時は曖昧だったことも考えられよう。先に述べた通り形態に違いがあるものの、いずれも全身の発疹と言う特徴が共通している。水痘の致死率は低く、高いとされる30~49歳でも患者10万人当たり25.2人と現在では推計されている。他方、天然痘であっても、小痘瘡の場合、致死率は1%以下である。両者共に致死率は1%以下で、似た症状もあり、近代医学以前は両者を分けることが困難であったと思われる。

 天然痘と水痘の区別が明確化されたのは19世紀後半の欧州においてである。1875年、ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner)が水痘患者の水疱内容を接種、それにより疾病が発症することを示している。また、1888年、ヤノス・フォン・ボカイ(Janos von Bokay)が帯状疱疹の患者に接触した子どもが水痘を発症することを明らかにしている。こうした研究を通じて水痘が天然痘と異なる疾病であることが確認されている。さらに、1954年、トーマス・ウェラー(Thomas Weller)が水痘・帯状疱疹の患者いずれの水痘からも水痘・帯状疱疹ウイルスを分離できることを発表する。その後、1970年代に日本で水 痘ワクチンが開発され、予防に使用されることになる。

 江戸時代後半に天然痘のワクチン接種も試されている。天然痘に一度罹患すると回復後は再び発症することがないと古代より中国やインドなどで認識されている。もし天然痘に軽くかかることができれば、重い後遺症に苦しんだり、命を落としたりすることがない。この経験則に基づき、安全とは言えないが、中国で人痘方が試されている。エドワード・ジェンナーの種痘法も江戸時代後期の19世紀には伝わっている。それ以前の18世紀末に独自の人痘法が試され成功したとされている。もちろん、こうしたワクチン接種を受ける人は極めて限定されており、社会防衛にはつながっていないと思われる。そう考えると、麻疹が天然痘より脅威だった一因には、疱瘡と水痘の区別が曖昧だったこともあろう。
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