第4話 昔ばなしと疫病

文字数 6,632文字

第4章 昔ばなしと疫病
 鈴木教授の『江戸の流行り病』によると、疫病をめぐり江戸の庶民がどのような反応をしていたかを錦絵を始めさまざまな民衆文化が伝えている。ところが、日本の昔ばなしには疫病を取り扱ったものが非常に少ない。流行り病によって家族を失った人物は登場する。それは地方でも疫病により命を落とす人が少なくなかったことを示している。ただ、それは概して登場人物の境遇の説明にとどまり、物語の伏線ではない。

 出版事情のよい都市と違い、地方の民衆文化は文字史料による確認には限界がある。口承文学である昔ばなしはそうした民衆の集合知識の表象である。そこに語り継がれてきた共同体の人々の考えがこめられている。

 昔ばなしの論考と言うと、構造分析や分類化、起源探求、民俗学的解説、精神・心理分析などが思い浮かぶ。これらの成果には意義深いものが少なくない。ただ、中には我田引水がすぎたり、スタンダードナンバーのライブ演奏とも言うべき口承文学なのに、文字文学の方法論によって論証したりしている。

 昔ばなしを考察する際に、忘れてならないことは口承によって伝わってきたということである。それは言語的・道徳的規範を共有する共同体において世代の間でその価値観を確認・伝承している。「作者の死」に象徴される現代の文学読解で常識の解釈の多義性はここでは想定されていない。通時的・共時的に共同体で共有されてきた価値観に基づいて語り手と聞き手の間で理解される。

 規範は抽象的・一般的である。それを民衆は昔ばなしによって具体化・個別化して理解している。昔ばなしは規範の解釈である。それがソーシャル・メッセージとしてこの口承文学を共有している場を通じて伝わる。文脈によって規範の適用にヴァリエーションが生まれる。それによりその中で言及される概念や事物、存在には文脈による複数の認識が現われる。そうした解釈は一つの物語だけでは確定できず、それらを扱う物語群の参照が不可欠である。法解釈と違い、規範から事例へのトップダウン型ではなく、ボトムアップ型の道筋になる。ソーシャル・メッセージに着目した昔ばなし理解は十分になされてきたとは言い難い。

 今日まで伝わってきた昔ばなしの中には、伝承経路が不確かだったり、記憶者・記録者・表現者の改変が否定できなかったり、時代・地域の事情による差異があったりする者もある。そうした場合でも、定量的に取り扱ったり、歴史学・民俗学などの学問的知見を参考にしたりすることで問題点を一定程度補正できる。ソーシャル・メッセージをテーマにした昔ばなし研究は大いに可能性がある。

 もちろん、疫病を扱ったお話がまったくないわけではない。新潟県柏崎市西山町に伝わる『いも薬師』がその一例だ。それは次のような物語である。

 江戸時代後期、西山一帯で天然痘が流行する。特に、下山田村では、天然痘だけでなく、コレラや結核などにも見舞われる。村人たちは皆で相談し、薬師如来を祀ることにする。なけなしのお銭を出し合い、石工に頼んで彫ってもらい、鎌田村との境の丘のふもとにお堂を建立、そこに石像を祀ったところ、ようやく天然痘の流行が収まる。天然痘を患ったことによる痘痕顔を「いもくし顔」や「いもくし」と地元では言う。そのため、村人はこの石像を「いも薬師」と呼ぶようになったと伝えられている。

 疫病の鎮静化を神仏に祈願することは『日本書紀』にすでにみられる。この『日本書紀』が日本における最古の疫病の記録である。それは崇神(すじん)天皇5年の記述で、国内に疫病多く、人口の半分以上が亡くなったとある。この疫病は、研究により、麻疹とする説が有力である。おそらく麻疹による免疫力低下に伴い、さまざまな感染症の合併症を併発、多くの人々が命を落としたと考えられる。天皇は自らの政治がよくないためにこの禍が降りかかって来たのではないかと恐れる。占いのお告げに従い、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀り、祭主を大田田根子命(おおたたねこのみこと)とする。その後、疫病は収まり、五穀も実ったと言う。なお、現在の奈良県桜井市に鎮座する大神(おおみわ)神社は大物主大神を祭神としている。

 もちろん、この沈静化は神の力のおかげではない。社会的免疫が理由と考えられる。社会的免疫が形成すれば、疫病の流行は収まる。結果的に、疫病終息の祈願を神は叶えてくれる。

 神への祈願は個々の患者の命を助けることではない。神が成し遂げることは疫病の鎮静化であって、治療ではない。疫病は、『日本書紀』によれば、政治の失敗の可能性があり、社会的禍である。神に社会が求めるのも個々の治療ではなく、その流行を抑えてくれることだ。

 『いも薬師』も同様である。社会的免疫の形成により天然痘の流行が収まったと考えられ、結果として村人による薬師如来への祈願が成就する。薬師如来は疫病を鎮静化させてくれるが、個々の患者の治療に携わりはしない。村人が神仏に祈願することは疫病を終息させ、共同体を守ってくれることだ。村人が宗教に期待しているのは治療ではない。それは医学の領域だ。他の疾病と違い、疫病は共同体を衰退・全滅させる危険性がある。こうした疫病をめぐって村人が神仏に期待するのはそこからの救済である。

 鈴木教授の『江戸の流行り病』が紹介する江戸の庶民文化が伝えるものは個人にとっての疫病の反応である。当時の民衆の個々人も、現代人同様、手に負えない疫病に際して超自然的奇跡を期待していたことだろう。実際、麻疹が流行すると、江戸の神社仏閣は病除けのお札を販売している。村人も個々人として神仏に回復を祈願したに違いない。ただ、昔ばなしが物語るのは共同体にとっての疫病である。だからこそ、流行り病で家族を失った人物が登場しても、物語の伏線にならないのは、疫病に就いてのこうした考えが反映していると思われる。

 『いも薬師』は西山町に今も実在する薬師如来像をめぐる伝承である。コレラや結核の同時流行を考慮するなら、これは1862年の麻疹大流行の際の出来事だと思われる。しかし、疫病が麻疹ではなく、天然痘として語り継がれている。この点に拘泥して考察することも可能である。いずれの疾病にも発疹の症状があるので、誤解した可能性がある。天然痘・麻疹・水痘の三大疫病の区別を当時の人々があまりできていなかったことを示す一つの史料と扱えるだろう。けれども、重要なのはその疫病が何だったかではない。この物語が言い伝えられてきたのは、疫病をめぐる村人の認知行動のソーシャル・メッセージにある。

 宗教と医学の区別は、実は、病をめぐって昔ばなし全般に認められる傾向である。昔ばなしにおける病は、その扱い方によって、急激に病状が悪化する感染症とそれ以外に分けられる。前者では患者は助からないが、後者は改善する。

 インフルエンザや肺炎、百日咳といった急性の感染症の患者に奇跡は起きない。それを扱う昔ばなしでは、遺族がその死をいかに受け入れていくかが描かれる。その際に、心の支えになるのが仏教である。

 好例が栃木県の『お花地蔵』だ。両親を亡くしたお花という少女がお春婆さんと二人で暮らしている。男の子とチャンバラをするほど活発な女の子だったが、冬に百日咳により急死する。お祖母さんは嘆き悲しみ、食事もろくにとらず、一日中、仏壇の前を離れない。しかし、ある日、お花が無事に両親の元に行けるようにと彼女の地蔵を彫り始める。小さな石の地蔵は春に完成、「お花地蔵」と呼ばれるようになる。お花の好きだった炒り米をこの地蔵にお供えすると、子どもの百日咳がよくなると言われている。

 百日咳(Pertussis; Whooping Cough)は、特有の痙攣性の咳発作を特徴とする急性気道感染症である。病原体はグラム陰性桿菌である百日咳菌(Bordetella Pertussis)が主であるが、パラ百日咳菌(Bordetella Parapertussis)の場合もある。感染経路は飛沫感染や接触感染で、予防はワクチン接種である。いずれの年齢でも罹患するけれども、中心は小児である。重症化しやすく、死亡者の大半を占めるのは1 歳未満の乳児、特に生後6カ月未満の乳児である。ワクチン接種の始まる1950年以前、日本での致死率は10%に達している。なお、WHOによると、現在でも途上国を中心に年間患者数約1000万人、死者数約19.5万人に上るとされる。

 回復まで3カ月程度を要するため、この疾病は「百日咳」と呼ばれる。潜伏期は7~10日である。主な症状は、特徴のある痙攣性咳発作である。これは短い乾いたコンコンという咳が連続的に起こり、続いて、息を吸う時に笛の音のようなヒューという音が出る。スタッカート咳と笛声の発作が繰り返される。このレプリーの間にしばしば嘔吐を伴う。息を詰めて咳をするため、顔面の静脈圧が上昇し、顔面浮腫や点状出血、眼球結膜出血、鼻出血などが見られることもある。非発作時は無症状であるが、何らかの刺激が加わると、それが誘発される。発作は夜間が多い。発熱はないか、あっても微熱である。ただし、小児の場合、症状が非定型であることが少なくない。合併症には肺炎や脳症などがある。

 一方、喘息を始めとする慢性疾患や変形性膝関節症など老化に伴う身体疾患、心理的要因による転換症状は主に宗教を含む超自然的な力により治る。前者二つの疾病は症状の悪化が緩やかなので、治ったと思わせることができる。実際に治癒していなくても、本人がそう感じていればよい。また、プラセボ効果もある。信じることによって疾病が改善することはあり得る。岐阜県の『ずいたん地蔵』が一例である。

 転換症状は、生理的機能に問題がないのに、心理的要因によって身体機能が変調を来たすことである。失立失歩の他、目が見得なくなったり、耳が聞こえなくなったりするなどさまざまな症状がある。昔ばなしで祟りによって元気だった娘が突然寝たきりになることはこれだろう。この転換症状は治癒する。視力を回復したり、歩けるようになったりする奇跡は心理療法による転換症状の治癒と推測できる。岩手県の『ききみみ頭巾』や徳島県の『仙人のおしえ』、岡山県の『立岩狐』などに転換症状からの回復が認められる。

 ただし、治癒に関しては、仏教以外の超自然的力が作用する昔ばなしも少なくない。例として挙げた三つもそうである。

 こうした病の扱い方から当時の民衆は仏教に癒しの役割を期待していたことがわかる。僧侶がカウンセラーや心理療法家の役目を果たすことはあっただろう。しかし、病を治すのはあくまで医学であり、宗教は人を癒すものだ。民衆は宗教をケアとして医学と別の役割を期待している。昔ばなしにおける病はこういったソーシャル・メッセージを持っている。

 疫病は急性の感染症である。やはり疫病から回復した昔ばなしはあまりない。しかし、ないわけではない。そうした数少ない伝承の一つが『黄鮒』である。これは栃木県宇都宮市の民芸品「きぶな」の由来として知られている。きぶなは長さ約30cmの細い竹竿に吊り下げられた張り子で、頭部は赤、ひれは黒、胴体が黄、尻尾が緑という彩色鮮やかな玩具である。1999年に立松和平が『黄ぶな物語』という絵本を出版したこともあり、全国的に知名度が上がって、今回の新型コロナウイルス禍に際してもこの民話がネット上で注目されている。

 昔、天然痘が流行った時に、黄色い鮒が田川で釣れ、それを患者が食べると、回復したと言う。黄色の鮒は疫病に効くが、なかなかつれない。そこで人々は黄色い鮒を模した縁起物の張り子を作って正月に軒下に吊るしたり、神棚に供えたりする習慣が生まれたとされる。

 この物語には神仏の言及がない。また、鮒にはさまざまな色の種類があり、黄色もその一つである。天然痘からの回復に宗教的、あるいは超自然的力が働いたわけではない。

 黄色の鮒は確かに実在するが、珍しい。これがこの昔ばなしのポイントである。致死率が高いけれども、天然痘を発症しても助かることはある。 黄色い鮒を釣り上げるくらいの可能性はある。だから、天然痘を発症しても諦めず、希望を持つべきだ。黄鮒は疫病からの回復の希望の表象であり、これがこの昔ばなしのソーシャル・メッセージである。

 疫病からの回復は神仏や超自然的力によっても難しいと当時の民衆も理解していただろう。そうした昔ばなしがあまりないのもそのためと思われる。けれども、回復することはある。困難であっても、希望を捨ててはいけないと『黄鮒』は物語る。これは信じることの大切さという点で、昔ばなしの病の扱い方から逸脱するものではない。

 回復の伝承は少ないので、この昔ばなしのソーシャル・メッセージをこう理解するには論拠が弱い。しかし、疫病に見舞われても、それがあれば助かると地元の人々が信じているとしたら、黄鮒が希望になっていることは確かだろう。

 他にも、福島県会津地方の『赤べこ』がある。この天然痘予防の赤い牛の玩具に関しては、エドワード・ジェンナーの種痘法の発見の経緯を思い起こせば、説明は不要だろう。

 日本の古典や伝承、昔ばなしにおける疫病を考察すると、一見非合理的に思えても、詳しく吟味するなら、それが当時なりの合理性に基づいており、現代にも通じるものがあることが明らかになる。現代の科学的知見から十分に理解できる内容も少なくない。今回のパンデミックに際して、公衆衛生や感染症の専門的知見に基づく提言を軽視ないし無視した非合理的認知行動によって感染拡大につながった事例が世界的に少なくない。だから、合理性が感染拡大抑制には非合理性より効果的だと思わざるを得ない。『日本書紀』に記された時代から史料が伝える社会的な感染制御の認知行動は、当時としての合理性に即している。非合理的認知行動の方が効果的とはおそらく考えていないだろう。非合理性に囚われて過去を現在に引っ張り出して利用することは不適切だ。受け取るべきはそれらが伝えてきたソーシャル・メッセージである。
〈了〉
参照文献
石丸昌彦他、『精神医学特論』、放送大学教育振興会、2016年
宇治谷孟訳、『日本書紀 全現代語訳』上下、 講談社学術文庫、1988年
宇都宮市教育委員会編、『宇都宮の民話』 宇都宮市教育委員会、1983年
小野秀雄、『かわら版物語』、雄山閣、1970年
柏村祐司、『なるほど宇都宮 歴史・民俗・人物百科』、随想舎、2020年
鴨長明、『方丈記』、浅見和彦訳、ちくま学芸文庫、2011年
兼好法師、『新版 徒然草 現代語訳付き』、小川 剛生訳、角川ソフィア文庫、2015年
小松和彦編、『妖怪文化研究の最前線』、せりか書房、2009年
鈴木則子、『江戸の流行り病―麻疹騒動はなぜ起こったのか』、吉川弘文館、2012年
田城孝雄他、『感染症と生体防御』、放送大学教育振興会、2018年
立松和平他、『黄ぶな物語』、 アートセンターサカモト、1999年
野村純一他編、『昔話・伝説小事典』、みずうみ書房、1987年

太路秀紀、「『アマビエ』、厚労省の感染拡大防止アイコンに 熊本ゆかりの妖怪」、『熊本日日新聞』、2020年4月10日16:00更新
https://this.kiji.is/621238539985945697?c=92619697908483575
西山の魅力 発掘団、「西山の魅力 発掘団 - 西山の生きた民話③ 【いも薬師】下山田」、『Facebook』、2017年9月20日9:09公開
https://m.facebook.com/lovenisiyama/posts/1982637145312872
渡辺佳奈子、「無病息災の飾り『黄ぶな』脚光 “アマビエ”だけじゃない…宇都宮の伝説」、『毎日新聞』、2020年5月12日12:52更新
https://mainichi.jp/articles/20200424/k00/00m/040/202000c

厚生労働省戸山研究庁舎
https://www.niid.go.jp/niid/ja/
まんが日本昔ばなしデータベース
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php
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