第4話

文字数 879文字

煌々と輝く照明。そこらじゅうに響き渡る歓声。
妻と何度来たことだろう。一緒に優勝を決めた試合を見たのは、もう八年前になる。
ほら、俺たちのチームも、正念場だぞ。
三塁側スタンドに座った五十嵐は写真立てを包んでいた風呂敷をとりはらい、隣の席に置く。回りの観客が嫌がるかと思えば、みな試合に夢中で誰も構わない。
代打のコールがされ、周囲のボルテージは一気に突き上がる。
打席に向かっているのは、もう現役二十年になる大ベテランだ。
数年前に奥さんを亡くしたと聞いて五十嵐もだいぶ心配したが、いまも代打の切り札として活躍している。むしろ、奥さんを亡くしてから、打席での目に凄みが生まれたと、五十嵐は感じていた。

がんばれ。
回りのファンと一緒に声を上げたいが、もごもごと口が動くだけだ。
もう、誰かを応援する力などない。五十嵐は、代わりに祈った。

俺たちに、何かを見せてくれ。
もう苦しいんだ。どうやって生きていけばいいのか、分からないんだ。
何かを見せてくれ。妻に。いや、俺に。
頼む――。

 相手投手が汗を拭う。打席から漂ってくる威圧感をはねのけるように捕手のサインに首を振ってから、投球モーションに入った。右足が上がる。左腕が目にも留まらぬスピードで振り抜かれる……。

 カッと乾いた打球音がした。
 両手を握る五十嵐の前で、白球が舞い上がる。
そこだけ、重力が存在していないかのようだ。
ファンの歓声が高まる。高まる。
驚愕、歓喜。声と声が重なり合い、混ざり合い、球場を破壊しそうなほど大きくなる。

五十嵐は目でボールを追う。追うが、すぐに真っ白な照明といっしょになってぼやける。
次にピントが合ったのは、右拳を挙げて淡々とダイヤモンドを駆けるスラッガーの姿だった。
分からない。分からない。
五十嵐は、隣に置いた写真立てを抱き寄せる。
悲嘆で満たされていたところに、ほんの一滴の喜びが垂らされて、もう心は訳が分からなくなっている。張り裂けそうだ。爆発しそうだ。リビングで悲しみに暮れていた時よりも、もっと辛くなっている。立ち上がろうとしたが、膝が震えてよろめいた。
妻は、俺にこの光景を見てほしかったのか?
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